講義ノート1


ポロックの位置づけ

 1. ポロック自身について

オクスフォード大学およびコートールド研究所で歴史学と美術史を学ぶ。現在リーズ大学芸術学部教授。(『女・アート・イデオロギー』(1992)著者紹介)

BA Oxford, MA, PhD London

Professor of Social and Critical Histories of Art
Director of AHRB CentreCATH
Co-Director of the Centre for Cultural Studies
Executive Member of Centre for Jewish Studies
Executive Member of Centre for Interdisciplinary Gender Studies

University of Leeds / Griselda Pollock

(03.10.2)

 2. 『視線と差異』について

萩原弘子「訳者あとがき」より

すでに一種の古典

p.320 "この本は、西洋近代美術の歴史が記述・記録されるなかで強力に働いている規範に含まれる 偏りを明らかにする論争の書であり、フェミニストによる文化研究の理論的提起として、すでに一種の古典のような位置を獲得している。"

特権の集中の解体

p.320 "…芸術表現の現実と、美術史学の現実を、特権の集中の解体へ向けて変革する展望も各所で示されている。"


第一章 芸術の歴史に踏みこむフェミニスト

イントロダクション

パラダイムの全面的な変革

pp.32-33 "美術史学などというものはもう死滅した過去の学問領域だと見る向きは多い。文化の生産に関する研究は、その範囲を大きく拡大し、作品中心主義から芸術の言説と作用に焦点をあてる学へと根本的な変化をしたために、いまも古い規範的理論のなかにいる美術史研究者と、彼らのパラダイムに異議を唱える者たちのあいだには、まったくコミュニケーションが成立しない。文化の歴史を全面的に書きなおすことになるパラダイムの変革にわれわれは立ち会っている。"

「新しい美術史」批判

p.33 "これは「新しい美術史(ニュー・アート・ヒストリー)」では断じてない。「新しい美術史」とやらがめざしているのは、古い美術史学に改良をほどこし、それをいま風に化粧なおしして、現代の知的ファッションだか理論スープだかで新味を演出するだけのことである。"


第二章 視線、声、権力

フェミニスト美術史学とマルクス主義

1 (フェミニストの視点に立つ)芸術の社会史? pp.36-46

2 マルクス主義の功績と落とし穴 pp.46-55

3 フェミニストの諸理論 pp.55-61

4 フェミニスト美術史学のいくつかの流れ pp.61-71

5 ケース・スタディ――フェミニスト美術史学で行われている議論 pp.71-84

  (一)アーティストと社会階級――ソフォニスバ・アンギッソラ(一五三五/四〇―一六二五年) pp.72-75

  (二)美術アカデミー――裸体画をめぐるむきだしの権力 pp.76-79

  (三)革命的敗北――ブルジョワの秩序 pp.79-84


1 (フェミニストの視点に立つ)芸術の社会史?

p.36 …ドヴォルジャークやリーグルといった美術史学者の名前があがったよき時代…(中略)…人間社会の研究に資する重要な議論に参加していた時代であった。

p.36 現在、美術史の学問分野において支配的な潮流は明確に反歴史的である。

p.37 シャピロは、バーの本が、多くの頁を歴史的な運動に関する記述に割きながら、本質的には没歴史的であるというパラドックスについて書いている。

p.37 表現様式の変化を説明するのは、旧様式の疲弊、新様式の登場、それへの反動といった俗論である。

p.37 TJ・クラークは重要な新提案を主唱し、彼のいくつもの著作はそのための土台となってきた(2)。マルクス主義の社会分析を取り入れた「芸術の社会史」はブルジョワ的なモダニスト美術史のヘゲモニーに対する異議申し立てとして、まったく新しい美術史学の試みであった。

p.37 ところが一九七四年のTJ・クラークは、現在、美術史学で進行しているほかの諸傾向に対して敵意丸出しで警戒している。

p.38 芸術がつくられた場所である社会の性質は、たとえば封建制社会であるとか、資本主義社会であるというだけではすまない。それはつねに家父長主義的な性差別社会であった。

p.38 文化とは、意味をつくりだすことを最大の目的とする社会的行為であると定義できるだろう。

p.39 …必要なのは、美術史学による文化の解釈がつくりだしている、われわれの社会に関する非現実的な定義(5)に、異議を申し立てることである。

p.39 …現在行われているフェミニスト美術史にとって、マルクス主義がこの分野で示してきた厳密さ、歴史研究の情熱、理論的展開は新課題である。ここで言う新しいフェミニスト美術史は、…(後略)

p.39 たしかに美術史学は、大学、美術学校、美術館のカビ臭い地価倉庫に閉じこもって、選りぬきの教養人に「洗練された」知識を提供するだけの、たいした力はもたない学問領域である。

pp.39-40 美術史の言説における主役はアーティストである。アーティストは聖なる理想像として表現され、普遍的で階級を越えた人間()というブルジョワの神話を強化している。

