第2回 福岡アジア美術トリエンナーレ2002
[語る手 結ぶ手]
3/21-6/23
福岡アジア美術館
カタログについて
論文1:黒田雷児「テーマ」 pp.4-5
Kuroda Raiji, 'Exhibition Theme' pp.6-7
凡例
作品図版
滞在スケジュール
作家・作品解説 pp.89-107
論文2:後小路雅弘「コラボレーションと手わざ―21世紀初頭のアジア・アート」 pp.108-9
中村英樹「手は本当に語り、結び合うか?―他者との関係性からなる個人」 pp.110-1
ジム・スパンカット「インドネシア美術に見るコラボレーション」 pp.112-3
北澤憲昭「手の記憶―工芸的なものの可能性」 pp.114-5
後藤新治「手・工房・ジェンダー」 pp.116-7
リー・ユーリン(李玉玲)「些細だけれど大切ないくつかのこと―想像された工房を探究する」 pp.118-9
Artists' Pages
Ushiroshoji Masahiko, 'Hands and Collaboration'
Nakamura Hideki, 'Do hands truly narrate? Do they truly connect each other?'
Jim Supangkat, 'Seeing the Collaboration via Works of Indonesian Artists'
Kitazawa Noriaki, 'Memory of Hand'
Goto Shinji, 'Hands, Workshops, and Gender'
Lee Yulin, 'Significant Trivialities'
作家略歴
出品作品リスト
第2回福岡トリエンナーレ実行委員会
コーディネーター/協力キュレーター
謝辞
参加作家一覧
アイシャ・カリッド Aisha Khalid (パキスタン)
アディーラ・スルマン Adeela Suleman (パキスタン)
リシャム・サイード Risham Syed (パキスタン)
ハーシャ N.S. Harsha (インド)
サティッシュ・シャルマ Satish Sharma (インド)
プラディープ・チャンドラシリ Pradeep Chandrasiri (スリランカ)
アノリ・ペレラ Anoli Perera (スリランカ)
アシュミナ・ランジット Ashmina Ranjit (ネパール)
タシ・ペンジョール Tashi Penjor (ブータン)
アラク・ロイ Alak Roy (バングラデシュ)
トゥン・ウィン・アウン Tun Win Aung (ミャンマー)
バンヤー・ヴィジンタナサーン Panya Vijinthanasarn (タイ)
ピナリー・サンピタック Pinaree Sanpitak (タイ)
スッティー・クッナーウィチャーヤノン Sutee Kunavichaynont (タイ)
チュア・チョンヨン Chuah Chong Yong (マレーシア)
ヤウ・ビーリン Yau Bee Ling (マレーシア)
ノニ・コー Noni Kaur (シンガポール)
カム・タン・サリアンカム Kham Tanh Saliankham (ラオス)
ロン・ソフィア Long Sophea (カンボジア)
スーン・ヴァナラ Soeung Vannara (カンボジア)
チャン・ルーン Tran Luong (ベトナム)
ニンディティオ・アディプルノモ Nindityo Adipurnomo (インドネシア)
マルシディ・オマール Marsidi Bin Omar (ブルネイ)
ジョン・フランク・サバド John Frank Sabado (フィリピン)
シャグダルジャヴィン・チメドルジ Shagdarjavin Chimeddorj (モンゴル)
チェン・シャオフォン(陳少峯) Chen Shaofeng (中国)
リン・ティエンミャオ(林天苗) Lin Tianmiao (中国)
イン・シュウジェン(尹秀珍) Yin Xiuzhen (中国)
リ・ミンズ(李明則) Lee Mingtse (台湾)
ポン・ホンヂィ(彭弘智) Peng Hungchih (台湾)
チョン・ヨンドゥ Jung Yeondoo (韓国)
ニッキー・リー Nikki S. Lee (韓国)
ソン・ヒョンスク Song Hyunsook (韓国)
アトリエ・ワン(塚本由晴・貝島桃代) Atelier Bow-Wow (日本)
須田悦弘 Suda Yoshihiro (日本)
牛嶋均 Ushijima Hitoshi (日本)
柳幸典 Yanagi Yukinori (日本)
講義ノート
1 展覧会の構成
後小路雅弘「コラボレーションと手わざ―21世紀初頭のアジア・アート」より
1-1 アジア美術におけるコラボレーションの意味
1-1-1 これまでとは違った成果への期待=幅広く見られる
"...個別に行っていたことを、両者がいっしょにやることで、これまでとは違った発想や方法が生まれ、異質な成果が期待できる..."
