講義ノート4
序論精読3
2 イコノログラフィー/イコノロジーの実践:ルネサンスのイコノグラフィー/イコノロジー前史
p.20〜
2-1 分裂した状況の例示
p.20 l.1-2-4 さて、イコノグラフィー一般の問題からルネサンスのイコノグラフィーという特殊な問題に目を向けると、当然われわれはルネサンスという名称そのものが由来した現象、すなわち古典古代の再生ということにもっとも興味をひかれよう。
p.20 l.15-7 しかしながら重要なのは、まさに中世の最盛期(十三-十四世紀)にあっては、古典の「モティーフ」は古典の「テーマ」を表現するのに用いられず、また一方、古典の「テーマ」は古典の「モティーフ」によって表されることはなかった、という点である。
2-1-1 古典の作品を意識的に模倣:テーマの変更
事例1:ヴェネツィア、聖マルコ寺院ファサードの2つの浮彫:《エリュマントスの猪を運ぶヘラクレス》(図5) 3世紀(?)と《救済の寓意》(図6) 13世紀
・両者のモティーフは非常に似ている
・時代は約1000年隔たっている
・(図5):エウリュステウス王の所にエリュマントスの猪を運ぶヘラクレス
※変更点
・獅子の毛皮→大きく波打つ衣
・驚愕する王→竜
・猪→牡鹿
・神話の物語→救済の寓意
異教のテーマをキリスト教のテーマに変更:12-13世紀のイタリア、フランスに多数の作例
例:聖ジル寺院とアルルの寺院の彫刻
ランス寺院の「御訪問」群像
ニコラ・ピサーノ《マギの礼拝》(聖母マリアと幼児キリストの像が、ピサのカンポサントにあるファイドラの石棺の影響を示す)、《説教壇》 1260年 大理石 高さ465 ピサ、洗礼堂
2-1-2 古典モティーフの再解釈(生き残り)
事例2:《ディドの前のアエネアス》(図12)、《ピュラムスとティスベ》(図11)
アエネアスとディド:英雄と恋人→ダヴィデと預言者ナタンにも似た二人
ピュラムスとティスベ:ゴチック墓石の上でピュラムスを待つティスベ
*参考図版
フランチェスコ・ソリメーナ《アイネイアスとアスカニオスに扮したクピドを迎えるディド》 1720年代 油彩・カンヴァス 207.0×310.0 ロンドン、ナショナル・ギャラリー
ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ《ディドにアスカニオスに扮したクピドを紹介するアイネイアス》 1757年 フレスコ 230.0×240.0 ヴィセンツァ、ヴィラ・ヴァルマナラ
ニコラ・プッサン《ピュラムスとティスベのいる嵐の風景》、(部分) 1651年 油彩・カンヴァス 192.5×273.5 フランクフルト、シュテーデル研究所
預言者ナタン:Nathan[英・独・仏] 「贈り物」の意。ダビデの宮廷預言者。ダビデの宮廷の出来事に3度現れる。神殿を建てる計画について相談されたとき、ダビデでなくその子がそれを建てること、およびダビデの王朝が長く続くことを約束した(サムエル記下7.1-17)。次に、ダビデが姦通によってバテシバを得、その夫ウリヤを殺したとき、ナタンはたとえをもってダビデを激しく非難した(12.1-15)。また、王位継承問題のとき、彼は祭司ザドクやベナヤなどと共にソロモンを支持し、その母バテシバを使って、ダビデの口からソロモンを王にすると宣言させることに成功した(列王紀上1.5-45)。(『キリスト教人名辞典』 日本基督教団出版局 1986年2月 p.1011)