美術史の主役=アーティスト=男 :p.75の定式も参照

p.40 “(たとえばヴァン・ゴッホを描いた映画『炎の人、ゴッホ』、ミケランジェロを描いた映画『華麗なる激情』)”

p.40 ブルジョワジーから奪い去るべきものは、彼らの芸術ではなく、彼らがもっている芸術についての概念である。

p.40 フェミニストによる美術史の見なおしは、…(中略)…アーティストという言葉は自動的に男だけを指すとする先入見をあばきだし、それに疑問を投げかけてきた。

p.40 「オールド・マスター(巨匠)」という尊称には、意味として対応する女性形はない。形だけを女性形にした「オールド・ミストレス」の意味はまったく異なる。

p.41 ガブハートとブラウンが明らかにしているのは、言語とイデオロギーの関係である。

p.41 …次々と発展してきたアーティストという理念と、女とはなにかという社会的定義は、歴史上別々の道、近年になると相対立する道をたどってきたからである。…(中略)女性的なるものは男性の反対物、ということはアーティストの反対物としてつくられてきた。(9)”

p.41 女に天才はいない。いるとすれば、彼女は男である。

p.42 現在までのところ、フェミニスト美術史は主流の美術史イデオロギーとその働きに対して、なすべき対決をしないできた。

p.42 美術史研究機構内の開明的政策は、こういう安全で、ただ既存の美術史に「付け加える」タイプのフェミニズムには、にぎやかしの傍流のひとつとして、その機構が主催する会議などで末席に場所を与え、(後略)

p.42 しかし、フェミニズムから美術史に向けられる批判の内容はまったくもみ消され、美術史として教えられている内容にはなんの変化もなく、その教育方法も学習方法も変わっていない。

p.42 アンタルは、主流の美術史学にとってなにが許容範囲で、なにがそうでないかを指摘している。

p.42 決して譲れないイデオロギーの核とは、アーティストの聖性と、芸術という領域の独立性であった。

p.43 アンタルの結論によれば、力の限りを尽くして固持されるであろう美術史学最後の要塞は、「芸術的天才に宿った測り知れない性質という、ロマン主義から引き継がれた最も根深い一九世紀的信条」(*12)である。

pp.43-44 美術史学が構築にいそしむ世界像に対して根底から挑戦するもの、つまり、歴史がどう動くか、なにが社会をつくりあげているのか、どのようにして芸術がつくられるか、アーティストとはいかなる社会的存在かについて、非常に異なる説明のしかたを提起するものが、美術史学から拒否されているのである。

p.44 フェミニスト美術史が関わるべきは、知識の政治学である。

p.44 「本当に問題なのは、ジャーメイン・グリアのあげる障害(物)ではなく、競争のルールであり、その検討が求められている」。(*14)

p.44 ほとんどの美術史が組織的に女性アーティストを記録から抹消したのは、実は、美術史が制度化されたアカデミックな学問として確立された二〇世紀になってからのことであると、われわれは気づいた。

p.45 女性アーティストとその作品は、美術史学の言説の構造に関わるある役割を果たしている。

p.45 …フェミニスト美術史がまずなすべき仕事は、美術史学そのものの批判ということになる。

p.45 女の芸術作品とは女らしさのこと、女らしさとは駄目な芸術のことという見方にはどういう意味があるのか。

p.45 われわれの見るところ、女らしさのステロタイプは、差異を示す不可欠な用語として働いており、芸術の領域で男性がもつ、決して特権とは自覚されない特権を維持するための引き立て役として役立っている。

「女の芸術は駄目な芸術」という考え方が、「男の芸術こそ唯一の素晴らしい芸術」という考え方の土台になっている

pp45-46 女がつくりだす芸術は、まさにこのヒエラルキーを守り抜くためにこそ言及され、そして退けられる必要があるのである。

p.46 ブルジョワが理想とする男性的人物像のエッセンスであるアーティストのイメージを、美術史学がどうつくりあげるかについて批判的に検討すれば、もっと違った別の芸術の歴史をわれわれは描きだすことができるだろう。

p.46 われわれにとってつねに必要なのは、刻々に変化する「アーティスト」と「女」という用語の定義をきちんと把握することである。時代とともに変化する階級と父権主義的な社会的諸関係のなかで生きる女として、彼女たちが一様ではないしかたで、それぞれの場所で折りあいをつけてきた現実についての理解がなければ、われわれがする女と芸術とイデオロギーに関するどんな美術史的な説明も、政治的な意味を欠くことになるだろう。