「9.11以後」補説〜サラサラと崩れゆく日々に

 


日々の読書から

 2003/1/18

"すでに八十歳に近いほど年老いて、しかも病身であったが、車椅子に座り、画筆を繃帯で手に結びつけて、なおイーゼルの前にいた。そんなふうに、どこまでも画業に精励するルノワールのすさまじいほどの姿に、嗣治はやはり感動を覚えずにはいられなかった。
 嗣治がとくに強く抱いたもう一つの思いは、いま述べたルノワールの姿のすさまじさとまるで矛盾するようではあるが、ある意味における彼の姿の徹底的な長閑さである。それは、ルノワールが世界大戦とまったくかかわりのないような平和な雰囲気を漂わせていたということだ。西部戦線からカーニュ=シュル=メールまではたいへん距離があるということもいくらかはかかわっていただろうが、世界大戦の話題が出そうな気配はまったくなかった。"

清岡卓行『マロニエの花が言った』(上)、新潮社、1999年8月、258頁。

memo

・「世界大戦」がそう名指された時に欲望していたもの。⇔それは「世界」ではない。

・「戦場」と「銃後」:戦争の必要性を感じる人、そうでない人

・「"後ろめたさ"の効用とメカニズム」への抵抗=無関心


『美術手帖』よ、何処へ往く

 『美術手帖』第55巻第835号、2003年6月

 1. 表紙より

  緊急特集:21世紀の戦争と美術 イラク戦争以後のアートを考える

  劇的変化 六本木アートシティー宣言。

  オノ・ヨーコ

  北朝鮮の美術

  反戦デモグラフィックス


関連画像


 2. 目次より(特集関係のみ)

 誌上展覧会 ART≒WAR? いったい何が今日の戦争をこれほどまでに変え、不可視にしているのか
 
 特別寄稿 オノ・ヨーコ IMAGINE PEACE
 
 殺すな 反戦運動「殺すな」
  今日(ルビ:こんにち)の反戦運動 殺す・な |椹木野衣
  殺すな一九六七の記(とその追記) |小田マサノリ
  殺すなデモグラフィックス
 
 対談 イラク戦争はまだ始まっていない |港千尋×毛利嘉孝
  国連少年 最終兵器美術 |椿昇×森司
 
 インタヴュー 岡崎乾二郎 with RAM でもの哲学―「楽しい反戦」のすすめ |松浦寿夫
  榎忠 この薬莢と遭遇した時、私は作品にするしかなかった |江上ゆか
  柳幸典 映像ほど信用できないものはない、だからこそアートの力が期待される |福住廉
 
 テキスト 北朝鮮のアート <神話>の生産、描かれつづける<戦争> |古川美佳
  バクダットでゴドーを待ちながら |暮沢剛巳
  戦争と都市 |五十嵐太郎
  戦争と方法 |中ザワヒデキ
  戦争と写真 |杉田敦
  戦争と迷彩 |寸
  戦争と建築 |飯島洋一
  戦争と音楽 |清水穣
  戦争と戦争画 |平瀬礼太
  戦争と表象 |横山昭夫


 3. テキストより

 3-1. 国連少年 最終兵器美術 |椿昇×森司

〜日本:教室=閉鎖と貪欲の場〜
p.79-80
椿 第二次大戦に負けたあとが最悪やったね。土着の閉鎖性にアメリカシステムの貪欲さがトッピングされて、「個」が非常に走りにくい国になってしまった。そのなかで「閉鎖と貪欲の関係性」を確認する場として、中学校の担任は最高の修羅場やった(笑)。

