1917年 リチャード・マット事件
 

 

<テキスト訳>

『盲人』

リチャード・マット事件

彼らはどんな芸術家でも、6ドルを支払えば展示してよいと言う。

リチャード マット氏は《泉》を提出したが、議論されることもなくこの物品は姿を消して、そして決して展示さ れなかった。

マット氏の《泉》を断る理由は以下のようなものである:
1.ある人たちは、それが不道徳で、下品であったと強く主張する。
2.他の人たちは、それは盗作であり、明らかに単なる配管の類であった、と主張する。

今、マット氏の《泉》が不道徳ではないことは、バスタブが不道徳でないと主張することと同程度に理屈に合わない。 それは一つの品物であって、あなたが配管工のショーウインドーにおいて毎日見かけるのものでさ えある。

マット氏が彼自身の手で《泉》を作ったか否かは重要ではない。 彼はそれを選んだのである。 彼は日常生 活で見かける普通の物品を取り上げ、新しいタイトルと新しい視点のもとで、その実用的な意味が姿を 消すように、その物品を置き、そしてそのオブジェのために新しい考えを創造したのである。

配管の選択について問題にすることもまた、理屈に合わない。 アメリカが生み出した唯一の芸術作品は、配管 と橋ぐらいなのだから。

(訳:藤川)

They say any artist paying six dollars may exhibit.

Mr. Richard Mutt sent in a fountain, Without discussion this article disappeared and was
never exhibited.

What were the grounds for refusing Mr. Mutt's fountain:-
1. Some contend it was immoral, vulgar.
2. Others, it was plagiarism, a plain piece of plumbing.

Now Mr. Mutt's fountain is not immoral, that is absurd, no more than a bath tub is immoral.
It is a fixture that you see every day in plumbers' show windows.

Whether Mr. Mutt with his own hands made the fountain or not has no importance. He
CHOSE it. He took an ordinary article of life, placed it so that its useful significance
disappeared under new title and point of view-created a new thought for that object.

As for plumbing, that is absurd. The only works of art America has given are her plumbing
and her bridges.

Source: Duchamp texts

(03/12/9)

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