講義ノート2


精読

1 構成把握

  1-1 構成
(1) pp.44-46 下l.1 :モダニズム、モダニズムの芸術、モダニズムの絵画=平面性
 pp.44-45 上l.3     :モダニズム
 p.45 上l.4-下l.22    :モダニズムの芸術
 p.45 下l.23-p.46 下l.2 :モダニズムの絵画=平面性

(2) p.46 下l.2-p.48 下l.18 :彫刻的なものへの反抗=純粋に視覚的な経験を求めて

(3) p.48 下l.19-p.49 下l.23 :実践の問題

(4) p.49 下l.24-p.51 :伝統の継承


  1-2 分節ポイント
(1)モダニズム、モダニズムの芸術、モダニズムの絵画=平面性 pp.44-46 下l.1

 モダニズムの芸術
 p.45 上l.4  宗教のような活動は、...

 モダニズムの絵画=平面性
 p.45 下l.23 しかしながら、モダニズムのもとで絵画芸術が...

(2)彫刻的なものへの反抗=視覚的な三次元性 p.46 下l.2-p.48 下l.18

 p.46 下l.2 モダニズムの絵画は最近の様相において、...。

(3)実践の問題 p.48 下l.19-p.49 下l.23

 p.48 下l.19 新印象派の作家たちが科学に手出しした時...

(4)伝統の継承 p.49 下l.24-p.51

 p.49 下l.24 そしてまた、モダニズムが過去との断絶といったようなことを決して意図してこなかったということは、...



2 赤線を引くところ、青線の中でも特に重要なところ、緑線を引いたところ

 (1)モダニズム、モダニズムの芸術、モダニズムの絵画=平面性 pp.44-46 下l.1
 p.44 上l.6-9 "私は、モダニズムを哲学者カントによって始められたこの自己-批判的傾向の強化、いや殆ど激化というべきものと同一視している。彼が批判の方法それ自体を批判した最初の人物だったがゆえに、私はカントを最初にモダニストだと考えているのである。"

p.44 上l.10-下l.1 "思うに、モダニズムの本質は、ある規範そのものを批判するために―その規範に独自の方法を用いることにある。"

p.44 下l.6-8 "だが、モダニズムは内側から、つまり批判されている当の諸手順それ自体を通して批判するのである。"

p.45 上l.4-6 "宗教のような活動は、それ自体を正当化するために「カント的な」内在的批判を利用することが出来ずにきたが、それに何が起こったかを我々は知っている。"

p.45 上l.9-11 "諸芸術はあたかも純然たる娯楽に同化していくかに見えたし、また娯楽それ自体は、あたかも宗教と同様に心理療法に同化していくかに見えた。"

p.45 上l.11-14 "諸芸術がこうした低レベル化から自己を救い出せたのは、それらが与える類の経験とは本来的に価値あるものであって他のどんな活動からも得られるものではないことを実証できたからこそである。"

p.45 上l.16-18 "呈示され明らかにされなければならないことは、芸術一般においてのみならず、各々の個別な芸術において、独自のまた削減し得ないようなものは何か、ということであった。"

p.45 下l.1-3 "別の芸術のメディウムから借用されていると思わしき、または別の芸術のメディウムが借用していると思わしきどんな効果でも、ことごとく各々の芸術の諸効果から除去することが自己-批判の仕事となった。"

p.45 下l.10-13 "絵画のメディウムを構成している諸々の制限―平面的な表面、支持体の形態、顔料の特性―は、過去の巨匠たちによっては潜在的もしくは間接的にしか認識され得ない消極的な要因として扱われていた。"

p.45 下l.15-22 "マネの絵画が最初のモダニズムの絵画になったのは、絵画がその上に描かれる表面を率直に宣言する、その率直さの効によってであった。印象派の作家たちはマネに倣って、使用されている色彩がポットやチューブから出てきた現実の絵具でできているという事実に関して疑念を抱かせない状態のもとに眼をとどめるために、下塗りや上塗りを公然と放棄したのだった。セザンヌは、線描とデザインをキャンヴァスの矩形の状態に明確に合わせるために、迫真性と正確さを犠牲にしたのだった。"

