第二章 視線、声、権力
フェミニスト美術史学とマルクス主義
4 フェミニスト美術史学のいくつかの流れ
p.61 “…美術史を研究する英米のフェミニストたちの新しい仕事のきっかけとなったもののひとつが、リンダ・ノックリンの「なぜ女性の大芸術家はいなかったのか?」(*30)である。”
p.61 “ノックリンによれば、この問いは、「なぜなら女性が偉大になることは不可能だから」という否定形の答えを誘導するようにできている誤った問いである(*31)。”
p.62 “ノックリンは、生まれもっての輝かしき天才には勝利が約束されている、といった通念を神話として論破し、芸術創造はそれに適した社会的、文化的条件があってこそのものであることを示した。”
p.62 “…父権主義体制のまわりを飛びまわるアブのようになって、社会を誤った女性認識から解き放たなければならない。”
※アブによる解放
p.63 “しかしそれでも、彼女にとって、芸術とは相変わらず「偉大さ」「危険」「未知の世界への跳躍」といったことがらである。”
p.63 “…その障害は、誤った意識の産物なので、意志の力だけで除去することができると考えられている。”
p.63 “結局、ノックリンは、人類の規範としての男、その男のようになることで自由を獲得できる不利な他者である女、という父権的な定義を再強化している。個人主義、ヒューマニズム、そして主意主義が、このリベラル・ブルジョワ的議論の限界となっており、そういうものである以上、これは没歴史的な議論である。”
※ノックリン批判:ノックリンのフェミニズム美術史は父権的価値観の再強化になっている。
p.63 “歴史が退けられるのは、現在が欠けているからである。”
p.63 “そこで具体的に言及されることの決してないのが、変革を可能にしうる唯一の瞬間である現在の危機である。”
p.63 “社会的差別だけをとりあげる議論はすべて、病状と病因を取り違える。”
p.64 “…支配的で特権を有する社会集団、ないしは性別集団と、それに抑圧、搾取される集団とのあいだにある矛盾が明るみに出たというだけのことである。それは病気の症状ではあっても、原因ではないので、差別の説明にはならない。”
p.64 “統合とここで言うのは、既存美術史への編入であり、それは実は、女の芸術とその排除が提起する真の問題を見失うことである。”
p.65 “ここでは、絵画作品を表現様式による時代区分と表現流派のどこかに位置づけるための標準的な手続きが踏まれているが、それに加えて、歴史を現在へと平準化する「現在化」の傾向と、作品の内容と画家のジェンダーのあいだに直感的な類似を見ようとする傾向がある。”
p.66 “…同時に、この絵は、女の視点を描いたものとして歴史を越えたカテゴリーに移される。サザランド・ハリスには、階級、国籍、時代の違いを越えて女が共有する意識があるという前提がある。”
p.66 “全女性へのアピールをともないながら美術史的装いも凝らした分析は、緻密な歴史分析を妨げるものである。”
p.67 “女性アーティストを社会的、政治的主体とみなさないことで、どれほどわれわれは女の芸術を蔑ろにしているかを指摘したいためである。”
p.67 “セクシュアリティにも歴史があることは覚えておく必要があるだろう。歴史があるものはすべて、過去においては非常に違うものであったかもしれないのである。”
p.68 “…救いだすために犠牲にしたものはなにか。”
p.68 “…カレン・ウィルソンとJ・J・ピーターセンは、既存の美術史研究に女性を付け加えることは望まず、広く女たちに女性アーティストの伝統を見る新しい見方を論じ、性、階級、人種の問題をずっと無視してきた芸術世界を攻撃し、リズ・ヴォーゲルを引用して、次のように付け加えている。
さらに、人間としての規範はひとつしかないと考えられている。それは普遍的、没歴史的で、性も階級も人種ももたないかのように考えられているが、実はそれが高い階級の白人男性であることは明らかである。”
p.68 “しかし、それでは、いかなる美術史的分析も全面的に否定し、絵画の意味とそれが制作されたコンテキストに関するいかなる検証も捨て去ることが新しい道であるかというと、私はそうは確信できないのである。”
pp.68-69 “…不平等と闘ってそれを克服した勇気ある個々の女性に向けられたセンチメンタルな礼賛は、「アーティスト」「芸術家」という、美術史学の核心をなる神話のひとつを、実は再生産しているのである。”
※カレン・ウィルソンとJ・J・ピーターセン批判:彼女たちは既存の美術史に女性アーティストを付け加えることを望まなかった点で賢明だが、結局は既存美術史における「アーティスト」神話の再生産に無意識的に手を貸している。
