講義ノート1


1.デリダ(1930- )について

1930年、フランス植民地下のアルジェリア、アルジェ近郊のエル・ビアール生まれ ※アフリカ地図 Source: 刺繍博物館 / 世界地図(03/11/03)

1949年、パリへ出て、ルイ・ル・グラン高等中学校入学

1952年、高等師範学校(エコール・ノルマル・シュペリウール)入学

1956年、同校卒業、アグレガシオン合格、ハーバード大学留学

1959年、ル・マンのモンテスキュー高等中学で教員生活を始める ※フランス地図 Source: Map of France(03/11/03)

1960年、ソルボンヌの「一般哲学・論理学」講座助手に就任

1962年、『<幾何学の起源>への序説』

1964年、エコール・ノルマルの教員に就任

1967年、『エクリチュールと差異』、『グラマトロジーについて』、『声と現象』

1972年、『余白―哲学の/について』、『散種』、『ポジシオン』公刊、フランス思想界に独自の哲学者として地歩を固める

1974年、『弔鐘』

1978年、『衝角―ニーチェの文体』、『絵画における真理』

1980年、国際哲学カレッジ創設、同初代議長に就任、『絵葉書』刊行

1983年、『哲学における最近の黙示録的語調について』

1984年、社会科学高等研究院教授就任、「哲学の諸制度」講座担当

1986年、『海域』

1987年、『精神について―ハイデガーと問い』、『プシケー―他者の発明』

1988年、『記憶=回想―ポール・ド・マンのために』

1990年、『有限会社責任』

1991年、『時間を与える』

1994年、『友愛の政治』

1995年、『マル・ダルシーヴ―フロイトの刻印=印象』

『フランス哲学・思想事典』(編集委員:小林道夫、小林康夫、坂部恵、松永澄夫)、弘文堂、1999年1月、535-42頁より


2.脱構築について

他者との関係

p.536 "こうした構造をもつ形而上学の言説システムに対して、デリダは、「他者」との関係がその解体の運動を、つまり「脱構築」を引き起こすと考える。デリダの実践する脱構築の作業とは、形而上学のテクストそのもののうちで起こっているこの運動をあらわならしめることにほかならず、そのつどテクストの特異性に即した注意深い読解の実践である。"

p.537 "こうした階層秩序的二項対立に対して、脱構築は一般に、劣位におかれたものが何らかの形で、優位におかれたものの可能性の条件にかかわっていることを示し、両者の境界線が厳密には決定不可能であることを暴露することによって、既成の価値序列とは別の関係、別の<他者との関係>の可能性を開こうとする。"

無限の他化―散種へ

p.539 "『弔鐘』(1974)や『絵葉書』(1980年)は、古典的な哲学のエクリチュールのスタイルを意図的に破壊して書かれた実験的テクストの代表的な例であり、そこでは、ロゴスの父に回帰することなく、絶対に限定不可能な仕方で無限の他化へと開かれた言語の経験、他者への留保なき贈与であるような言語の経験としての散種(dissémination)が肯定され、パフォーマティヴに実践されたのである。"

哲学/文学

p.539 "70年代のデリダは、いわば最も「文学」に接近した面があり、そこから、脱構築は哲学を文学に解消するものだという(ハーバーマスに見られるような)誤解も生じた。…(中略)…デリダは「哲学」のみならず「文学」の制度性をも問い直そうとしているのだから、彼のエクリチュールの散種的、彷徨的性格を「文学」と同一視することはできない。"

経験の中での決定の責任の問い直し

p.541 "こうして脱構築は、決定不可能なものの経験における決定の思考として、アポリアの思考であると言える。脱構築は単に、所与の言説の自己矛盾を暴露し、それを自壊に導くことを目的とするのではなく、肝心なのは、固定化し、自明化した既成の言説的・制度的構築物を決定不可能な他者の経験(アポリアの経験)へと開き、その経験の中で決定の責任を問いなおすことである。"


