講義ノート1


1 ゴンブリッチの位置づけとメンタル・セット

  1-1 『美学事典 増補版』 竹内敏雄編 弘文堂 初版:1961年、増補版:1974年 pp553-4:プリント配布

   ●イコノロジーの目的と限界
『象徴的イメージ』(Symbolic images, 1972)
"――芸術解釈は作品の意味を明らかにすることである。ところで形象(image)の意味については、普通、再現的意味、主題的意味、象徴的意味などの諸層が分けられるが、これとは別の観点からみると、われわれが言語的陳述によって伝える意味のように、意図された意味と、われわれが自然の事物に対して与える意味のように、単に付与された意味とがある。この両様の意味のうち芸術解釈が解明すべきものは前者に限定すべきである。そしてその際はまず作者の意図がどのようなジャンルに属する作品をつくることにあったかを明らかにする必要があり、かくしてはじめてそのコンテクストのなかで個々の形象の解釈を行うことができる。ところで一般に図像学は作品の図像とそれによって絵解きされている原典(text)との同一性を証明するものと考えられているが、これに対してイコノロジーは図像と原典との知識にもとづいて、芸術家とこれに注文を与えたパトロンの計画を再構成し、形象と主題との間隙の橋渡しをすることを目的とする。ことにルネサンス美術などには原典の一義的な絵解きではない形象が多いから、制作者の意図した意味を解明する要があるのである。ただ与えられた形象だけをもとにして本来の計画を証明することは、いわば失われた証拠を探究する、困難な作業であるから、解釈におのずから限度があるといわねばならない。"

『木馬についての省察』(Meditations on a hobby horse or the root of artistic form, 1951 邦訳:『棒馬考』)
"描かれた形象を絵の外にある実在あるいは想像上の対象との照応関係において見るのは、形象創造の根源を誤解することになると主張"
 ↓ さらに大規模に展開
   ●メンタル・セット
『美術とイリュージョン』(Art and illusion, 1960 邦訳:『芸術と幻影』)
"時代や民族の相違によって、視覚世界の再現の方式が異なるのは、もともと絵画が視覚世界の忠実な描写ではないからである。画家の追求するのは物理的世界の本質ではなく、世界に対する反応である。しかも画家は視覚的印象から出発するのではなく、自己の観念からはじめる。画家は伝統的慣習的表現方式になじんでおり、そのためおのずから一定の心がまえ(mental set)をもって対象を見ることになる。画家は見るものを描くよりは、描かれたものを見る傾向があり、いわば既成の図式(schema)を前提として、これに各自の修正を加えるのである。ただ時折天才的な画家が出てそれまでとは別の新しい視覚言語を創造し、様式に一大変化を生ぜしめる。"
  1-2 テキスト「あとがき」(坂崎乙郎) p.529

   ●心理学
"ヴァールブルクは大変な蔵書家であった。生前、彼は六万五千の本を集めていたといわれるが、これらは一九三三年ロンドンに移され、こうしてウォーバーグ研究所の設立をみた。現在では、蔵書の数は十五万をこえるという。
 ゴンブリッチはこの研究所長である。当然ゴンブリッチの研究も限られたものではない。彼はあらゆる創造行為をひとしなみにとりあげ、先史時代も現代も、カリカチュアも絵画もひとしく「見ること」の対象とし、とくに心理学を基本にすえて芸術をあらたに考察しなおしたのである。"
  1-3 ウード・クルターマン『美術史学の歴史』 勝國興、高阪一治訳 中央公論美術出版社 1996年5月 p.375-8

