トルコ美術の現在 どこに?/ここに?

 6/20-8/31
 埼玉県立近代美術館


Source: 埼玉県立近代美術館 トルコ美術の現在

カタログについて

 ごあいさつ

 フリヤ・エルデムジ「どこに?/ここに?」

  カタログ

 ワースフ・コルトゥン「状況に対する前向きで内向きな眼差し」

 ジラルデッリ青木美由紀「類似と差異の『どこに?/ここに?』」

 前山裕司「トルコ? 埼玉?」


カタログより

 ◆前山裕司「トルコ? 埼玉?」より

国別現代美術展の限界と有用性

p.88 "近年、国の名前を冠した現代美術展を開催することは困難な状況にきており、おそらく世界的に減少傾向にあるだろう。あらゆる物や情報の流れが、やすやすと国境を越えるようになり、アーティストの活動も国際的となっているなかで、国という枠組みを前提とすること自体が難しくなってきている。"

p.88 "だが、それはけっして役割を終えたものではない。…(中略)…あるいは多数訪れるだろう小学生や中学生にとって、ここで出会った作品はトルコという国の枠組みがあることによりさらに深く記憶に刻まれるだろう。"

「時差」「地殻変動」から「居場所」へ

p.88 "今回の展覧会は、昨年来館したトルコ政府外務省の「日本におけるトルコ年」担当者から、現代美術展を開催したい、という非常に漠然とした提案に当館が応じたことに始まる。準備はトルコ側の3名のキューレーターが作家選定をあらかじめ行い、埼玉側が調査に基づいて意見を加えるという手順で進められた。"

pp.88-89 "最初に候補に挙げられていたテーマは、ふたつあった。ひとつは、時差あるいは時差ぼけを意味するJetlagで、両国の時間的、空間的、心理的距離を意味している。もうひとつは、地殻変動という意味のLandshakeで、…(中略)…両国にとって共通する悲劇であり、忌まわしい記憶として今も残る地震をイメージするものであるが、同時にさまざまな変革や激変を意味するものである。だが、アーティストに会い、作品や資料を見ていくうちに、浮かんできたのが「居場所」という言葉だった。"

どこに? ここに?

p.89 "「居場所」という言葉が示す「ここ」の感覚の前に、わたしのいるのは「どこ」なのか、「どこに」向かい、「どこに」居場所を求めるべきなのか、という複数の意味をもつ問いかけがまず必要だった。「ここに」います、という答えも疑問形となっており、断定ではない。たしかに「ここ」ではあるが、それを本当かと、問いかける別な自分、そのような気持ちの揺れがここにある。"

 ◆ジラルデッリ青木美由紀「類似と差異の『どこに?/ここに?』」より

日本とトルコ:選び取った近代化

p.84 "非西洋の国々がその「伝統」と、おおくのばあい西洋文明と同義である「近代」とのはざまに自らの居場所を見い出す、というクリシェは、それぞれの国の歴史のなかで周知の事実ではあっても、複数の国、あるいは世界レベルでの議論は、ここ数年はじまったばかりである。「近代」が、帝国主義や植民地主義によってもたらされたアジアの国々のなかで、日本とタイ、イラン、そしてトルコ(1923年まではオスマン帝国)は例外的である。これらの国が過去およそ200年のあいだに辿った歴史は、植民地というかたちで外からおしつけられたものではなく、みずから近代化を選びとったという意味で、興味ぶかい類似と差異をあらわしている。"

トルコ文明展とトルコ現代美術展

p.84 "トルコの現代美術とはなにか。日本でときたまおこなわれる「トルコ文明展」やそれに類する、お馴染みの「歴史の国トルコ」のイメージと、トルコの「いま」とは、どう異なり、どう繋がるのか。"

ヨーロッパと西欧文化の影響下にある国々で、「美術」認識は同時に進む

p.84 "もともと、トルコ語(正確にいえば、当時はオスマンル語)でいう「芸術(ルビ:サナット)」にはヨーロッパ系言語の「美術(ルビ:ファイン・アート)」の意味はない。いまのわれわれが「装飾芸術」あるいは「工芸」ではないか、と考えるような上記のものは、りっぱに「芸術(ルビ:サナット)」にふくまれていた。しかしヨーロッパ語においてさえ、「美術(ルビ:ファイン・アート)」から分化した「装飾芸術(ルビ:デコラティヴ・アート)」は、1860年代くらいに登場した新語だった。…(中略)…オスマン帝国の「美術」認識は、西洋の知的領域のなかのカテゴリー整理とともに進む。"

軍事力としての建築術、絵画術

p.85 "もともとオスマン帝国で建築は、敵地を攻め落とすために地形を測量し、短期日で橋や要塞を築く技術とみなされた。この技術は、強大な帝国の成立とともに芸術として洗練されたが、オスマン帝国の知的パラダイムのなかでは、建築家は軍隊に属した。西洋式の絵画技法も、事物を正確にうつしとる技術の延長として、最初は士官学校で教えられたのである。"

