ドイツ表現主義の芸術  


 2002.9/7-10/20 茨城県近代美術館
 2002.10/26-12/1 福島県立美術館
 2002.12/7-2003.1.26 サントリーミュージアム[天保山]
 2003.2.1-3.9 府中市美術館

カタログについて

 論文:ディートマー・エルガー「ドイツ表現主義」
    Dietmar Elger "Deutscher Expressionismus"
    本江邦夫「もっとも孤独なものたちの共同体 ドイツ表現主義について」
    瀬川裕司「表現主義とドイツ映画」

 カタログ
  ブリュッケ
  青騎士
  都市の絵画

 出品リスト
 Liste der Exponate
 年表
 参考文献
 作家解説


展覧会構成

 ブリュッケ
 青騎士
 都市の絵画


出品作品紹介



講義ノート

表現主義の先達

 『近代美術のキーワード』 ロバート・アトキンス著 嶋崎吉信訳 美術出版社 1995年 p.145

"近代における表現主義は、ジェイムズ・アンソール、ポール・ゴーガン、フィンセント・ファン・ゴッホらの仕事を先達とする。"

「ごあいさつ」より

 展覧会趣旨

"本展覧会では 、皆様にドイツ表現主義絵画を総合的にご覧いただくことに主眼を置いています。ドイツ表現主義の展開において重要な役割を担った「ブリュッケ」と「青騎士」の画家たちを取り上げるとともに、「都市の絵画」という観点から、第一次世界大戦後のドイツ表現主義の展開にも注目しました。彼らの作品を通して、当時のドイツの青年たちが共有していた、溢れんばかりのエネルギーと深い懊悩とを感じ取っていただければと考えております。"

各論文より

 ディートマー・エルガー「ドイツ表現主義」

ドイツ表現主義の拡がり

p.10 "...表現主義を様式としてどう評価し、他の運動と区別するかについては、大きな見解の相違がある。"

p.10 "そもそも表現主義はその概念の起源からはっきりとしていない。"

p.10 "...当初はやはり表現主義の概念は多層的かつ不明瞭なままであり、概ね近代美術のひとつの同義語となっていた。"

p.11 "...確かに表現主義的な創造意欲は、造形芸術からいくらか時間的に遅れて、文学、演劇、舞踏、舞台美術、そして最後には映画と建築に見出される。"

運動の短命さ

p.11 "...「ブリュッケ」が結成された年が、一般的に表現主義運動の始まりであると考えられている..."

p.11 "...20年代には新たな時代精神がヨーロッパ全土に広まった。バウハウスの明瞭性、合理主義、厳格な形態が、そして構成主義と新即物主義が、次第に表現主義の主観的な生の感情に取って代わっていったのである。"

p.11 "実際のところ表現主義は、・・・(中略)・・・むしろ若い世代の生の感情として語られている..."

ゴッホのアルル、ゴーギャンのタヒチ

p.12 "労働の産業化により分断され、ヴェルヘルムII世時代の統治により規制された社会とは対照的な理想の世界を、素朴かつ原始的で、自然のリズムに従ってもたらされる生活の中に、「ブリュッケ」の表現主義者たちは思い描いたのである。"

第一次大戦への賛同

p.12 "旧い秩序を破壊し、その瓦礫の山から身分による制限の存在しない新しい社会を築くための力を、戦争が持っていると彼らは考えていた。"

「ブリュッケ」様式

p.14 "...別のモチーフでは、描き方が互いによく似たものになり、彼らの絵画に精通した者でもキルヒナー、ヘッケル、あるいはペヒシュタインの作品を明確に区別することができないほどであった。"

表現主義の評価

p.23 "1919年、ベルリンの国立絵画館館長であるグスタフ・ユスティは、初めて表現主義の作品を収集の新たな対象とし、これにより表現主義は公的にも認められるようになった。"

 本江邦夫「もっとも孤独なものたちの共同体 ドイツ表現主義について」

p.38 "...いかにも不思議なのは、シュトゥルム画廊の展示で「ブリュッケ」の画家がひとりも扱われていないことである。"

p.39 "...ヴァルデンの芸術観とはどのようなものであったか。・・・(中略)・・・「芸術家になるためには自分の直観をもち、それを造形化できなければならない」という断定から始まる。「直観と造形の一致が芸術の本質であり、芸術そのものである」。"

p.39 "「ブリュッケ」と「青騎士」、ドイツ表現主義のいわば両輪のあいだに見られるこうした不均衡は、ひとつの芸術運動としての表現主義に潜む本質的な脆弱さを開示しないわけにはいかない。"

p.39 "今にして思えば、そもそも、ヴィジョンという発想そのものにどこか空中楼閣的なものがあったのではないか。"

p.40 "ところで、みずからのヴィジョンにこだわるということは、人はまさにそのヴィジョンによって孤立しており、それゆえになんらかの教条ないし綱領のもとに集うことはありえないということである。"

p.40 "...「ブリュッケ」の画家たちの連帯が、実際はいかに素朴で希薄なものであったか。"

p.40 "それはつまりこの不夜城ともいうべき人工性の権化のただなかで、みずからのヴィジョンの実質と潜在力が問われたということである。"

pp.40-41 "...第一次世界大戦に嬉々として志願した表現派のほとんどすべてが精神に異常をきたし、暗い悪夢を見つづけたことはあまりにも痛ましい事実である。こうして彼らはかつての「表現」の意味そのものを問われることになったのである。"

p.42 "...表現を主客の一元化としてとらえる考え方は、一方的に表現や表出を強調する俗流の解説の対極にあり、今日においてもなお本質的な議論の対象となっている。"

p.43 "...前衛というもっとも脆弱な美的共同体に暮らす人びとに巣食う深い深い孤独に思いいたるためには..."

 瀬川裕司「表現主義とドイツ映画」

p.44 "ヴァルター・レーリヒ、ヴァルター・ライマン、ヘルマン・ヴァルムという三人の表現主義芸術家のつくったセットは、すべてのものが歪み、傾いており、あらゆる遠近法が狂っているようだ。"

p.44 "実は、いわゆる「ドイツ表現主義映画」のなかで、表現主義絵画のようなセットを背景とする作品はむしろ少ないのである。"

p.45 "...前衛的な試みのなされた映像で自在に夢幻的な物語を語ること、これが「表現主義映画」の真髄であったといってよい。"

p.46 "...ムルナウとラングの作品が「ドイツ的・表現主義的」映画として世界の人々に記憶されたことはまぎれもない事実である。"

p.47 "...ドイツ表現主義映画とは、狂乱の時代を誠実にとらえた異形のドキュメンタリーであったということができるだろう。"