1-1.国王夫妻の銀婚式記念の一環として始まる
p.26 "イタリア国王、ウンベルト一世とマルゲリータ王妃の銀婚式を記念して、ヴェネチア市議会は1893年、ヴェネチア市が人道的、文化的に貢献すべきであることを決議し、その一環として国際美術展の開催が決められたという。 その後2年の準備期間を経て、国王夫妻が開会式に出席し、1895年に始まったヴェネチア・ビエンナーレは…(後略)。"
逢坂恵理子「ヴェネチア・ビエンナーレと12人を巡って」、『12人の挑戦―大観から日比野まで』、茨城新聞社、2002年11月
1-2.美術評論家たちのカフェ談義から始まる
p.16 "ヴェネチア・ビエンナーレのそもそもは、ヴェネチアの有名なサン・マルコ広場のフロリアンというカフェで、当時の美術評論家が話し合って、世界中の美術作品を集める大展覧会を目論んだのが発端だったといわれる。その背景には、19世紀に全盛になった世界博覧会の流れがあった。"
南條史生「体験としてのヴェネチア・ビエンナーレ」、『12人の挑戦―大観から日比野まで』、茨城新聞社、2002年11月
2.90年代に興隆を見せるヴェネツィア・ビエンナーレ
2-1.60-70年代:学生運動の余波と低迷
2-1-1.単なる政治的かけひきに堕した賞争い
p.10 "…授賞審査の方は前述の1958年に、それまでほとんど毎回受賞してきたフランスが、受賞を逸して「ヴェニスのスキャンダル」と騒がれ、60年にはその埋めあわせのように、本部特陳のフォートリエとフランス館のアルトゥングが並んで国際大賞を受賞したり、64年には過去一度も国際大賞を受賞していないアメリカが一大攻勢をかけ、アメリカ館の通常展示のほかその前に急造したプレファブの建物にネオ・ダダ、ポップ・アートの作品を各作家1点ずつ並べ、そのなかからラウシェンバーグが国際大賞を獲得したりした。つまり、大国同士の政治的かけひきに画商の思惑がからんで、中小国の出品作家は作品の質にかかわらず問題にもされない実情である。"
針生一郎「ヴェネチア・ビエンナーレ日本参加史から」、『12人の挑戦―大観から日比野まで』、茨城新聞社、2002年11月
2-1-2.パリの「五月革命」の余熱
p.11 "…ヴェネチア美術アカデミーの学生たちと、パリの「五月革命」の余熱をおびて集まった各国知識人たちが、ヴェネチア・ビエンナーレを「大国主義と商業主義の祭典」としてボイコットをよびかけ、それに対してビエンナーレ当局は開会前から警官隊を会場に常駐させた。"
p.11 "…その後サン・マルコ広場の騒乱でスウェーデンの出品作家の一人が警官隊になぐられた上逮捕されたため、グラナッツ[スウェーデンのコミッショナー]はスウェーデン館を閉鎖して抗議文を壁に貼り出し、 開会前に帰国してしまった。"
p.12 "…ヴェネチア・ビエンナーレは68年以後さまざまの改革案が出されたにもかかわらず、賞を廃止して中央館と主会場ジャルディーニ以外での特別展示に力をそそぐくらいの修正で、70、72年の第35、36回展が続行された。"