↑
"20世紀的な枠組みを変えてこうという意志のあらわれ"(行政でも製造業でも、様々な分野で)
1-1-2 手段ではなく目的としてのコラボレーション=現代アジア美術の特徴
"...現在とくにアジアで顕在化してきたコラボレーションでは、他人と共になにかを作る、そのこと自体が手段ではなく目的となっている。手段としての共同作業ではなく、共同で制作することによって生まれる、制作に関与する人々との関係、育まれる絆や、あるいは逆に共同性を育む場への関心など、コラボレーションをめぐる様々な関係性への関心が作品に反映し、あるいは制作の契機になっている。"
1-2 4つの傾向
1-2-1 職人とアーティストとのコラボレーション
ニンディティオ・アディプルノモ
アノリ・ペレラ
ピナリー・サンピタック
イン・シュウジェン
アディーラ・スルマン
1-2-2 伝統的な技術を修得した職人的アーティスト
バンヤー・ヴィジンタナサーン
ロン・ソフィア
リ・ミンズ
アラク・ロイ
アイシャ・カリッド
ノニ・コー
リシャム・サイード
1-2-3 普通の人々とコラボレーションするアーティスト
サティッシュ・シャルマ
ニッキー・リー
リン・ティエンミャオ
柳幸典
1-2-4 コラボレーションが行われる場に注目するアーティスト
ヤウ・ビーリン
チョン・ヨンドゥ
スーン・ヴァナラ
ジョン・フランク・サバド
ソン・ヒョンスク
2 各論文から
2-1 中村英樹「手は本当に語り、結び合うか?―他者との関係性からなる個人」より
"...個人の完全な自由意志という虚構でも、旧い絶対的な権威に依存した社会的統制でもない、個人を基盤とする内発的な合意形成と人間同士のつながりへの願いであり、アジアの現代美術固有の社会心理というよりも、世界中の現代社会すべてにかかわる重要な動向である。"
"そこでまず暗黙の了解事項となるのは、作られた可視的な物自体が作品の中心ではなく、共有される体験と意識が目に見えない作品の中心だということである。"
"こうして見てみると、近代を踏まえた本当の意味での共同制作はまだまだ少ない。…(中略)…問題は、まさにこれからである。"
2-2 ジム・スパンカット「インドネシア美術に見るコラボレーション」より
"このような伝統的な暮らしぶりを保っている人々こそ、今日の現実に向き合い、それと対抗する潜在力を持っているのであって、そういう能力は、巨大都市で消費生活を送る人々には見られないのだ。"
"美術作家と工芸家がコラボレーションするときには、その工芸家を美術作家とみなす必要はない。美術作家がコラボレーションを仕切るときに大事なことは、…(中略)…その工芸家が持つ芸術への信念と、彼らが経験してきた社会の変化を知ることが重要なのだ。"
"インドネシアの現代美術では、ただ一人、ヘリ・ドノだけがこのような認識を持って、工芸家とのまっとうなコラボレーションを行っている。"
"もっと重要なのは、捨てられたものを使うということが、都市の貧しい人々の努力を反映していることだと彼は言う。"
"...このような革新は、文化にかかわることであり、また経済的な次元でももちろん重要なことである。「このような革新は、日常生活に起こっていることで、西洋的な意味での美術の革新とは関係ないんだよ」と、彼は言っている。"
"彼は自分を手伝ってくれる人々のことを知り尽くしている。"
"中古ラジオを売買するというのもまたヘリ・ドノにとっては文化的な意味のあることだ。彼の解釈によれば、機械技術者は価値のない物に工夫を加え、またそれを売ることによって、一般の人々に情報や娯楽を提供するからである。このような態度は、消費社会での行いとはかけ離れたものだ。なぜなら、消費社会では、衣服、テレビ、家具、自動車でさえも、まだ実際には十分にきれいで使えるうちに簡単に捨ててしまうからだ。"
"こうしてできた作品は、驚くべきことに、貧しい都市住民が今日の現実と直面することで生まれた夢、幻想、希望、信仰をも表現することになっている。"
2-3 北澤憲昭「手の記憶―工芸的なものの可能性」
"[近代彫刻と異なって置物のありようにおいては]他の床飾りとの連関が重視され、その場その場への適合性が重んじられる。…(中略)…他への配慮が要求されるのだ。"
"...工芸的なものの可能性は未来に属しているとさえいえる。"
"手が記憶する世界と人間の基本的なかかわり、いいかえれば、人間が住まう世界の在り方について――実践的に、あるいは観想的に――思いを馳せることが大切なのである。"
"アジアの現代美術における手の所作は、熟練の手並みより、こうした単純な行為において、身体性を静かに活気だたせるように思われるのである"
2-4 後藤新治「手・工房・ジェンダー」より
"...セックス、ジェンダー、それにセクシュアリティ(性的実践、性的欲望、性的幻想)といういわば三位一体の神学は、男根ロゴス中心主義と強制的異性愛の体制の中で、文化のパフォーマンス(たとえば展覧会とそのカタログ)としてきわめて自然に反復されることで、それ自体が生産され、強化され、安定してきた。バトラーは、…(中略)…ジェンダー・トラブルを持ち込み、…(中略)…アイデンティティを構成する三位一体を撹乱せよと主張する。これを美術館の現場でどのように実践すればよいのか? …(中略)…アートはいかなる手を差し伸べることができるのか?"
2-5 リー・ユーリン「些細だけれど大切ないくつかのこと―想像された工房を探究する」より
"...近代美術の男性中心的ヘゲモニーのなかで劣等視され、取るに足らないものとされてきた、非結合や断片化したものの価値を見直そうとする動きは、これらが重要性を高めてきている徴候だと言えるかもしれない。"