講義ノート4


関連文献

加藤哲弘「絵を読む? ―ゴンブリッチと美術の解釈学―」 『美学』 第39巻第3号(1988冬) pp.1-12

1 赤線を引くところ、青線の中でも特に重要なところ

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p.1 下段 l.9-11 "...そこで彼は、 美的なものを合理化しようとするあまり、イメージを必要以上に概念に近づけてしまっているように見えるのである。"

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p.2 下段 l.4-9 "わたし たちは、与えられる情報を、正直に下から上へと積み上げながら外界を認識しているわけではないのだ。わたしたちが何かを認識するときには、一貫性のある意味をまとめ上げようとする能動的で自発的な上からの把握がいつも先行する。外界のイメージは、情報の取捨選択と想像力の拡大適用によって構成されるのである。"

p.3 上段 l.2-4 "ゴンブリッチは、こうした想像力の誘導によってイメージが成立するための条件として、1.等価系の存在、2.スクリーンの存在、3.観者のメンタルセット、の三点をあげている。"

p.3 上段 l.10-6 "...ゴンブリッチは、絵画の意味作用を、慣習的な規約によるものだと考えようとする。彼によれば、イメージがなにかに見えてくるのは、それが自然をコピーしているからではない。それは、わたしたちが、文化的な規約の産物であるこの等価系をほとんど自動的に選択して、その中で想像力を拡大適用した結果だ。画家たちは、自分たちが選択したこの等価系を作品の中に組み込む。"

p.3 上段 l.20-3 "...美術に歴史があるのは、「形」が自律的な展開をするからでない。それは、形づくりの条件となる、この等価系の結びつきが、そのつど社会の政治的な状況によってさまざまだからである。"

p.3 上段 l.24-下段 l.1 "次に、スクリーンの存在について。これは、観者がそこにイメージを投射するための媒体になるもの、具体的には、作品の中で選択され結合された等価系のネットワークであって、投射する際には透明になる。"

p.3 下段 l.7-11 "...観者のメンタルセット、つまり観者自身の想像力が自分の所属する文化によって習慣づけられている状態のことである。言葉を換えて言えば、これは観者が絵を読む前に無意識のうちにすでに選んでいる等価系のことであり、いわば観者の「期待の地平」を形成する。"

p.3 下段 l.21-p.4 上段 l.2 "ゴンブリッチのイメージ理論の第二の要点は、観者の想像力の投射によるイメージの形成過程が、論理的な問題解決のプロセスをモデルにして説明されている点である。
 ここで重要な役割を果たすのが「図式」という言葉である。ゴンブリッチは、この語を、「図式と補整」という対概念のかたちで用いて、知覚一般の試行錯誤的な性格を心理学的ないし動物行動学的に説明しようとする。
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p.4 上段 l.2-8 "ものを見るという行為は、…(中略)…情報を手にいれようとするわたしからの自発的な働きかけがまず先行し、その結果が修正されながら以後の働きかけに組み込まれていくという、フィードバック的な相互作用としてとらえられるべきものである。"


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p.5 上段 l.8-10 "第一に、ゴンブリッチにとって、解釈とは、過去を証言する痕跡としての作品から、作者による作品制作という出来事を復元ないしは再構成することを意味する。"

p.5 下段 l.2-4 "ゴンブリッチにとって、学問的解釈とは、歴史的事実に対応した唯一の正しい意味を決定することであり、過剰な解釈や解釈の神秘化に対して警戒と批判を怠らないことなのである。"

p.5 下段 l.5-6 "ゴンブリッチの解釈理論の第二の要点は、彼が、解釈の妥当性の根拠として、作者の意図を想定しているということだ。"

p.6 上段 l.12-5 "...彼は、「意図」を「プログラム」と読み換えて、作者によるイメージ形成の原因を社会的なコンテクストのなかに求めていくよう提案する。"

p.6 上段 l.17-20 "ゴンブリッチ は、絵の意味をこうして、絵を見ることだけではなく、当時の社会的コンテクストという、文献などによって客観的に再構成できる連関に還元することで、合理的な論証活動を美術史にも保証しようとするのである。"

p.6 下段 l.2-10 "...現在に伝わる作品と、過去の歴史上のコンテクストとの間のギャップを埋めていくことが必要になる。しかし、関与性がないという理由で、解釈者自身の想像力の介入を排除してばかりいると、この作業で出来上がるのは概念の枠ばかりで、いつまでたっても中身が充填されない。当時の歴史的状況と、その状況のもとでの作者による意思決定を証言する「痕跡」としての作品、この両者の間の「失われた輪」は、人間の意志が自由であることを否定しないかぎり、いつまでたってもみつからないことになる。"

p.6 下段 l.24-p.7 上段 l.3 "たしかに、解釈される絵そのものが不確定で「開かれた」構造を持っている以上、解釈に解釈者自身のメンタルセットが図式として投射されてくることは避けられない。しかし、ゴンブリッチには、歴史家の想像力が、この障害を乗り越えていくことに対する楽観的な確信がある。"