p.12 "その間70年には、スウェーデンが改革不十分と抗議して参加拒否、チェコスロヴァキアもワルシャワ条約軍占領後の混乱のため閉館、アメリカ館でも50人の版画をならべる計画中3分の2が、ヴェトナム戦争やカンボジア侵攻に抗議して出品しなかった。そこで74年にはビエンナーレ開催を見送り、76年からムッソリーニ時代以来の規約を改定して、視覚芸術、映画、音楽、演劇の四部門(のち建築部門を分離して5部門制、美術展は従来通り隔年、映画祭は毎年だが、他部門のイヴェントは不定期)を包括することになった。だが、美術展は従来と大差なく、78年にはビエンナーレ当局の人権抑圧批判に抗議してソ連、チェコ、ポーランド、ハンガリーが参加拒否し、68年以後入場者の減少も止まらず、ビエンナーレはしばらく停滞期に向かう。"針生一郎「ヴェネチア・ビエンナーレ日本参加史から」、『12人の挑戦―大観から日比野まで』、茨城新聞社、2002年11月
2−2.統一テーマの不振
"従来でも統一テーマを設けても各国の国情の違いなどにより、テーマ性の拘束力のようなものが疑問視される向きもあったが、今回展の経緯をみてもほぼ同様で…(後略)"
たにあらた「ヴェネツィア・ビエンナーレ報告」(海外トピック)、『美術手帖』502号、1982年10月、81頁。
統一テーマの例
第42回展(1986年):「芸術と科学」
第40回展(1982年):「一度美術の原点に立ち戻ろう」
2−3.1988年、第43回展で復活
"今年はビエンナーレの往年の栄光を取り戻す端初の年として、長く記憶されることになるかもしれない、そう思わせるような意気込みが感じられた展示だった。"
倉林靖「主体なき多様性」、『美術手帖』(特集:ヴェネツィア・ビエンナーレ)599号、1988年9月、23頁。
統一テーマの廃止、作品の質の重視
"基本テーマを設定しないかわりに今回うちだされた方針は、…(中略)…@統一テーマに沿った展示を行ってきた会場内で一番大きい中央パヴィリオンを「イタリア館」とし、その充実 をはかる。A各国から選ばれた有望新人の発表の場である「アペルト」(APERTO)の枠をこれまでになく拡充させて、その充実をはかる。個々の作品の質を重視し、現実の多様性はそのまま多様性として投げ与えること、そうした姿勢が結果的に充実した展示につながり、ヴェネツィアのビエンナーレらしさを復活させるはずだ、という考え方は、…(中略)…実際、実を結んでいたようだった。"
倉林靖「主体なき多様性」、『美術手帖』(特集:ヴェネツィア・ビエンナーレ)599号、1988年9月、23-25頁。
関連文献
◆雑誌
・美術手帖
『美術手帖』(特集:国際美術展最新リポート2001)810号、2001年9月
「ハラルド・ゼーマン インタヴュー」、和多利恵津子(文)
小倉正史「人間の新しい舞台」
ジャンフランコ・マラニエッロ「岐路に立たされた国際美術展」
市原研太郎「人間の限界を超えて」、ほか
『美術手帖』(特集:第48回ヴェネツィア・ビエンナーレ詳報)775号、1999年9月
「ビエンナーレ見学のためのガイド&マップ」
<アーティスト・クローズアップ>
「宮島達男」、13頁。
「蔡國強」、16頁。
「アン・ハミルトン」、18頁。
<図版構成>傾向別作家紹介、20頁。
中国アートシーンの台頭
変容する身体のリアリティ
コミュニケーションの拡がり
アート・イズ・ライフの新しいかたち
コラボレーションのニュー・スタイル
グローバル・スカルプチュア
薄っぺらな表面性
空間のダイナミズム
見えないもの顕現
映像表現のニューウェイヴ
「総合ディレクター、ハラルド・ゼーマン インタヴュー」、和多利恵津子(文)、45頁。
「今年のビエンナーレの印象は? アートピープル14人のコメント集」、児島やよい+編集部、49頁。
<コラム>、矢島みゆき+編集部、24頁。
今期ビエンナーレの地元イタリアの評判は?
