クレメント・グリーンバーグ(Clement Greenberg, 1909-94)1-2 ロバート・アトキンス『現代美術のキーワード』 杉山悦子、及部奈津、水谷みつる訳 美術出版社 1993年1月 pp.79-80
戦後アメリカを代表する批評家。ニューヨーク生まれ。アート・ステューデンツ・リーグ(Art Students League)とシラキューズ大学(Syracuse Univ.)に学ぶ。
"アメリカの絵画と彫刻が世界的に注目を集めるようになった第二次大戦後、特に抽象表現主義において最も影響力のあった美術批評家。ハロルド・ローゼンバーグを唯一の好敵手とする。"
"雑誌『パーチザン・レヴュー』(Partisan Review)に発表した「アヴァンギャルドとキッチュ」(1939年)では、芸術の社会的、政治的役割に対する関心を表明していたが、後には、形式主義による批評的立場に立った。"
"ジャクソン・ポロック、デイヴィッド・スミス、アンソニー・カロ、モーリス・ルイス、ケネス・ノーランドらの作品を高く評価する一方、ロバート・ラウシェンバーグの作品を単なる「新奇さ」をねらったものとして貶めた。"
"50-60年代が影響力のピーク。作家は、作品の選定や展示方法などにおいてグリンバーグの指示に従った。"
"主著『芸術と文化』("Art and Culture," 1961、邦訳:クレメント・グリーンバーグ 『近代芸術と文化』 瀬木慎一訳 紀伊國屋書店 1965年)は当時、最も知られた美術評論集。"
"70年代には、コンセプチュアル・アートや「新しい具象絵画」などの台頭によって、その影響力は翳りを見せた。"
フォーマリズム概念の3人の立役者:クライヴ・ベル、ロジャー・フライ、クレメント・グリンバーグ1-3 (共同討論)「モダニズム再考」 磯崎新、柄谷行人、浅田彰、岡崎乾二郎 『モダニズムのハード・コア』 『批評空間』1995年臨時増刊号 pp.19-20
"二十世紀初頭、イギリスのベルとフライは、アーティストの意図や社会背景よりも、視覚上の作品の形式的特性によって美術史を分析する、擬似科学的なシステムを打ち出した。近代美術黎明期の、非西欧美術に対する興味―とくに日本の浮世絵やアフリカの原始彫刻―に着目することによって、彼らは場所や時間にとらわれず、異種文化を正当に価値づける方法を編み出したのである。"
"・・・最も有名な実践者はクレメント・グリンバーグである。アメリカ美術、主にアブストラクト・エクスプレッショニズム(抽象表現主義)・・・(中略)・・・の台頭と相まって、彼は絶大な影響を美術界に与えることになった。"
"六〇年代は、マイケル・フリードやロザリンド・クラウスといった評論家が、新世代のフォーマリストの代表として活躍したが、同時にフォーマリズムのアプローチの限界が見えはじめた時代でもあった。とりわけポップ・アートの登場は、形式分析の意義と必要性を根底から否定することになった。"
"・・・七〇年代中頃からフォーマリストの解釈は、フェミニズム、セミオティクス(記号論)、ディコンストラクション(脱構築)の思想を基調としたより広汎な手法へ譲歩していった。"
柄谷 …グリーンバーグは理論家ですが、そもそも彼は現場的な批評家ですね。一方でアカデミックな学者に対抗してきわめて現場的でありながら、なお非常に原理的なことを言っている。そのような批判がたしかに美術を動かしていた時期があったんだな、ということを考えて、自分のこと、文学のことに置き換えて、ある懐かしさを覚えたわけです(笑)。七〇年代半ばまではそれがあった気がするんですよ。たとえば文芸時評というものが存在していた。いまもありますけど本当は存在していない。どこでも批評はアカデミックになっています。現場は現場でいい加減にやっている。ところが、グリーンバーグはいわば時評的なものを書いていて、しかもそれがきわめて原理的なんですね。さらにそこから出てくる作品はほとんどすぐれている。浅田 場合によっては彼がそうしたのかもしれない(笑)。
柄谷 いや、そうですよ。グリーンバーグはまさに活きた批評家だった。そして、ぼくがグリーンバーグの著作集から感じるのは、そういう批評の生きていた時期があったということです。こういう時期はどこでもめったにないでしょう。しかも、ある意味で、彼がそういう「場」そのものを形成したわけですね。
グリーンバーグは、有名なモダニズムの定義のところで、カントを最初のモダニストとして取り上げています。カントは、いわゆる真・善・美として慣習的に分けられてきたものを明確に領域化しました。それは、カントの言う意味で超越論的な、つまり、個々の領域に固有なア・プリオリな原理によって、それらを確定することですね。そのような問題意識がグリーンバーグにおいて再び現れている。たぶん、これは画期的なものだと思うのです。しかし、実は、そういう面だけ見るのはよくないのではないかと思った。たとえば、カントも、時評家ではないとしても非常にアクチュアルに考えていた。理論は何ら判断・認識を保証しないということをよくわかっていた。彼が言う「綜合的判断」とはそういう意味なのです。ところが、カント以後はそのことが忘れられてしまう。グリーンバーグに関してもそういうことが言えるのではないかと思うんです。何か原理で強引にやった人のように見えているけれども、そうではないのではないか、と。浅田 その点、グリーンバーグのなかに両義性があると思うんです。各ジャンルの自己批判を通じた自己純化、それを通じての、たとえば絵画のジャンルで言えば、フラットな平面性への還元というのを、ドグマとして出してしまうと、批評的な部分が失われ、実は歴史的ですらなくなる。それを絵画の還元不能な本質として前もって前提できるんだったら、いままでの絵画史はすべて寄り道だったということにもなりかねないでしょう。それはむしろドクマティックな立場であり、それが歴史を通じて予定調和的に明らかになるという意味ではヘーゲル主義であって、カント主義ではないんですね。それに対して、グリーンバーグが本当に批評的に判断しているときは、作品といわば物自体のレヴェルで遭遇しながら、そのつどほとんど無根拠に判断しているんだけれども、しかしそれが同時に普遍的に妥当しなければならないという形で判断するわけですね。そこのところで、柄谷さんが言われたアカデミックではない批評というのが生きていたんだと思う。ただ、今度はそのグリーンバーグが、いわば大文字の受け手、つまり最高の目ききみたいな形で特権化されることになって、そこに問題が生じてくるわけです。