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p.7 上段 l.19-20 "...彼によれば、解釈すべき意味はただひとつ、作者が意図した意味以外にはない。"

p.7 下段 l.2-9 "作品が制作の事実を証言する痕跡だということは否定できない。しかし、だからといって、その作品がわたしたちにもたらすイメージの意味を、なぜたったひとつに正統化する必要があるのだろうか。また、仮にその必要があるとしても、作品成立の原因となった意図を、なぜひとつに限定することが可能だと言えるのだろうか。作者の心理的な意図を、作者に指示を与えた社会的コンテクストに読み換えてみても、関与性がないことの推理はできても、関与的な意味がひとつしかないという証明はできないはずだ。"

p.8 上段 l.16-19 "...イメージのテクストであれ、文字テクストであれ、その意味の豊かさは、そのつどの具体的な状況への適応という一種の生産的な誤解の中で確保されている。"

p.8 下段 l.10-14 "...ひょっとしたら科学の論証手続きの場合でもそうかもしれないが、この試行錯誤の繰り返しが真理を保証してくれるかどうかは、実は非常に疑わしい。検証手続きの中で切り捨てられる「間違った仮説」とは「ありえない事実」ではなく、「蓋然性の低い仮説」にすぎないからである。"

p.8 下段 l.18-24 "解釈、特にイメージの解釈には、解釈者が自分の価値を投射しながら不確定なテクストを確定的なものに作り上げていくという、一種の観念の虚構という側面がある。したがって、この解釈が、「事実に対応」しているかどうかを確認することは基本的に不可能だ。ある解釈が別の解釈よりも正しく見えてくるのは、その解釈が実行されている論証共同体内部で、あらかじめ設定されている取り決めに従ってそう見えてくるにすぎないのである。"

p.9 上段 l.2-4 "この彼の、いわば合理主義のイデオロギーともいうべき、解釈に対する楽観的な態度は、直観を最終的には合理化できると考える彼の哲学ないしは美学上の基本姿勢にもとづいている。"

p.9 上段 l.15-19 "...イメージは、言葉とは完全に異質なものであることを認められながら、それにもかかわらず、言葉から切り離されてそれ自体で存在することを許されない。
 これは、美的なものを美的でないものから切り離して、その純粋さを強調していた近代の美的なもの中心主義に対する批判のひとつだということができるだろう。
"

p.10 上段 l.14-21 "たしかに、観者は、絵を読まないことはできない。しかし、最後まで絵を読みきって、その意味を一義的な言語の陳述に還元することはなおさら不可能だ。むしろ、理解の形成に対する絵の否定性によって、いつも読みの完成を頓挫させられてばかりいるのが観者だ。そのことを考えれば、ひとつの意味に還元しないこと、つまり、美的な直観を最終的に概念的な理解に解消させてしまわないこと、そうした態度こそ、美術の解釈学に最も望まれることであるように思われてくる。"


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p.11 上段 l.1-4 "...美術の研究が美学の理論から切り離されてしまえば、その研究は、創造性に欠け、単に機械的で能率的であるだけの作業になって、説得力を失ったり、あるいは、無神経な強制力を発揮したりしてしまうことになりかねないからである。"


2 緑線を引いたところ

p.5 上段 l.18-20 "こうした、歴史的事実に対する謙虚な態度は、解釈学の理論としてみれば、啓蒙主義の伝統にそったいわば正統派の見解だと言っていいだろう。"

p.6 下段 l.11-7 "...彼の解釈の原則は、あくまでも事実への「対応」という点にあろうのだが、解釈者の主観的恣意の介入による誤解を避けようとする啓蒙主義的な警戒心が邪魔になって、この原則がいつまでたっても実現されない。実は、これは解釈学にとってはおなじみのディレンマである。伝統的な解釈学は、この難問を「感情移入」ないしは「直感的察知」というロマン主義的な方法によって解決しようとした。"

p.8 上段 l.2-3 "ただ名目だけの意味を削り落とすことは、解釈の信頼性を高めるためには必要だろう。"

p.8 上段 l.6-12 "...まず、イメージの意味をオリジナル・インテント(当初の意図)から構成しようとする論証ルートは、それとは異なる論証規則を持つ、ほかの解釈共同体との間の意思疎通を困難にしてしまう。その結果、すでにそうした歴史学のパラダイムを離れてしまった、文学研究や社会研究との間の議論の交流が困難になり、ただでさえ理論活動から疎遠になりがちな美術史学が、人文諸学科の中で孤立する状況が生まれてくる。"

p.8 上段 l.25 "...ルールは、ファウルの積み重ねによって修正されていく。"

p.10 下段 l.10-12 "イメージと言葉、直観と概念の関係を考えるという、この基本的な意味で、ゴンブリッチは、美学者なのである 。"