ゼーマン旋風で生まれかわったビエンナーレ
アート&ファッションの接近
ピチカート・ファイヴも登場! 多彩なオープニング・イヴェント
小倉正史「西洋中心主義から離れて」、
長谷川祐子「アイディンティティからサブジェクティヴィティへ ネイションからデ・テリトリズムへ」
市原研太郎「抵抗のアート」
『美術手帖』(特集:現代アートの祭典 国際美術展リポート'97)746号、1997年9月
<第47回ヴェネツィア・ビエンナーレ>
「ヴィジュアル編」、28-頁。
建畠晢「ビエンナーレ百年の消長 色褪せた虚飾」、56頁。
梁瀬薫「台頭する台湾アート」(コラム)、37頁。
南條史生「今期ビエンナーレに関わって」、58頁。
デイヴィッド・A・ロス「国際展を私はこう見る」、60頁。
梁瀬薫「メイン会場外から発信される小国のエネルギー」、62頁。
矢島みゆき「さまざまな思惑が交差する舞台裏」、68頁。
「総合キュレイター ジェルマーノ・チェラント」(インタヴュー)、セルジオ・カラトローニ、矢島みゆき(ききて)、64頁。
『美術手帖』(特集:ヴェネツィア・ビエンナーレ 100年目の孤独?)712号、1995年9月
「ビエンナーレ・ハイライツ/第46回ヴェネツィア・ビエンナーレ」、10頁。
「ビエンナーレ・ガイドマップ」、33頁。
梅宮典子「アートの祭典は雨模様?」、37頁。
「私はこう見た! 参加アーティスト&アート・ピープル語録」、梅宮典子+編集部、41頁。
矢島みゆき「村上隆のスーダラ紀行inヴェネツィア ヴェネツィアの長くて暑い夏がはじまる」、56頁。
「ジャン・クレール 重要なのは抽象美術の価値の有無を確認することです」(インタヴュー)、セルジオ・カラトローニ(ききて)、矢島みゆき訳、62頁。
アンドレア・デル・グエルツィオ「ビエンナーレ100年の歴史」、片桐頼継訳、66頁。
ジェイムズ・ロバーツ「ヴェニスに死す」、嶋崎吉信訳、77頁。
椹木野衣「『あいまい』さの未来」、81頁。
マティアス・フリュッゲ「美術界をうつす黒い鏡」、矢羽々崇訳、85-89頁。
長谷川祐子「ここでしかない場所」、89-94頁。
リン・クック「主役なき大舞台」、林洋子訳、94頁。
ハンス=ウルリッヒ・オブリスト「双子座のアーティストふたりによる『博物資料館』」、大住遥訳、97頁
『美術手帖』(特集:45回ヴェネツィア・ビエンナーレ速報)675号、1993年9月
「マップ&オリエンテーション」、18頁。
<口絵構成>
「アトモスフィア」、20頁。
「国別展示」、24頁。
「ビエンナーレに集う顔」、54頁。
「アペルト部門」、57頁。
「企画展から」、72-77頁。
飯田高誉「『トランスアクションズ』展リポート」、78-82頁。
篠田達美「"現代美術という意志"に向けて」、83-89頁。
ジャイムズ・ロバーツ「東の順風/逆風」、ニ瓶優子訳、90-94頁。
K.ケーニッヒ、J.ダイチ、峯村敏明「"遊牧と緊急"の風に吹かれて観戦記」、95-97頁。
前野寿邦「芸術的価値と市場価値」、98-99頁。
建畠晢「つみかさねた選択のあとで」、100-01頁。
「アキーレ・ボニート・オリーヴァ トランスナショナリズムの饗宴」(インタヴュー)、バルバラ・バルトッツィ(ききて)、102-03頁。
「日本参加の軌跡」、104頁。
『美術手帖』(特集:拡大する美術 第44回ヴェネツィア・ビエンナーレ速報)627号、1990年8月
「PARTECIPAZIONI NAZIONALI」、36頁。
「APERTO 90」、66頁。
「AMBIENTE BERLIN」、82頁。
「美術展の組織」、50頁。
建畠晢「ゲームへの参加」、60頁。
M・カルヴェージ「より明るく、軽い表現」、72頁。
L・プラティジ「J・クーンズはいい」、76頁。
G・ダレジオ「2年間は短すぎる」、76頁。
D・ザシャロプーロス「型どおりの展覧会」、80頁。
クリスチャン・リー「BEST/WORST 10」、84頁。
