長岡現代美術館賞回顧展 1964-1968

 
 2002/4/20-6/9
 新潟県立近代美術館

カタログについて

 論文1:高島直之「長岡現代美術館賞展の役割とその時代」 pp.8-12
 資料:
  パンフレット
  石井利治氏インタヴュー
  文献再録
 論文2:小見秀男「長岡現代美術館館長駒形十吉ノート」 pp.128-31
     宮崎俊英「長岡現代美術館の活動について」 pp.132-6
     桐原浩「駆け抜けた美術館と美術家たち」 pp.137-40
 作家略歴
 関連文献
 関連年表
 出品目録

展覧会構成

 第1回展 昭和39(1964)年
 第2回展 昭和40(1965)年
 第3回展 昭和41(1966)年
 第4回展 昭和42(1967)年
 第5回展 昭和43(1968)年
 参考出品

出品作品紹介



講義ノート

1 長岡現代美術館開館

  ・1964(昭和39)年8月開館
  ・国内で初めての「現代」を冠した美術館

  ※参考1:現代美術関連略年表
    1947年 第一回日本アンデパンダン展(都美術館)、日本美術会主催
    1949年 第一回日本アンデパンダン(読売アンデパンダン)展(都美術館)、読売新聞社主催
    1951年 神奈川県立近代美術館開館(日本初の近代美術館)
         「実験工房」結成
    1952年 (東京)国立近代美術館開館
    1954年 第一回現代日本美術展(都美術館)、毎日新聞社主催
         「具体美術協会」結成
    1955年 愛知県立美術館開館
    1956年 ヴェネツィア・ビエンナーレ日本館竣工
         世界・今日の美術展(日本橋・高島屋)、アンフォルメル紹介
    1960年 第一回<ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ>展(銀座画廊)
    1963年 第十五回読売アンデパンダン展、この回で終了
         (ケネディ大統領暗殺)
    1964年 赤瀬川原平「模造千円札事件」
         ポップ・アート論争(高階秀爾、東野芳明)
         反芸術論争(宮川淳、東野芳明、針生一郎、中原佑介)
         (第18回オリンピック東京大会開催)

  ※参考2:日本の現代美術関係施設の開館
    1964年 4月 横浜市民ギャラリー
    1974年11月 北九州市立美術館
    1975年 5月 池田20世紀美術館
    1979年 秋 福岡市美術館
    1979年12月 原美術館
    1980年 4月 大阪府立現代美術センター
    1981年 7月 富山県立近代美術館
    1981年 8月 セゾン現代美術館
    1984年 4月 いわき市立美術館
    1986年 3月 世田谷美術館
    1988年 5月 ハラ ミュージアム アーク
    1988年11月 川崎市市民ミュージアム
    1989年 5月 広島市現代美術館
    1989年11月 横浜美術館
    1990年 3月 水戸芸術館現代美術センター
    1990年 5月 川村記念美術館
    1990年 9月 ワタリウム美術館
    1991年11月 丸亀猪熊弦一郎現代美術館
    1995年 3月 東京都現代美術館
    1995年 4月 CCGA現代グラフィックアートセンター
    1995年 7月 現代美術館・名古屋
    1995年11月 豊田市美術館
    1995年11月 三鷹市芸術文化センター
    1996年12月 さばえ現代美術センター
    1997年 4月 NTTインターコミュニケーション・センター(ICC)
    1998年 4月 群馬県立近代美術館・現代美術棟
    1999年 3月 福岡アジア美術館
    1999年 9月 東京オペラシティアートギャラリー
    1999年10月 川崎市岡本太郎美術館
    2001年 1月 せんだいメディアテーク



2 「長岡現代美術館賞展」

 2-1 設立主旨:第1回展パンフレット表紙より
長岡現代美術館は、現代美術の推進に積極的に寄与することを念願としています。この意図に沿ったひとつの事業として、今度新しく、当美術館にて、「長岡現代美術館賞展」を毎年一回開催することになりました。
毎年、その年間に発表された作品をよりどころとして、現代美術に新風を送りこみ、さらにひろく国際的にも活躍し得る能力をもつとおもわれる作家を選びだして組織されたものです。現代美術はその表現の多彩さに加え、絵画・彫刻・版画などのジャンルをはみだしたような作品がうまれていますが、この展覧会は、そういう現代美術の動向をひろく反映するとともに、明日のヴィジョンをきりひらく鋭意なものでありたいと考えています。
当美術館は、この展覧会の出品者のうちから選ばれた一名にたいして「長岡現代美術館賞」を贈与します。
この賞が単に画壇の新人を顕賞するという意味のものでなく、作家のヴィジョンの開発の原動力となり、世界的な視野での現代美術の進展に寄与したというのが設立の主旨であります。
 2-2 受賞者一覧
1964年 第1回展 岡本信治郎《10人のインディアン》(10点組)
1965年 第2回展 選出せず(チャールズ・ヒンマン推薦と高松次郎推薦とが拮抗)
1966年 第3回展 エンリコ・カステラーニ
1967年 第4回展 山口勝弘《作品》
1968年 第5回展 関根伸夫《位相―スポンジ》


3 駒形十吉

 3-1 経歴
1901
(明34)
越後長岡で、味噌、醤油造りを営む父宇多七、母トキとの間の10番目の子供(三男)として誕生
   旧制長岡中学卒業
1920
(大 9)
新潟高校中退(病気のため)
   大阪の株式仲買会社に給仕奉公
1922
(大11)
帰郷(父の死のため)、兄と共に無尽(互いに掛け金を融通し合う目的の組織)会社設立
   西田天香(1872-1968)によって京都に設立された信仰団体「一灯園」に惹かれる(トルストイの影響から「無所有、無一物」をモットーとし、信者の絶対平等、共同生活、奉仕の托鉢業を行う)。
1927頃 帰郷、無尽会社再建
1928
(昭 3)
北越産業無尽の支配人就任
1941
(昭16)
同社長就任
1942
(昭17)
「大光無尽」と社名変更:「大光」は観音経の一節「広大智慧観 無垢清浄光」に由来
1943
(昭18)
第4代長岡商工会議所会頭就任(〜昭37)
1951
(昭26)
大光無尽、「大光相互銀行」へ改組、社長就任
1964
(昭39)
「財団法人長岡現代美術館」開館、館長就任
1972
(昭47)
NST新潟総合テレビ社長就任(〜平11)
1994
(平 6)
「財団法人駒形十吉記念美術館」開館、館長就任(〜平11)
1999
(平11)
98歳で没
作成にあたっては同展カタログ所収、小見秀男「長岡現代美術館館長駒形十吉ノート」 p128を参考にした。

 3-2 コレクターとして

 戦後、1950年代より近代日本洋画の収集を開始。約10年で、浅井忠から斎藤義重まで近代洋画史を概観するコレクションを形成。東京画廊社長、山本孝がアドバイザー。
 1960年代以降、山本孝の周辺にいた新進美術評論家中原佑介、ローマ在住の画家阿部展也らの情報をもとに、コレクションの対象を日本から海外へ転じる:当時日本唯一のマグリット、アンフォルメル、日本で最初のベーコン、アメリカ現代絵画、特にポップ・アート(ウォーホル、リキテンシュタイン、ローゼンクイスト)、ワイエス