〜展覧会の組み上げ方の新しさ〜
p.80
―この展覧会が、これまでと違う点はどこなんでしょう?
椿 まず僕という王様がいて、ツリー状に手下がいるという体制じゃないんだね。かと言ってスーパーフラットでもない。あえて言うなら「スーパーマトリックス」? ジャングルジムみたいに立体的に回路があって、そこを高速度で「オタク諸侯」が電子回路上を四次元的悟性でタスクをこなす。サイバー砦の忍者屋敷(笑)。その外縁を規定する法則が僕だったというアウトプット。「ブツに対するフェティッシュ」に媚びる個展じゃなくて、インビジブルなダークマターに主体が転位したんだ。カタログ・デザインをお願いした(松本)弦人さんも興奮してるんだけど、安っぽい折り紙に膨大なエネルギーを撃ちこんだアーティストブックが、たった二週間で生まれようとしている。

p.80
 ネットのメーリングに三つのキーワード(兵器がお好き・サバゲーしたい・「宇宙家族ロビンソン」見た)を流して集めた「椿組」の成り立ちもそうですし、展覧会の骨格を構築してく椿さんとのやり取りも二十四時間体制でのメールによる「言葉」のキャッチボールでした。展覧会の背後にはインターネットによってネットワークされた環境があるんです。…(中略)…求めたのは速度とボリュームですね。それと、XYZ軸で表現できるネットワーク特有の世界観を大切にする意識でしょうか。事の進め方自体もひとつの新しいシステムを構築しているような感じがありましたね。
椿 作品という「ブツ」のフェティッシュなんてどうでもいい。クマでもブタでもトラでも。なんだってかまわない。それを動かしている黒幕の仕組みを変えないと速度なんて絶対出やしない。

p.81
―「椿組」をふくめ、各部屋ごとにいろいとな人が参加していますが、彼らにはどのように参加してもらったのですか?
椿 手練(ルビ:てだれ)を厳選したあとは、なんでも好きにやってもらった。みんなプロ意識があってプライドももっている。だからどれだけ暴走してくれるかが勝負になる。うまく乗せてあげたら、勝ちになる。
 …(中略)…
 この展覧会、誰かが全体を恣意的に一元管理しようとすると、莫大なお金と時間とエネルギーが必要になったと思います。でも、あらゆるレヴェルにネットワークさせることで、一人ずつのエンジンを目一杯使って、その部分をセルフ管理るすだけで、結果的にすごく質の高いものが生産される環境が形成されていくわけです。

〜思想の記述〜
p.82
 美術館の良さというのは、物語が記述できることにあるんです。今回の「国連少年」という展覧会も、椿というアーティストの思想が記述できているんです。

〜回遊社会の終焉〜
p.83
  普通の場所では、そういう自分との出会いをうまく回避して動くことができる。回遊できるような社会、やさしい社会にしちゃっているから…。
椿 やさしいんじゃなくて、ごまかしでしょう。
 今回の展覧会をやっていて思うのは、本当に日本は平和で、危機感がない。だけど今みたいに考えなくても判断しなくてもいいという平和な時代は、もうそんなに長続きしないと思うんです。


新市民の心理的ドライヴ

 『図書新聞』2632号 2003年6月7日(土)

 渋谷望×のびた×平沢剛「何度でも場所をあけろ!」

反戦、落書き、弾圧

―そして4月17日、公園のトイレの壁に反戦スローガンを落書きしていた若者が、住民の通報によって警察に見咎められて逮捕されます。彼はその後、不当にも「建造物損壊」という罪状で起訴されてしまいます。鉄塔のナットを七十六本抜いて「器物損壊」なのに、落書き程度のことが「建造物損壊」になってしまうという(笑)。異常な重弾圧がかかってきている。