p.45 下l.23-p.46 上l.2 "しかしながら、モダニズムのもとで絵画芸術が自らを批判し限定づけていった過程で、最も基本的なものとして残ったのは、支持体の不可避の平面性を強調することであった。平面性だけが、その芸術にとって独自のものであり独占的なものだったのである。"

p.46 上l.17-下l.1 "人は平面の中に何があるのかに気づかされた後にではなく、それより先に、彼らの絵画の平面性に気づかされるのである。人は過去の巨匠の作品を一枚の絵画として見る以前に、その中にあるものを見る傾向にあるのだが、一方モダニズムの絵画では、それをまず最初に絵画として見るのである。もちろんこれは、過去の巨匠のものであれモダニストのものであれ、どんな種類の絵画でも最高の見方なのだが、モダニズムはそれを唯一の必要な見方として強要するのであり、モダニズムがそうするのに成功することが自己-批判に成功することなのである。"

 (2)彫刻的なものへの反抗=視覚的な三次元性 p.46 下l.2-p.48 下l.18

p.47 上l.23-下l.2 "マネと印象派の作家たちによって、問題は線描対色彩として定義されるものであることをやめ、代わって触覚的な連想によって修正されたり変容されたりした視覚的経験に対抗するものとしての、純粋に視覚的な経験の問題になった。"

p.47 下l.10-11 "キュビスムの反革命は結局、チマブーエ以降に見られたどの西洋絵画よりも平面的な絵画になった"

p.47 下l.13-p.48 上l.2 "・・・絵画芸術にとって基本となるその他の諸基準にも同様に綿密な探求が続けられていったのだが、その結果は同じくらい顕著なものにはならなかったようである。・・・額縁の基準は、・・・あるいはまた、仕上げの基準絵具のテクスチャーの基準明暗と色彩の対比の基準も検証されまた再検証されていくのだが、・・・これら全てはさまざまな危険にさらされてはきたが、それは新しい表現のためだけではなく、それらを基準としてより明らかに提示するためでもあった。提示され明確にされることで、それらのことが不可欠のものかどうか検証されるのである。"

p.48 上l.6-8 "逆に規範の基準がより厳密で本質的に規定されるようになればなるほど、ますます諸々の自由を許容しなくなりがちなのである。"

p.48 上l.12-14 "モダニズムは、絵画が絵画であることをやめて任意の物体になってしまう手前ぎりぎりまで無際限に、これらの制限的条件が押し退けられうるのだということに気づいてきた。"

p.48 下l.4-7 "モダニズムの芸術の原理を大筋で示すにあたって、単純化したり誇張したりしなければならなかったことをご理解いただきたい。モダニズムの絵画が自らをその方向へ向かわせた平面性とは、決して全くの平面になることではあり得ないのである。"

p.48 下l.9-18 "・・・しかし視覚的なイリュージョンは許容するし許容しなければならない。表面につけられる最初のひと筆が実質上の平面性を破壊するのであり、モンドリアンの諸々の形状も、依然として一種、三次元のイリュージョンといえるものを示唆しているのだ。ただ現在では、それは厳密に絵画としての、つまり厳密に視覚的な三次元性なのである。過去の巨匠たちは、人がその中へと歩いて入っていく自分自身を想像し得るような空間のイリュージョンを創りだしたのだったが、一方モダニストが創りだすイリュージョンは、眼によってのみ、人がその中を覗きみることができ、そこを通っていくことのできるような空間のイリュージョンなのである。"