ピュラムス:ピュラモス Pyramos[希・独]、Pyramus[羅・英]、Pyrame[仏] 【希神】 オヴィディウスによってのみ知られる伝説的人物。彼とティスベはバビロンで隣り合って住んでいた恋人同士であったが、彼等の両親が結婚を許さなかったため、ニノス(Ninos)の墓で会うことにした。ティスベは獅子に出会ったので外套を捨てて逃げ、獅子はその外套をくわえた。ピュラモスは彼女の外套に血痕があるのを見て彼女が死んだと思い込んで自殺し、彼女は彼の屍を見てその後を追った。(『岩波 西洋人名辞典 増補版』 岩波書店 1981年12月 p.1124)
ティスベ:[希]Thisbe、[羅・英・独]Thisbe【希神】 ピュラモスの恋人。(『岩波 西洋人名辞典 増補版』p.848)
p.22〜
2-2 分裂の原因1:造形上の伝統と文献上の伝統との相違
p.22 l.8-9 ...この奇妙な分裂の原因をわれわれが探るとすれば、その明確な解答は、造形上の伝統と文献上の伝統との相違に求められるだろう。
2-2-1 直接目に見える手本の下に制作
事例3:「アトラス」(図8)、(図9)と「福音書記者」(図7)、(図10)
ヘラクレス→キリスト
アトラス→福音書記者
2-2-2 文献資料の中に見出される記述をそのままイメージに変えた
メディア→中世の王女
ユピテル→中世の裁判官
2-2-3 文献上の伝承の重要性
p.22 l.16-9 ...中世を通じて存続させた文献上の伝承は、中世研究家のみならず、ルネサンスのイコノグラフィーを研究する者にとっても非常に重要である。なぜなら、イタリアの一四〇〇年代においてさえ、多くの人々が古典の神話とそれに関連する物語についての概念をえてたのは、純粋な古典の原典よりはむしろ、複雑で当初の形が損なわれてしまったことの多かったこの伝承からであったからである。
2-2-3-1古代後期の著述
マルティアヌス・カペラ『メルクリウスと学識との結婚』
フルゲンティウス『神話集』
セルウィウス『ウェルギリウスについての註解』
2-2-3-2中世における発展
・百科全書:ベード、セビーリャのイシドルス、ラバヌス・マウルス(9世紀)、ボヴェのウィンケンティウス、ブルネット・ラティーニ、バルトロマエウス・アングリクス
・中世の註解書:「マルティアヌス・カペラの『結婚』についての註解書」:ヨハネス・スコトゥス・エリウゲナなどのアイルランドの学者たちによる註解、オーセールのレミギウスによる註註解書(9世紀)
・専門的な論述:『ミトグラフス I・II』、アレグザンダー・ネッカーム『ミトグラフス III』(中世神話誌の決定的な要覧)
・さらに一段と発展(『ミトグラフス III』以後):『教訓化されたオウィディウス』(仏語)、ジョン・ライドウォール『フルゲンティウス・メタフォラリス』、ロバート・オールコット『教訓劇』、『ローマ人の偉業』、『教訓化されたオウィディウス』(羅語)
ピュラムス→キリスト
ティスベ→人間の魂
ライオン→人間の衣をけがす悪魔
サトゥルヌス→聖職者の範
『教訓化されたオウィディウス』(羅語)序文→『アルブリクス、神々の像についての小冊子』
・新しい出発:ボッカッチョ『異教神系譜論』:古代の原典との照合作業、ルネサンス期のL・G・ギラルドゥス『異教神誌集成』の先駆
中世における神話誌の中心=アイルランド、北フランス、イングランド
→前人文主義運動(古典のモティーフを無視して古典のテーマに関心)が北ヨーロッパを中心に展開
↑
↓
前ルネサンス運動(古典のテーマを無視して古典のモティーフに関心)はプロヴァンスとイタリアを中心に展開
p.25 l.16-p.26 l.1 "ペトラルカが彼の祖先であるローマの神々の記述をするにあたって、一イギリス人によって書かれた要覧を参照しなければならなかったということ、また十五世紀にウェルギリウス『アエネイス』の挿絵を描いたイタリアの写本画家たちは、『トロイア物語』の写本やその流布本の写本挿絵に頼らねばならなかったことなどは、われわれが本来のルネサンス運動を理解するために、ぜひとも心にとめておかねばならない重要な事実である。"