高島直之「BEST/WORST 10」、86頁。
「Datafile 国際美術展」、中島理壽、横山勝彦(構成、解説)
「国際展開催国地図」
「言葉で知る国際展」
中原佑介、酒井忠康、矢口國夫「国際展のしくみ 日本で国際展を開催するには」(座談会)、108頁。
『美術手帖』(特集:ヴェネツィア・ビエンナーレ)599号、1988年9月
倉林靖「主体なき多様性」、22-3, 25-8, 38-9, 44-6, 64, 66頁。
岩渕潤子「歴史的栄光と対峙する現代美術」、47, 頁。
南條史生「キーワードからの発想」、58-63頁。
『美術手帖』567号、1986年9月
酒井忠康「第42回ヴェネツィア・ビエンナーレ」(海外レポート)、150-55頁。
『美術手帖』531号、1984年9月*
たにあらた「若手たちの場<アペルト>を中心に」(海外トピック)、116-頁。
『美術手帖』528号、1984年7月
「第41回ヴェネツィア・ビエンナーレの三人―伊藤公象+田窪恭治+堀浩哉」(people)、232-33頁。
『美術手帖』502号、1982年10月
たにあらた「ヴェネツィア・ビエンナーレ報告」(海外トピック)、80-87頁。
『美術手帖』、1982年5月*
たにあらた「戦後生まれのヴェネツィア・ビエンナーレ構想」(people)、10-87頁。
『美術手帖』、1980年9月
<海外速報 ヴェネチア・ビエンナーレ'80>
榎倉康ニ「リアリティーをもった言語のように」、134-161頁(カラー図版:141-156頁)。
『美術手帖』、1978年9月*
峯村敏明「ヴェネチア・ビエンナーレ'78」、16-頁。
『美術手帖』(特集:ヴェネチア・ビエンナーレ)、1968年9月*
針生一郎「ヴェネチア騒動記」、115頁。
「ヴェネチアの夏・揺れる芸術の祭典」(グラビア版)、119頁。
『美術手帖』287号、1967年9月
東野芳明「ヴェニス・ビエンナーレの日本代表にきまった針生一郎氏」(人物素描)、15頁。
◆新聞
山盛英司「ベネチア・ビエンナーレ」、『朝日新聞』2003年7月3日
山盛英司「第50回ベネチア・ビエンナーレ」、『朝日新聞』2003年6月25日
山盛英司「3世紀目のベネチア・ビエンナーレ 上」、『朝日新聞』2001年7月2日
山盛英司「3世紀目のベネチア・ビエンナーレ 下」、『朝日新聞』2001年7月3日
山盛英司「第48回ベネチア・ビエンナーレ」、『朝日新聞』1999年8月13日
菅原教夫「第48回ベネチア・ビエンナーレ報告 上」、『読売新聞』1999年6月29日
菅原教夫「第48回ベネチア・ビエンナーレ報告 下」、『読売新聞』1999年6月30日
菅原教夫「ベネチア・ビエンナーレ」(欧州現代美術の祭典から 上)、『読売新聞』1997年7月30日
◆単行書
『12人の挑戦―大観から日比野まで』、茨城新聞社、2002年11月
針生一郎「ヴェネチア・ビエンナーレ日本参加史から」、8-15頁。
南條史生「体験としてのヴェネチア・ビエンナーレ」、16-24頁。
逢坂恵理子「ヴェネチア・ビエンナーレと12人を巡って」、26-32頁。
「日本公式参加の歩み」、153-205頁、ほか
石井元章『ヴェネツィアと日本―美術をめぐる交流』、ブリュッケ、1999年*
『ヴェネツィア・ビエンナーレ―日本参加の40年』、国際交流基金、毎日新聞社、1995年
矢口國夫「日本とヴェネチア・ビエンナーレ」
<ヴェネチア・ビエンナーレを通して見る日本の美術>
針生一郎「1952-68年」
谷新「1970-84年」
建畠晢「1986-93年」
「日本・出品の記録 1952-93年」
「アペルトほか企画展へ出品の日本人作家」
南條史生「パビリオンを越えて―拡がる日本の現代美術:アペルト他の企画展」
嘉門安雄、酒井忠康、中原佑介「日本とヴェネチア・ビエンナーレ―過去から未来へ」(座談会)
「ヴェネチア・ビエンナーレの歴史」
中島理壽編「文献目録」
「出品作家索引」