 (3)実践の問題 p.48 下l.19-p.49 下l.23

p.49 上l.7-8 "生理学における問題は生理学の中で解決されるのであって心理学の領域の中でではない。"

p.49 上l.8-20 "心理学の領域の中で解決されるためには、まず第一に心理学の領域の中で提示されているか、もしくはその中に移しかえられていなければならない。これと類似して、モダニズムの絵画は、文学的なテーマが絵画芸術の主題になるより先に、厳密に視覚的な二次元の領域に移しかえられているべきだということを要求する―つまりそれは、その文学的な性格が完全に失われるような仕方でそれが移しかえられていることを意味する。実際にはそうした一貫性は、美的な質もしくは美的な成果という点では何物をも約束しはしないし、過去七〇年か八〇年の間の最良の芸術がますますそうした一貫性に接近してきているという事実があっても、やはりこれに変わりはない。以前と同様、今も芸術において重きを成す唯一の一貫性とは美的一貫性であり、それは諸々の結果の中でのみ現れてくるものであって、決して方法や手段の中に現れるものではない。"

p.49 下l.3-4 "それは徹底して実践の問題であり、実践に内在するものであって、決して理論にとっての論題ではなかった。"

 (4)伝統の継承 p.49 下l.24-p.51

p.50 上l.2-6 "モダニズムはそれ以前の伝統を移しかえることを意図しているかもしれないが、しかしそれはまた伝統の継承をも意図しているのである。モダニズムの芸術は、間隙も断絶も無く過去のものから発展しているものであり、それがどこで終わろうとも、常に必ず芸術の連続性という点から理解されるだろう。"

p.50 上l.14-18 "絵画制作は熟慮して諸々の制限を選択し、また制限を創造することを意味している。この熟慮とは、モダニズムが幾度も繰り返していることである。すなわち、芸術を制限する諸条件はとりもなおさず人間の諸制限にされなければならないという事実をはっきりと述べているのである。"

p.50 上l.18-19 "モダニズムの芸術が理論的な論証(ルビ:デモンストレーション)を提起するものではないことを私は繰り返し述べたい。"

p.50 下l.18-19 "現代芸術に関して書かれたものの殆どは、正確に言えば批評というよりむしろジャーナリズムに属している。"

p.50 下24-p.51 上l.6 "いつも、先行する芸術とは非常に異なったもので、実践や趣味の基準から全く「解放」されているために、知識の有る無しにかかわらず誰でもがそれに関してものが言えるような、そういった類の芸術が待ち望まれている。そしていつも、問題のモダニズムの局面が、ついには趣味と伝統の継承として理解されるような位置を占め、そしてかつてと同じような諸々の要求が芸術と鑑賞者になされることが明らかになるにつれて、この期待は裏切られる。"



3 講義用参考図版 ※原文は図版なし

エドゥアール・マネ《草上の昼 食》(1863)、《オランピア》(1863)

ポール・セザンヌ《サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール》(1904-1906)

ヴァシリー・カンディンスキー《コンポジション VII》(1913)

ピート・モンドリアン《ニューヨーク・シティ》(1941-42)

ジャック=ルイ・ダヴィッド《ホラティウス兄弟の誓い》(1784)

ジャン=オノレ・フラゴナール《読書する女》(c.1776)

ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル《トルコ風呂》(c.1859-63)

チマブーエ《荘厳の聖母》

クロード・モネ(1840-1926)《日本風の橋》(c.1918-24) ※言及されているのは「晩年のモネ」(p.48 下l.1-2)

ジャン=バプティスト=カミーユ・コロー《モルトフォンテーヌの思い出》(1864)

パオロ・ウッチェルロ《サン・ロマーノの戦い:ミケレット・ダ・コティニョーラの援軍》

ピエロ・デラ・フランチェスカ《モンテフェルトロ祭壇画(ブレラ祭壇画)》

エル・グレコ《オルガス伯爵の埋葬》

ジョルジュ・ド・ラ・トゥール《悔悛するマグダラのマリア》

ヤン(ヨハネス)・フェルメール《絵画芸術》

ジォットー・ディ・ボンドーネ《キリストの哀悼》(スクロヴェーニ礼拝堂壁画:キリストの生涯)

レオナルド・ダ・ヴィンチ《岩窟の聖母》

ラファエルロ・サンツィオ《ガラテアの勝利》

ティツィアーノ・ヴェチェリオ《ウルビーノのヴィーナス》

ピーテル・パウル・ルーベンス《三美神》

レンブラント・ファン・レイン《バテシバ》

ジャン=アントワーヌ・ヴァトー《シテール島の巡礼》 ※テキスト中では「ワトー」(p.50 下l.12)