p.69 “…その抑圧と、抑圧のなかを女たちがどう生きたか、どう抵抗したかはさまざまで、社会、時代、階級によって異なる。二人の著者が消し去ってしまったのは、このことである。こうして女の抑圧と抵抗の歴史性は消え去り、…(後略)”
p.69 “ジャーメイン・グリアの『障害物競走』(一九七九年)は、…(中略)…創造性とセクシュアリティの研究であった。”
pp.70-71 “グリアは、アーティストを社会的に容認された強迫神経症の一形態と見て、アーティストという神話的理想に強烈な一撃を食らわせた。”
p.71 “女は、既存の女性性の定義やイデオロギーと闘い、それぞれの時代、それぞれの文化のなかでさまざまな状況と折りあってきたのである。”
※ポロック流フェミニズム歴史学(美術史学)のメイン・モチーフ:女の抑圧と抵抗の歴史
5 ケース・スタディ――フェミニスト美術史学で行われている議論
p.72 “伝統的な研究と違って、われわれが研究したのは、女の歴史に見られるたくさんの不連続性と個別具体性であった。”
(一)アーティストと社会階級――ソフォニスバ・アンギッソラ(一五三五/四〇―一六二五年)
p.73 “名声、物珍しさ、例外性といったことは、女が実は絶えず途切れることなく芸術創作に参加していた事実をなかったことにするために、男性主導の文化がつくりあげた神話である。”
p.73 “アンギッソラが一五六一年(?)に制作した『自画像』から、いささかの解答を拾いだせるかもしれない。”
p.73 “力点が置かれているのは画家としての技術ではなく、彼女の階級の高さを示す洗練された教養である。”
p.74 “たとえばアルベルティは、同時代のアーティストのそうした望みが当然のものであることを支持するために、古典古代のアーティストが高い社会階層の出身であったという物語をでっちあげた(*38)。”
p.74 “彼女が利用した境遇は、女のアーティストを生みだしたそれまでの伝統とは違っていたし、同時代にアーティストとなっていく男の境遇とも違っていた。”
p.75 “さらに、ヴァザーリが女性アーティストのなにを選び出して述べているかを注意深く読んでみると、彼の記述が集中しているのは彼女たちの高い社会的地位であり、それは彼が確立したいと望んでいた気高きアーティストという概念と一致したからである。”
p.75 “しかし、それは同時期の、アーティストはほとんど神に近い位置にあるという主張が力を得ると危うくなった。そこではアーティストは第一の創造者たる神に次ぐ者であり、ユダヤ-キリスト教的神話のなかの徹底して男性的な人格とされたのである。”
※アーティスト=神=男
●ソフォニスバ・アンギッソラ
・アート at ドリアン / 女流画家 / アンギッソラ
※参考作品
《自画像》、1554年、油彩・カンヴァス、ウィーン、美術史美術館
Source: Web Gallery of Art / ANGUISSOLA, Sofonisbap.75 “バシュキルツェフとモリゾの二人がアーティストとしてした活動の助けとなったのは、彼女たちの階級ではなく、美術教育と展示の諸機構の周辺に生まれた、それまでとはまったく違う勢力(たとえば印象派やアンデパンダン展運動)だったのである。”
●マリー・バシュキルツェフ Maria Bashkirtseff (1858-1884 )
・ARC (The Art Renewal Center) / Maria Bashkirtseff
※参考作品
《アトリエにて》、1881年、油彩・カンヴァス、Dnipropetrovsk State Art Museum, Dnipropetrovsk, Ukraine
《パレットを持つ自画像》、1880年、油彩・カンヴァス、個人蔵
Source: Maria Bashkirtseff (ARC)●ベルト・モリゾ Berthe Morisot (1841-1895)
・ARC (The Art Renewal Center) / Berthe Morisot
※参考作品
《化粧する女》、1875年、油彩・カンヴァス、アート・インスティテュート・オブ・シカゴ
《画家の母と姉(妹)》、1869-70年、油彩・カンヴァス、ワシントン、ナショナル・ギャラリー
Source: Maria Bashkirtseff (ARC)
(二)美術アカデミー――裸体画をめぐるむきだしの権力