   ●研究対象の拡大
p.375 "彼が当初から目標としたのは、美術の心理学的基礎づけであった。"

p.376 "ゴンブリッチは美術制作過程の源泉を詳しく解明すべく、広告図案や風刺漫画の実例までも考察の対象に含めた。われわれの時代に視覚的伝達の新しい可能性として、従来の美術の可能性に新たに加わった映画とテレビも、彼によって十分に論じられている。こうして彼は、ジョットの業績を明らかにするためにも、立体幾何学に基づく立体映画を見ることを勧めたのである。"

p.376-7 "ゴンブリッチは、先史美術と同時代の美術の間に境界を設けない。彼が見るのは、あらゆる創造的なものの間の繋がりであり、共通のものである。それゆえ彼はこの視点から新たに美術の通史を綴り、従来は他の学問のためにとっておかれたものを、たとえば先史時代、古代、東アジア、風刺漫画、新しいマスメディアなどを取り込むことができたのであった。なによりも彼が求めたものは、専門家ばかりを相手に考えられていた美術史研究の枠を越えることであった。"

p.377-8 "ゴンブリッチは彼の仕事において美術史研究の領域をたいへん広く設定したが、このことは、数年前までは乗り越えられないと思われていた壁を同時代の創造的な美術が壊してしまった事実を眼すれば、意外なことではなかった。同時代の大衆社会に新しい美術の見方が生まれ、長らく軽視されてきた主題や材料もすべて美術に取り込まれるようになれば、美術ならびに美術史学の本質と機能についてあらためて深く考えざるをえない。アメリカに代表される現代の大都市文明の日常生活と決まり文句に対して、もはや尊大にも心を閉ざすことのなくなった美術史学の方法にとっては、ポップ・アートの現象も対等の価値をもつ研究対象たりうるのである。"

2 講読テキストについて

  2-1 高階秀爾『美の思索家たち 新装版』 青土社 1987年 pp.

   ●『芸術と幻影』の方法論的特色
L. D. エットリンガー「今日の美術史学」(1961年3月9日の就任講義)
"……いささか単純化し過ぎる危険を冒すことにもなりましょうが、私は『芸術と幻影』の方法論的達成を次のように規定したいと思います。すなわち、イコノロジーは、美術研究を思想の歴史の必要な一部分とすることによって、それまでの自律的形式による美術史に終止符を打ちました。ゴンブリッチ教授は、彼自身優れたイコノロジストでありながら、美術史家は絵画表現に対して視覚的知覚と伝達の科学的理解がなければ自分のあつかう材料を十分に理解することができないということを証明しました。このことは、美術史研究の重要な再編成を意味します……。"

"……ゴンブリッチ教授の著書について最も重要なことは、彼が様式の問題を美学的考察という混沌の国から救い出し、ヘーゲルの歴史主義の牢獄から解放したことにあるように思われます。『芸術と幻影』以後、もはや様式の問題を《純粋ヴィジョン》の言葉で語ったり、様式を単にある時代、ある民族の表現であると考えたりすることはできなくなりました。今や様式の問題は、それが属する本来の場所、すなわち知覚の心理学の中に置かれることとなりました。ゴンブリッチの言うように、《様式は……、さまざまの偏向や変化をきわめて鋭敏に記録する心的構造、広い地平線を提供してくれる。心は、さまざまの関係に注目しながら、その奥にある傾向を記録する。このような方法によってのみ理解し得るような動きは、美術の歴史に数多く指摘することができる》のであります。"
  2-2 テキスト「あとがき」(坂崎乙郎) p.530-31

   ●「見える部分の呪縛」と「見ることの無限」
"『芸術と幻影』の意図するところは、ゴンブリッチ自身「再現から表現へ」の終章で述べているように、私たちが「見える世界を新たな眼で見直すことを教えながら」なおかつ心の、見えない領域をのぞき込むようなイリュージョンの存在を指摘している点だろうか。  その意味では、人間はまだまだ見える部分に呪縛されて、この豊穣な世界のかくれた部分を見すごしているのである。それは私たちが知り得た結果を、見ることの限界と感ちがいしているためであって、見ることと知ることはつねに直接的に、グローバルに影響し合ってのみ成育することを忘れているためであろう。つまり、私たちは見ることの無限を放棄しているのだ。"