論文:ウィリアム・S・リーバーマン「はじめに」
William S. Lieberman "Introduction"
木島俊介「エコール・ド・パリ―ユートピアの喪失、そして人工楽園」
Kijima Shunsuke "School of Paris: Utopia Lost, and "Les Paradis artificiels""
カタログ
各章解説:ウィリアム・S・リーバーマン
I. 19世紀から20世紀へ
II. フォーヴの画家たち
III. キュビスムの画家たち
IV. 伝統と変革
V. 1920年代
VI. 1930年代
VII. エピローグ
論文:清水佐保子「日本におけるキュビスム受容―1910-20年代の批評を中心に」
Shimizu Sahoko "Cubism in Japan, Trough the Criticism from the 1910s to the
1920s"
作家解説
関連年表:1885-1945
資料地図
索引
作品リスト
I. 19世紀から20世紀へ
II. フォーヴの画家たち
III. キュビスムの画家たち
IV. 伝統と変革
V. 1920年代
VI. 1930年代
VII. エピローグ
エコール・ド・パリ
『近代美術のキーワード』 ロバート・アトキンス著 嶋崎吉信訳 美術出版社 1995年 p.67
"エコール・ド・パリ は、二〇世紀の前半にパリを中心として展開した数多くのモダン・アートの運動を包括する、かなり曖昧な語である。そうした運動の主要なものに、フォーヴィスム、キュビスム、シュルレアリスムがある。"
"エコール・ド・パリ の重要な人物には、フランス国外からやって来た多くの芸術家がおり、作品を発表した年間六万人の芸術家のうち、外国人は三分の一にのぼっていたと推測されている。一九〇〇年ごろにこの街で営業していた画廊は、他の諸都市の四倍以上の一三〇を数え、年間二〇の大規模なサロンが開かれていた。"
"西洋美術のメッカとしてのパリの役割に終止符を打ったのは、第二次世界大戦だった。"
メトロポリタン美術館
『世界美術大事典』 全6巻 小学館 1989-90年 4巻 pp.168-169
「ごあいさつ」より"一八七二年に財団が設立され、八〇年に開館。八二年ニューヨーク五番街の、セントラル・パークに面した現在地に移転。"
"古代から現代に至る東西の美術を一堂に集めて示すという野心的な意図のもとに、絵画(絵画館はヨーロッパおよびアメリカの画家による数千点に及ぶ優れた作品を網羅する)、彫刻、版画、印刷物、陶磁器、金銀細工、家具、タピスリー、武具、楽器、古代美術の発掘品など、あらゆる分野にわれる貴重な作品を収集している。所蔵品はすべて多数の個人によって寄付された基金による購入、私的なコレクションの寄贈や遺贈によって形成された。"
(はみだし読書案内:トマス・ホーヴィング『ミイラにダンスを踊らせて―メトロポリタン美術館の内幕』、白水社、新装版2000年)
展覧会趣旨
"本展は、「パリの画家たち:1885年-1950年」と題してメトロポリタン美術館で2000年3月から2001年1月にかけて開かれた展覧会をもとに、日本のために特別に再構成されたものです。"
※名画72作品で構成、コレクション総点数200万点以上
論文より
木島俊介「エコール・ド・パリ―ユートピアの喪失、そして人工楽園」
パリの近代化、泥沼化p.18 "この大改造のさなかに、パリは瓦礫と泥沼の巷と化していた。ボードレールの詩集『悪の華』の出版が1857年、散文詩『パリの憂鬱』のおおかたなるのが1864年、詩人の悲惨な死の3年前だった。「パリは私に泥をくれた。私はそれで黄金をつくった」。詩人はこのように歌ったが、泥沼のパリが単に嫌悪されたというにとどまらない。変革する都市、変転する社会は、鋭敏な感性の持ち主たちである芸術家の精神の内にまで根元的な変容を迫ることとなっている。"
パリ郊外のユートピア化
p.19 "1863年に、マネの奇妙な作品《草上の昼食》が発表されると、この主題は印象派の画家モネの同題の作品、そしてセザンヌの同題作や1870年の《牧歌》に、さらにはルノワールたちによっても執拗に描き続けられることとなり、パリ近郊の緑の森や、爽やかなセーヌの水辺でのピクニックはあたかも、泥と瓦礫に化しつつあった醜い都市の身近に見つけられたユートピアの観を呈することとなった。"
旅への誘い、日常の見直し、アトリエの人工楽園化
p.20 "ただ19世紀の一つの精神として「旅へと誘われた」者たちが、因習の都市を後にして魂によって渇望される何処かを探し求める。この遍歴の道程のなかで彼らは、芸術のみが出現させることができ、それのみが解明することのできるあの神秘世界、秘密の楽園を手に入れることができることを知るのである。ひとたびこのように認識されるならば、楽園は、「旅の先」にあるのではなく、日常性のなかの何処にでもあることとなる。かくして彼らは、旅を捨て、都市のなかにとどまる。そして、彼らの究極のトポスは、享楽の巷ではなく、彼ら自身のアトリエということとなっていく。…(中略)…アトリエに帰還した彼は、ここに楽園的なものを集めようとするだろう。東方の敷物、織物、衣服、家具、金魚鉢、南国の植物、そしてお気に入りのモデル。こうしてアトリエは人工楽園となる。"
ユートピアの喪失
p.24 "印象派の時代にあっては、緑も豊かな田舎風の丘であったモンマルトルにも都市化の波が襲ってきていた。「洗濯船」にかぎらず、人間らしい家々は押しのけられて、現代建築がたちならんだ。画家たちの安上がりのアトリエは潰されてしまい、カフェやキャバレーは観光客のものとなった。"
リンク
・メトロポリタン美術館、過去の展覧会情報のページ:Special
Exhibitions/Painters in Paris 1895-1950
展覧会コンセプトの紹介(Learn
more about this exhibition)、出品作品画像(View
images from this exhibition)あり(4/8/2003)。