3.『絵画における真理』について

パレルゴン/エルゴン Parergon/Ergon

それぞれギリシア語のπαρερνουとερνουを語源とする用語。エルゴンは「作品」を、その接頭辞であるπαρは「外に、そばに、傍らに」を意味していることから、パレルゴンは「作品とは無関係な部分」「付属物」「アクセサリー」等々と解される。カントの『判断力批判』が両者への言及を含んでいることは以前から知られていたが、書物の行間に埋もれていたその事実は、J・デリダの『絵画における真理』(高橋允昭+阿部宏慈訳、法政大学出版局、1997)による独自の再解釈によって、現代に甦ることとなった。絵画の額縁、彫刻の衣紋、神殿の回廊などの例を取り上げて検証するデリダにとって、芸術の真理とはパレルゴンの側に、パレルゴンとエルゴンの境界にこそ潜むものであり、その真理のイデオロギー的機構を暴こうとする意識は、書物の中にも空白を太く縁取ったパレルゴンを再現するほどに徹底したものであった。デリダのこの読解は、『判断力批判』が未だ近代美学の出発点とも呼ぶべき重大な文献であり、この書物をどう解釈するかが美学的態度の分岐点であることを明らかにした。なお、1980年代初頭の東京で営まれていた現代美術の先鋭的な画廊「パレルゴン」は、この用語に着想を得たものである。

(暮沢剛巳)

Source: artscape / Art Words 現代美術用語集 / パレルゴン/エルゴン

(03/12/16)

p.88 "カントは学問的な死語を援用する必要があることについて、他の個所で見解を表明している。〔パレルゴンという〕ギリシャ語は、ここで、この作品-外(ルビ:オル-ドゥーブル)〔hors-d'œuvre〕という観念に、ほとんど概念的な品位を授けている。とはいえ、この作品-外は単に作品の外にとどまっているのではなく、傍らで、作品(ergon)の間近で働きかけてもいるのである。辞書は、たいてい、「作品-外(ルビ:オル-ドゥーブル)」という訳語を挙げている。これがいちばん厳密な訳だが、このほかにも、「付随的な(ルビ:アクセスワール)、無縁な(ルビ:エトランジェ)、二次的なもの(ルビ:スゴンデール オブジェ)」、「補足物(ルビ:シュプレマン)」、「枝葉(ルビ:ア・コテ)」、「余り物(ルビ:レスト)」といった訳語が示されている。主題が、自己自身からはずれることによって、そうなってはならないもの―パレルゴンとはそういうものなのである。"

p.89 "パレルゴンというものは、エルゴン〔=作品〕の、なされた仕事の、なされたもの、作品の間近(ルビ:コントル)に〔contre(それに逆らって)〕、それの傍らに、それからはみ出たところに到来する。にもかかわらず、それは見当違いに逸れているのではなく、或る何らかの外部から、働き(ルビ:オペラシオン)の内部に触れ、それに協働する。それは単に外側にあるものでもなく、単に内側にあるものでもない。あたかも縁(ルビ:へり)で〔au bord〕、縁(ルビ:ふち)で〔à bord〕、人びとが受け入れざるをえない或る種の付属品(ルビ:アクセスワール)のように。パレルゴンは、まずはじめに〔d'abord(縁(ルビ:ふち)のところからして)〕、縁(ルビ:ふち)のところにあるもの〔l'à-bord〕なのである。"

ジャック・デリダ『絵画における真理 上』(叢書・ウニベルシタス 590) 高橋允昭、阿部宏慈訳 法政大学出版局 1997年12月


番外。難解な書物を、若いときに、脂汗を流しながら読むことの効用

pp.14-15 "最初に速読を求めてはならない。速読は結果である。むしろ精神集中訓練に役立つのは、きわめつきに難解な文章の意味をいくら時間がかかってもよいから徹底的に考え抜きながら読むことである。一節の文章を読み解くのに一時間も二時間もかけてもよい。わからなければ脂(ルビ:あぶら)汗が流れ出てくるまでとにかく考えてみることである。他のことは何も考えず、ひたすらその意味を考えることである。なぜ自分にはこの意味がわからないのかと、自分の頭の悪さに絶望しつつ、それでも決して本を投げ出したりはせず、なかば自虐(ルビ:じぎゃく)的にとことんしつこく考えて考え抜くのである。"

pp.15-16 "トライするなら、難解な書がよい。しかし、難解な書であればなんでもよいというものでもない。定評ある古典的名著で、難解の世評が高いものがよい。というのは、世の中の単に難解という評判だけの書には書き手の頭が悪いために難解になっている書があまりに多いからだ。そういう書を読み解こうとして脂汗を流してみても、精神集中の訓練などにまったく役に立たないばかりか、書き手の頭に合わせて、自分の頭も悪くしてしまうのがオチである。"

p.16 "ともかく、こういう訓練は若いときにやっておくべきである。年をとってからは効果も薄いし、時間のムダになるからやめておいたほうがよい。"

立花隆『「知」のソフトウェア』(講談社現代新書 722)、1984年3月