展覧会のねらい


胡蝶の夢
-斉物論より-

<本文>
昔者、荘周夢為胡蝶。
栩栩然胡蝶也。
自喩適志与。
不知周也。
俄然覚、則遽遽然周也。
不知周之夢為胡蝶与、胡蝶之夢為周与。
周与胡蝶、則必有分矣。
此之謂物化。

昔者、荘周夢に胡蝶と為る。
栩栩然として胡蝶なり。
自ら喩しみ志に適へるかな。
周なるを知らざるなり。
俄然として覚むれば、則ち遽遽然として周なり。
知らず周の夢に胡蝶と為れるか、胡蝶の夢に周と為れるか。
周と胡蝶とは、則ち必ず分有らん。
此れを之れ物化と謂ふ。

 
参考文献:古典I漢文編 稲賀敬二 森野繁夫編 第一学習社


<通釈>

昔、荘周は夢で蝶になった。
ひらひらとして胡蝶そのものであった。
自然と楽しくなり、気持ちがのびのびしたことだった。
自分が荘周であることはわからなくなっていた。
にわかに目覚めると、なんと自分は荘周であった。
荘周の夢で蝶になったのか、蝶の夢で荘周になったのかはわからない。
しかし、荘周と胡蝶とには、間違いなく区別があるはずである。
こういうのを、「物化」というのである。

Source: I think; therefore I am! / 胡蝶の夢

(03/12/3)


デヴィッド・エリオット「なぜハピネスなのだろう?」、『ハピネス』展図録、2003年、8-23頁。

The Man of Character [TE] lives at home without exercising his mind and performs actions without worry. The notions of right and wrong and the praise and blame of others do not disturb him. When within the four seas all people can enjoy themselves, that is happiness for him | Chuang-Tzu, [3.13] China 4th Century BC