p.76 “ルネッサンスから一九世紀も末に至るまでの約三百年のあいだ、ヌードの人体は、アカデミーが歴史画と呼んで芸術的達成の頂点に位置づけた最高格の芸術表現の基礎であった。ヌード・デッサンを勉強できないというだけのことで、多くの女性アーティストは静物画、肖像画、風景画という限られたジャンルで仕事することを余儀なくされた。”
p.77 “それよりも重要なのは、アカデミックな美術機構が男女それぞれの活動領域を区別するための戦略として、その女性排除が機能したことである。”
p.77 “高位の文化的創造のなかの、イデオロギー的にも最も重要な最上位の分野でどういうイメージがつくられるかを決定するのは、アカデミー・メンバーの男性とそのイデオローグであった(*41)。”
p.78 “これはロイヤル・アカデミー会員の絵であるが、その絵はアカデミックなアーティストの理想について描いたものである。”
pp.78-79 “女性アーティストについて述べた当時の文献をよく検討してみると、たしかに、女性アーティストは理性と教養の存在ではなく、美貌と性的な好ましさをそなえた見せ物、アーティストにインスピレーションを与えるミューズであるという言い方が盛んになりつつあったことがわかる(*42)。”
p.78 “女性アーティストというカテゴリーが確立され、制度の運営においても、芸術の表現言語そのものにおいても、拡大する男のヘゲモニーを中心に性の言説が芸術分野で構築されたのである。”
(三)革命的敗北――ブルジョワの秩序
p.80 “…アーティストは支配的イデオロギーを受動的に再生産するのではなく、支配的イデオロギーの構築とその交替に参加しているからである。”
p.80 “新しい階級構成のなかで女の役割が、それまでとは違うものになったことのほうが切実な問題である。”
●ヴィジェ・ルブラン Elisabeth Vigée-Lebrun
・アート at ドリアン / 女流画家 / ルブラン
・The Art of Elisabeth Louise Vigée Le Brun
ロンドン、ナショナル・ギャラリーにある『自画像』:
《自画像》、1782年、油彩・カンヴァス、97.8 x 70.5 cm、ロンドン、ナショナル・ギャラリー
※参照:ロンドン、ナショナル・ギャラリー / ヴィジェ・ルブラン
『ユベール・ロベール』像
《ユベール・ロベール像》、1788年、油彩・板、105 x 84 cm、パリ、ルーヴル美術館
※参照:base Joconde / Robertで検索
p.81 “そうした描写が、つまるところこの肖像画を美人画にしている。”
p.81 “なにもかもが一体となって、彼女の存在をわれわれに示しているが、それはわれわれに見られる存在、見せ物として画家が自分自身を披露しているのである。”
p.81 “…家族生活を描いた新しい道徳主義的で情緒的な表現の登場である。”
p.82 “母と子と家族に対するこの新しい態度を説明するものは、ダンカンの論によれば、家族と子供に関わる新しいブルジョワ諸制度の発展である。”
p.82 “なかでも最も目を惹く新奇なイデオロギーのひとつに、幸福に満たされた母親の賛美がある。わが子を産み育てることで自足する女性の賛美である。”
p.82 “男の子を抱く聖母像がここでは非キリスト教的に置き換えられて、母と娘という女二人の肖像画となっている点が新しい。”
p.83 “よく考えられたこの画面構成のおかげで、この作品には、革命後に確立されることになるブルジョワ社会における女の人生の閉じた円環が早くも刻みこまれているのである。”
p.83 “これと並行して、アーティストについてのブルジョワ概念が形成され、創造者であるアーティストはあらゆる反家庭的なものと結びつけられるようになった――アーティストはアウトサイダーで荘厳な造物主とともにあるといったロマン主義的な理想も、自由に生き、性的にエネルギッシュで社会からは弧絶したはずれ者であるといったボヘミアン・タイプの理想も、いずれも反家庭的である。。”
p.83 “ブルジョワ革命は多くの意味で女にとって決定的な打撃となり、独特の権力の配置と支配をつくりあげたので、われわれは女としてそれと闘わなければならない。”
pp.83-84 “フェミニスト美術史がマルクス主義理論に襲撃をしかけて踏みこみ、ブルジョワ社会とブルジョワ・イデオロギーの働きに関するマルクス主義理論の優れた説明方法と分析を使うことで、ブルジョワ的女性性に特有のしくみとブルジョワ的神秘化…(中略)…の諸形態を認識することができるようになれば、…(後略)”
<フェミニスト美術史の課題>
ブルジョワ的女性性に特有のしくみ
ブルジョワ的神秘化
――の諸形態を認識すること