着々進行する法整備

のびた もともとは95年に地下鉄サリン事件が起きて、オウム真理教に破壊活動防止法を団体適用しようとしたのが最初だと思います。…(中略)…結局、公安審査委員会が棄却しました。それを権力者側が総括して、破防法以上に使いやすい法律が求められて組織的犯罪対策法が出てきた。…(中略)…組対法は99年夏の国会(145国会)で成立しましたが、この145国会は、他にも住民基本台帳法の改訂(住基ネット)国旗・国歌法日米安保新ガイドライン関連法案などが成立し、ある種のターニングポイントになっている。さらにその年末に団体規制法が成立します。
 そうした流れの中で9.11事件が起こり、世界的に組織犯罪に対処していこうという「犯罪取り締まりのグローバリゼーション」という問題意識が出てきた。具体的には、まずテロ資金供与防止条約という、…(中略)…カンパした人の罪になる条約ができました。日本は02年にその条約を批准し、それにともなう国内法として、「公衆等脅迫目的の犯罪行為のための資金の提供等の処罰に関する法律」(カンパ禁止法)が昨年夏に成立した。わかりやすい例では、パレスチナの民衆闘争に対してカンパをしたら、カンパ禁止法によって罪になるわけです。さらに越境組織犯罪条約という、…(中略)…日本政府も今国会で批准して、その国内法の一環として共謀罪というのを出してきた。…(中略)…共謀罪というのは、実行しようがしまいが事前に会議しただけで捕まえることができるんです。従来なかった概念です。例えば労働運動で「あの社長を何とかとっちめよう」と相談したら、その会議が「共謀」に当たるので、実際は「やっぱりやめよう」となっても罪になるわけです。あと、ここがイヤらしいのですが、「共謀」した事実をタレこんだ奴は刑を減免あるいは免除する規定がありまして(笑)、密告やスパイを奨励している。共謀罪は今国会で審議が始まろうとしている段階で、今後の動向に注目する必要がありますね。
 あとひとつ、サイバー犯罪条約という、…(中略)…コンピューターが関係していると認められた犯罪に関してはどんどん通信を傍受していいというものです。今の日本の法律では、電機的なデータについてはパソコン本体やフロッピーなどの物質でないと押収できなかったのが、この条約では概念が拡大されてリアルタイムに通信そのものを傍受できる。…(中略)…今秋の臨時国会で批准が目指されるであろうという状況です。

警察的視線による人間の選別

平沢 単純に、反戦デモで逮捕者が出たりした場合に、検挙された人間を犯罪視するような態度が異常に強まっている気がしますね。「弾圧されても当然」みたいな目で見られて、「奴等は闇の軍団で何かを企んでいるからやられるんだ」みたいな(笑)。そういう警察的な視線は市民のなかにあって、誰でも入っていいはずの「パレード」にも、実際には暗黙のうちに敷居が設けられ、人間の選別がなされていく。要するに弾圧されるべきテロリスト的な人間とそうではない普通の守られるべき人々がいるのだというふうに。

渋谷 僕がまず問題だと思ったのは、反戦運動の中で、警察の弾圧や逮捕の増加がメディアでまったく取り扱われていないという点でした。

しがみつく人々、こぼれ落ちる人々

渋谷 80〜90年代あたりから社会を統合する生-権力(ルビ:バイオ・パワー)が弱まってきて、社会から脱落した/するであろうと見なされる予備軍をいかにして生かすでも殺すでもなくいかに黙らせるか、つまりサイレンシング・バイオ・パワーとでも言うべき生-権力のモードがどんどん顕在化している。

―…規律訓練型社会や日本的な企業社会を形成していた生-権力が崩壊したとは、僕には思えないんですよね。むしろ篩が荒くなっていて、こぼれ落ちる人がいっぱいいて、一方でこぼれ落ちないように生-権力に同伴しようとする人は、もっと強い縛りをかけられるようになっているのではないか、と。

渋谷 おそらくその両方があります。…(中略)…排除を前提とした予防的なポリシングをガンガン行使して統合から締め出される者たちを見せしめ的に放置しておくと、それが心理的ドライヴになって、絞り込まれた模範市民の枠としての社会システムから排除されないようがんばらざるを得ない、そういう二重戦略だと思う。

渋谷 消費社会と言われるこの社会では、パクられたら終わりという過剰な恐怖感や線引きが圧力となり分断を生んでいるとも言えますよね。消費社会は選択肢を増やすといわれていますが、消費社会から降りる選択肢や可能性は示さない。

都合がわからないだけに、萎縮しない

のびた 捕まえるときは向こうの都合でやってくるわけだから、こちらとしては萎縮せずにやりたいようにやればいいんです。落書き青年みたいに、捕まえるどころか起訴までされたりするのは、向こうの胸先三寸ですからね。


リンク

 ・落書き反戦救援会

 ・「殺すな」ホームページ

(03/06/11)