→いわば「伝統のねじれ現象」
事例4:レミギウス『マルティアヌス・カペラについての註解』に基づいて描かれた写本装飾(図13)
アポロ→農夫の荷馬車に乗り、手に三美神のブーケ
サトゥルヌス:神々の父→ロマネスクの柱像
ユピテルの鷲→光輪(聖ヨハネの鷲、聖グレゴリウスの鳩のように)
p.26〜
2-3 分裂の原因2:意識的な放棄=歴史的感覚の欠如
p.26 l.13-7 しかしながら、造形上の伝統と文献上の伝統とを対比させて示すことも重要ではあるけれども、それだけでは、中世盛期の美術を特色づける古典の「モティーフ」と古典の「テーマ」のあの奇妙な二分裂は説明されない。…(中略)…この造形上の伝統は、中世が完全に自己の様式を作りあげてしまうと直ちに、完全に非古典的な性質をもつ表現への好みのために、意識的に放棄されてしまったからである。
2-3-1 非古典の型への転換
・殉教図中の異教の偶像
・磔刑図中の太陽や月の表現
カロリンガ朝=太陽の四頭立て馬車、月の二頭立て馬車(完全な古典の型)→ロマネスク、ゴチック=非古典の型
2-3-2 古代後期の挿絵の模写の存続と廃棄
・カロリンガ朝までは効力を発揮していた:テレンティウスの喜劇、ラバヌス・マウルス『百科全書』に混入された諸文献、プルデンティウス『霊魂の戦い』の中の科学、特に天文学の論述(神話→星座、惑星)
=>遅くとも十三-十四世紀までにはこうした古典のイメージが見すてられた
事例5:造形上の伝統により古代の原型と結びついている作例(図40)、(図69)とそれらがまったく忘れられてしまったあとの作例(図14)
・ウェヌス→リュートを弾いている、または薔薇の香を嗅いでいる当世風の若い女性
・ユピテル→手袋を持つ裁判官
・メルクリウス→年老いた学者、または司教
※造形上の伝統が続いていた場合でも、古典の「テーマ」と古典の「モティーフ」の分離が行われた:中世文化が頂点に達したため、見すてられた
2-3-3 中世精神にとっての古代:継承と懸隔
継承
・カエサル、アウグストゥス←ドイツ皇帝
・キケロ、ドナトゥス←言語学者
・ユークリッド←数学者
・アリストテレスの諸概念の利用←スコラ哲学者
・古典作家の詩文の借用←中世の詩人
懸隔
・古典の世界=遠い国のおとぎ話
・ヴィヤール・ド・オンヌクール:ローマの墳墓=「サラセン人の墳墓」
・アレクサンドロス大王、ウェルギリウス=東方の魔法使い
・古典を言語学の対象として考えた者はいない
・古典を考古学の対象として考えた者はいない
p.30 l.7-13 "ひとたび中世独自の文化基準が確立してしまい、芸術における中世独自の表現方法が見出されてしまうと、当時の人々にとって、同時代の世界の諸現象と何らかの共通分母を持たない現象は、どんなものであれ、享受することも、あるいは理解することすらもできなくなってしまったのである。…(中略)…またティスベであれば、ゴチックの墓石のそばに坐る十三世紀の少女として描かれていたなら、鑑賞することもできたであろう。しかし、もしもティスベが、古典的な墓陵のそばに坐る古典風のティスベとして描かれれば、それは、これを見る人々にとってその認識できる範囲をはるかに越えた、一つの考古学的な復原となってしまったことであろう。"
*参考図版
ウスタッシュ・ル・シュウール《先祖の墓に彼の母と兄弟の遺灰を収めるカリギュラ》 1647年 油彩・カンヴァス 167.0×143.0 ウィンドソー、王室コレクション