岡崎 ・・・その見えない物自体のような函(ルビ:ハコ)である<地>に、<絵画>や<芸術>を代入し実体化して自分だけ見えるかのように信じる人が多いから困るんですけれどね。2-2 浅田彰「忘却の淵を超えて―上田高弘氏に答える」 『批評空間』 No.10 1993年 福武書店 pp.40浅田 さっきの話で言うと、アメリカ型モダニズムというのは、メタ・レベルで、各ジャンルが自己批判を通じて自己純化せよというルールをおいた上で、それを、建築なら機能性、絵画なら平面性に自己を還元せよというオブジェクト・レベルのルールに引き下ろして記述したわけですね。それに対して、前に岡崎さんが小林秀雄について言われたように、日本の場合は、そういう記述を行わず、つねにメタ・レベルに留保された曰く言い難い美の<理念>に触れ、それをトートロジカルに反復するだけだ、と。しかし、実は、自分こそがそういう<理念>を直接摑んでいるという思い込みが、背後で両者を共通して支えているんですね。
岡崎 そうですね。クレメント・グリンバーグでも、あるいは藤枝晃雄さんでも、肝心なところで、絵画を描くだけで絵画はのりこえられるとか、平面でありながら平面でないとか、わけのわからない反語形を言い出すところで、残念なことに小林秀雄になってしまうんですね。<真正の>なんて理念をふりまわし始めたら、せっかくの本邦唯一の読むに堪える形式批評も台無しですよ。ただの判断基準なき趣味判断になってしまう。自分だけが特権的にその見えざる理念をにぎっていると主張しているにすぎなくなってしまうわけですから。
柄谷 それはもともとロマン派(シュレーゲル)にあったような事柄ですね。カントがそういうことを背理として指摘していたけれども。
浅田 カントは、美学的判断は主観的であるにもかかわらず原理上はいかなる人にも普遍的に妥当することを要求するという、ほとんどむちゃくちゃなことを言っている。
柄谷 ロマン派はそれをつなぐのがイロニーだと言う。
浅田 グリンバーグのような目ききとその追随者たちとか、小林秀雄とか、そういう特権的な人がけが見られるものだとすれば、それは<理念>ではないんです。とにかく、日本のグリンバーギアンの不思議なところは、きわめてドグマティックな個人崇拝になっているところでしょう。岡崎さんとの往復書簡(『読売新聞』一九九〇年三月二十日夕刊)で藤枝晃雄が書いていたのは、磯崎新は、理論的にはともあれ、卑俗なポストモダニストたちとは区別して評価しなければならない、なぜなら、彼の設計したロサンジェルス現代美術館で講演をしてきたグリンバーグが、建築を認めこそすれ批判しなかったから、と(笑)。これはモダニズムどころかプレモダンそのものでしょう。
岡崎 どういうわけかわからないけれど、この私にだけ見えちゃったっていう人がいるわけね。あるいはそれによって事後的に私という主体性を支えている、そういう話になっちゃう。本人は、私が、とは主張していない。受動的であるかのように装ってしまう。
磯崎 それはいたって日本的なレトリックじゃないの。
岡崎 かもしれないけれど、ドナルド・ジャッドだってほとんど同じレトリックだから。
柄谷 小林秀雄の有名な言葉で、「美しい『花』がある、『花』の美しさといふ様なものはない」というのがある。しかし「美しさ」がないんだったら、「花」もないですよ。美が概念なら、花も概念でしょう。ぼくは「花」なんて見たことがない(笑)。「この花」と言っても、結局は概念から逃れられない。ものを書くなら、そこで勝負するほかない。とにかく概念がいやなら、いっさい物を言わないことだね。「美はひとを沈黙させる」なんてことも、書くべきではない。
浅田 小林秀雄で言うと、私といまここの美しい「花」(あるいはランボーでもモーツァルトでも)との特権的な出会いというトポスがあって、とにかくそれをバーンと出せばみんな平伏するしかない、と。磯崎さんも「見えない制度」で言われるように、その安っぽいトリックをもっとも鮮烈に批判したのは高橋悠治でしょう。
"・・・われわれは、アメリカにおけるクレメント・グリンバーグのようなモダニズムの正統を代表する批評家が日本にはおらず、モダニズムのハード・コアをディコンストラクトすべきポストモダニズムが表面的に空回りしてしまったのはそのせいであるかもしれない、と述べた。上田氏によれば、ここには「作為的」な「黙殺」がある。上田氏が「私淑している」ことを隠さない藤枝晃雄という「真正なモダニスト」が日本にいるにもかかわらず、われわれはその名をあげていない、というのである。しかし、それを言うなら、われわれが他の誰の名をあげているだろうか。"
そのほかの参考文献
上田高弘「追悼:クレメント・グリンバーグ 稀代のフォーマリストの形式と内容」 『美術手帖』 1994年8月号 p.222
川田都樹子「ユダヤ人としてのクレメント・グリーンバーグ」(研究ノート) 『西洋美術研究』(特集:美術史とユダヤ) No.4 2000年9月 pp.160-165