今日の作家展2003 自然へのまなざし
2/18-3/16 横浜市民ギャラリー
4/12-5/15 金津創作の森
5/20-6/15 文化フォーラム春日井・ギャラリー
ごあいさつ
針生一郎「5人の画家の独自なアプローチ」
図版
川村悦子
児玉靖枝
斉藤典彦
本田健
山河全
石山陽子「自然を見る。」
内山淳子「試論:『水を掬ぶ。 花を弄する。―自然へのまなざし―』展をめぐって」
肥田木朋子「新たなる『今日的なもの』を求めて」
作家略歴
出品作品リスト
ごあいさつ
1964年から開催
p.3 "本展は、横浜市民ギャラリーが1964年の創立時からほぼ毎年開催してきた企画展「今日の作家展」のシリーズを、各館の共同開催の形に発展させたものであり、…"新たな第一歩
p.3 "「今日の作家展」は、企画者として招聘された美術評論家の批評意識のもとに、同時代の最も先鋭的な表現を切り取るという、いわゆるカッティングエッジに役割を果たしてきました。しかい近年、美術表現の場は公共の美術館やギャラリーといった従来的な展覧会場の外にますます拡張し、そして表現そのものもさらに多様性を増す中で、私たちは、公共の展示機関が本来立脚すべき、地域の人々の生活文化との乖離を感じざるを得ないことも事実でした。本展は、そのような状況を踏まえた上での、「今日の作家展」の新たな第一歩として準備したものです。"于良史「春山夜月」
p.3 "中唐の詩人・于良史(ルビ:うりょうし)の「春山夜月」の一節に、「水を掬(ルビ:きく)すれば月手に在り、花を弄(ルビ:ろう)すれば香り衣に満つ」という対句があり、わが国では禅語として親しまれています。"
針生一郎「5人の画家の独自なアプローチ」
<定評国家>
p.5 "ここで選ばれたように、すでに一部では注目されているが、スターやカリスマのような名声はもたない芸術家を発掘して、これまた各自一室のまとまった作品を展示することは、美術館本来の重要な使命だが、実際にはどこの公立美術館も内外の定評ある大家、有名作家の展覧会に主力をそそぎ、こうした壮年期の作家を発掘顕彰することには熱意がない。近年は自治体の財政赤字のため企画予算を削られて、いっそう開催が困難になりつつある。こうして県立美術館はほぼ出そろい、市立、町立美術館もすでに多い現在、日本は定評だけ幅をきかせて観衆は受動的にそれを受け入れ、だれひとり無名でも好みにあった作家を自分で発見することのない、おそるべき定評国家になりつつある。"
川村悦子
p.5 「風景にしても人物にしても普遍的なテーマだから、私が今生きている時代の空気とか考え方とどう拘わっているか、あるいはどうつなぎ合わせていくかという私なりの解釈を試みることが面白くて、結果的にそのことが現代的なことだと思っています。」(『アクリラート』 vol.36)
児玉靖枝p.6 「花をどう描くかということではなくて、花をどう見ているのかという部分、その花をどう捉えているのか、現実というものをどう認識しているのかっていう部分を、花という物を題材にして、そこに実現させたいという意識ですね。」(『セゾンアートプログラム』 No.7 2002年、インタヴュー是枝開)
斉藤典彦
p.7 「9月11日に世界は変わったと人は言う。…皆分かったような気がしているし、わかったような気にさせられている。…結局、これもまた見ているつもりになっているだけかと思いつつも、画面に水を引き、刷毛でぼかし続ける。そうすることにうまい答は見つけられないまま。」(「Meta 1998-2002」図録 日本橋丸善 2002年)
本田健
p.7 「…遠野の自然は、時代性やイデオロギーに関係なく、確実に遠い過去から遥かな未来に存在し続けるでしょう。僕は、そんな遠野のニュートラルなリズムにシンクロしたいだけかもしれません。」(『Ai』 Vol.4 1998年、インタヴュー山下里加)
山河全
p.8 "…<grey>シリーズになると、わたしには幾何学的抽象ながら情緒的すぎ、モンドリアンやヴァザルリをしのぐ独自な哲学が確立されないと、せいぜいデザインの教材ぐらいの意味しかないような気がする。"
・文化フォーラム春日井・ギャラリー
/水を掬ぶ。
花を弄する。