文字:「カピターリス・ルースティカ」→角張った盛期ゴチックの文字(カロリンガ朝のライデン写本Voss. lat. 79の解説文)
p.30〜
2-4 分裂の原因3:情緒上の相違
p.30 l.17-9 しかしながら、このように、古典の「テーマ」と古典の「モティーフ」が内的に「一つであること」が理解されなかったのは、歴史的感覚の欠如によってのみ説明されるのではなく、キリスト教中世と異教古代との情緒上の相違によっても説明される。
2-4-1 人間の観念の違い
古代:肉体と魂が完全に統合したもの
中世:不死なる魂に結びつけられた「土くれ」
2-4-2 中世の古代受容
1) 聖書や神学のテーマに役立つ場合
2) 世俗的な場面では中世風に置きかえられた
p.31 l.3-6 "こうした中世的観点から見て、ギリシア・ローマ美術において有機的な美や動物的な情熱を表していた優れた美術上の方式が受け入れられるように思われたのは、それに超有機的、超自然的な意味が与えられた場合、つまり、それが聖書や神学のテーマに役立つものとされた場合に限られていた。"
p.31 l.6-9 "これに対し世俗的な場面では、この方式は、宮廷風の作法とか紋切り型の感傷からなっていた中世的な気分にふさわしい別の方式に置きかえられたのは当然であって、たとえば恋や残酷な行為に狂う異教の神々や英雄たちは、その容姿や振舞が中世の社会生活の規範と一致する当世風の王子や王女たちに表されたのである。"
2-4-3 中世とルネサンスの作例比較
事例6:「エウロペの誘拐」:十四世紀の作例(図15)とデューラーの素描(図16)
十四世紀の作例
・情欲的な興奮などほとんど示していない者たち
・中世後期の衣裳に身をつつんだエウロペ
・朝の乗馬を楽しんでいる若い女性
・おとなしい小さい牡牛
・彼女の仲間たちは、静かな傍観者の小群を成し
※"この挿絵画家は、動物的な情欲を視覚化することもできなかったし、そうする気もなかった"
デューラーの素描
祖形:"イタリアの原型を模写したものと思われる"
"...もととなったのは、牡牛をキリストにエウロペを人間の魂になぞらえた散文の文献ではなく、アンジェロ・ポリツィアーノが素晴らしい二連の詩のなかによみがえらせたところのオウィディウス自身の異教の詩なのである。"
・生き生きした感情の動きが強調されている
・エウロペのうずくまった姿勢
・はたはたと波打つ髪
・風で後ろになびく衣
・露わになった優美な肉体
・両手のしぐさ
・牡牛の頭のぬすみ見するような動き
・嘆き悲しむ仲間たちが散らばっている海岸
・海岸そのものが、…(中略)…「水中の怪物たち」の生命で蠢いており
・サテュロスたちは誘拐者に歓呼の声を送っている
*参考図版
ティツィアーノ・ヴェチェリオ《エウロペの略奪》 1559-62年 油彩・カンヴァス 185.0×205.0 ボストン、イザベラ・アンド・スチュアート・ガードナー美術館
フランソワ・ブーシェ《エウロペの略奪》 1734年 油彩・カンヴァス 234.0×277.0 ロンドン、ウォーレス・コレクション
2-4-4 イタリア・ルネサンスの特色
・古典の「テーマ」と古典の「モティーフ」の再統一
・人文主義的な出来事であるのみならず、人間主義的な出来事
・「世界と人間の発見」(ブルクハルト、ミシュレ)
p.32〜
2-5 結び:次章以下の目的
新しい表現形式:古典の過去への単純な復帰でありえなかった
中世を経ることによる:
・精神の変化
・趣向と創造的傾向の変化
中世とも、古典とも異なり、両者に関係をもち、両者に負っている新しい表現形式
p.33 l.5 こういう創造上の相互浸透の過程を示すことが次章以下の目的である。
*印を付した作品は『イコノロジー研究』中にない参考図版