近代化と芸術と美術

p.85 "…決定的な「近代」化は、トルコ共和国の成立とともにおとずれる。トルコ語浄化運動、西洋化をうけて、一時期、アラビア語に起源をもつ「芸術(ルビ:サナット)という言葉を廃して、フランス語の「芸術(ルビ:アール)を用いようとする動きさえ見られたが、結局もとのままに落ち着いた。"

 ◆ワースフ・コルトゥン「状況に対する前向きで内向きな眼差し」

1980年代終わりから急激に国際化したイスタンブール・アート・シーン

p.80 "イスタンブールは日毎に動きを増してきている。過去の長い間、街では地元でしか通用しない作家と彼らが企画した展覧会以外何も存在しなかった。が、1980年代の終わりから、イスタンブール・ビエンナーレの開催とともに、街は、国際的な美術界との関係を円滑に発展させることができ、美術アカデミーや地元のギャラリーに支配されていたかつでの状況が、変わり始めたのだ。"

増加する月並みな展覧会、骨抜きになったメディア、企業によって方向づけられるライフスタイル

p.80 "この2年間の経済不況によって、資金運用家や補助金の申請者達は、これまでの派手で一回限りの企画とは対照的に、より責任を伴う持続性のある企画に眼を向けざるをえなくなってきた。"

p.80 "同時に、同時代的な活動に対するある種の警告の兆しも現れている。企業が率先して支援する月並みな展覧会の企画は、イスタンブールの街のほとんどの文化活動を占めており、人々のキッチュな感覚を満たしている。…(中略)…金融機関が公共の支援やフィランソロピーの足りない部分を埋めるというのは推奨に値することである一方、彼らは独立した企画を締め出し、その存続を極めて難しいものにし、あらゆる熱心なメディアを骨抜きにした。さらに悪い事態は、メディアに登場する美術の仮面をかぶったライフスタイルの提案や、迎合的な規範のなかへ公けの発言を意図的に消し去っていくような企業のイメージ戦略のもとに、文化振興の主体のブランド化がなされてきていることである。"

イスタンブールの奇跡

p.81 "…自由な対話や折に触れて自分たちで作り上げるイベントを行うような、極めて小さなコミュニティの生成を促した。しかし近年、新しい機関、優れた作家達の出現によって、また平均レベルを超えた展覧会の数々、そして目覚しく統合を遂げた国際情勢によって、その状況はさらに変化した。これをあえて仰々しく「イスタンブールの奇跡」とでもよぼうか。"

時の判断

p.81 "…イスタンブールの小さな奇跡が、準公的な議論の中や作家達の記録集、ビエンナーレの中だけで起こるのではなく、日常的なものとなるかどうかということは、いつか時が判断を下すことであろう。"


埼玉県立近代美術館公式サイトより

出品作家の紹介

ヒュセイン・アルプテキン

ヒュセインは、多彩な活動を繰り広げるアーティストです。安っぽくきらきら光るスパンコールの作品とか、無関係な外国の名前のついたホテルの写真を集めた作品など、どこか別な場所を感じさせる作品です。

イェトキン・バシャルル

イェトキンは、グラフィックデザインの仕事と、写真、サウンド・インスタレーションなどを試みています。今回の彼の作品は、独特の視点から撮ったイスタンブールの人々や風景の連続写真となります。

ジェヴデット・エレック

建築と音響工学を学んだジェヴデットは、風景とその場の音を撮影・録音したビデオを細かく切って編集し直します。ボスポラス大橋の映像は、実際の音と映像がシンクロしながらめまぐるしく変化します。

エスラ・エルセン

エスラは、滞在する国やトルコの社会と文化を題材にします。ビデオ作品には、アジアとヨーロッパをつなぐボスポラス大橋を、喧嘩しながら車で渡る夫婦などが登場します。また、彼女は日本に滞在して制作する予定です。

レイラ・ゲディス

レイラの絵画はまるで漫画のように見えながら、トルコの現実を反映していました。今回彼女が発表するのは、それぞれの絵画が呼応しながら、子供の頃の記憶を呼び起こすような作品となります。

ギュルスン・カラムスタファ

ギュルスンは、身の回りにある日常的なものを使って、トルコの歴史や社会を浮き彫りにしてきました。彼女の出品する1点は、実際の映画監督と男優によって撮影された近作のビデオ作品となります。

オメル・アリ・カズマ

オメルは、フィルムやビデオによる数分間の短い映像作品を作ってきました。今回、彼はサッカーチーム、ガラタ・サライをテーマにした映像を随所に散りばめたインスタレーションを制作する予定です。

フュスン・オヌール

トルコの現代美術の草分けのような女性です。1970年から国際的にも活躍し、現在では身近な道具や布などを使った詩的なインスタレーションを展開しています。今回は音楽をテーマにした作品を展示します。

ナサン・トゥール

ナサンの作品は、画像処理によって小さくなった作者自身が、大きなお母さんに抱きついている写真や、でんぐりがえしのビデオなどどこかユーモラスです。彼は日本でも転がる予定です。

セチル・イェルセル

写真家であるセチルは、情感に訴えるような都市の風景を撮影してきました。今回は彼女のおはあさんが暮らす部屋を撮影したシリーズとなります。簡素に暮らすおばあさんの姿が胸に迫ります。


出品作品紹介


リンク

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(03/11/17)