2.アジア・ブーム渦中の言説の検討
2-2. 質的転換と領域的拡大
2-2-1. 質的転換
2-2-1-1.谷新『北上する南風』(1993年)に対する書評より
ただ「ニュー」というのみの質
藤枝晃雄「日和見主義者が南下する」、『現代芸術の不満』、東信堂、1996年2月、54-55頁(初出:『週刊読書人』1993年12月24日)
"あるときは遠藤利克を、またあるときは山田正亮を認めてきたこの傾向批評家は、同様の手つきで東南アジアの作家たちをひとしなみに平準化し礼賛する。質的判断はただ新しい傾向のなかの選別にのみある。…(中略)…顧みるに、この立場なき立場こそが日本の美術を閉塞させたのであり、そしていまその代替として南方の「ニュー・アート」が求められている。"
2-2-1-2.『亜細亜散歩』図録より
キッチュが「独自のもの」に変わるとき
樋口昌樹「タラコスパゲティが和食になるとき」、『亜細亜散歩』図録(資生堂+水戸芸術館、2001年)より
"今日の日本で、よく食される料理のひとつにタラコスパゲティがある。本格的なイタリア料理屋のメニューには載っておらず、さりとて和食とも呼ばれないタラコスパゲティ。和洋折衷から生まれ、まだそれが様式にまで洗練されていない中途半端な存在。"(8頁)
"北京、ソウル、台北、東京。これらの都市は欧化が進む中で、程度の違いこそあれ、それぞれに混沌とした「タラコスパゲティ」的状況を迎えている。本展で紹介する5人の作家たちは、それぞれの都市の混沌とした日常を直視し、そこから新しいものを創り出そうとする強い意志を持っている。彼らが見つめているのは、「タラコスパゲティ」が和食と呼ばれるときだ。"(11頁)
2-2-2. 領域的拡大
2-2-2-1.谷新『北上する南風』(1993年)「あとがき」
今まで目を向ける機会の少なかったアジア地域への熱い視線
"私にとってアジアの現代美術を考えるようになったのはそう昔のことではない。韓国の作家については多少解説したこともあったが、他のアジア諸国の作家、現代美術の事情について触れることは一九八〇年代までは皆無だったと言ってよい。これをもって一般論にはできないが、このことはほぼ日本の現代美術の事情と同様である。欧米の美術状況についてはへたな欧米の美術関係者より詳しい。しかし、足元の地域、各国の美術については、韓国など日本の美術の進展と緊密な関係にある一部を除き、ほとんどその輪郭すらつかめないし、またつかむ必要すら急には感じなかった時代が戦後一貫して続いてきたことは言をまたない。"(237頁)
2-2-2-2.『90年代の韓国美術から―等身大の物語』図録より
まず魅せられる。理由はあとからついてくる
千葉成夫「根の深い樹・淵の深い河」、『90年代の韓国美術から―等身大の物語』図録(東京国立近代美術館、ほか、1996年)より
"「近くて近い」隣国の美術の「近代」のありようとその「現在」をよく知ることが、ひるがえって僕自身の国の美術を捉え直すについて有益でありうるから―それはそうだ。しかし、本当のところを言うと、理由はよくわからないままずっと惹かれてきたからなのである。何かに惹かれ、それについて書くことに、理由はいらない。理由は、きっとあとからついてくるだろう。"