講義ノート2


1.パス=パルトゥー

p. 294 (11)デッサン、版画などにつけられる装飾額縁。厚紙でつくられ、作品を組み込む部分をくりぬかれた台紙。いわゆるマット。

p. 22 …序文のあるいは緒言の場所に相当するであろう。


Source: 内藤額縁店 / 版画の額装


Source: 版画HANGA百科事典 / 額装の方法

(04/1/6)


2.「パス=パルトゥー」の全体構成をイマジネーションを使って読む
 

1 折り目正しくたたまれたハンカチーフが差し出される

2 ハンカチーフは広げられ、一枚の布として、その柄などを見ることができるようになる

3 ハンカチーフの持ち主が彼とハンカチーフとの個人的な関わりについて話し始める

4 ハンカチーフの素材、製法、寸法、ブランド名、品番などが説明されたのち、ハンカチーフは足元に捨てられる
 


3.1と2の見取り図

  1 「絵画における固有言語」の分解

1-1.文脈を欠落させたまま到来する「彼」

1-2.四つの仮定:三つのenen peinture一つ

1-3.私の無力=文意の不決定性/私の退場/「彼」とあなたの二人きり


  2 「絵画における真理」の分解

2-1.絵画における真理/セザンヌDベルナール

2-2.絵画における言語行為論の適用可能性

2-3.翻訳不可能性→残余と利息

2-4.四つの関与的特徴

2-5.パス=パルトゥー


4.精読

1 「絵画における固有言語」の分解

1-1.文脈を欠落させたまま到来する「彼」 p. 1 l.1-10

p. 1 “「私は絵画における固有言語(ルビ:イディオム)に関心を抱いている。」

p. 1 彼はただ到来し、あなたに言うのだ。「私は絵画における固有言語に関心を抱いている。」

p. 1 彼は到来するのであり、到来したばかりであるのだから、枠組み(ルビ:カードル)は欠如しており、なんらかの文脈といった縁取り(ルビ:ボール)は消滅している。


«Je m'intéresse à l'idiome en peinture. »

1-2.四つの仮定:三つのenen peinture一つ p. 1 l.11-p.2 l.13

)「絵画化された」固有言語に…(中略)…関心があるというのだろうか。(pp. 1-2)

絵画の状態にある固有言語;固有言語→絵画

[様態]enex. arbre en fleurs 花の咲いた木

)「絵画的な〔en peinture〕」という語群に…(中略)…関心があるというのだろうか。(p. 2 l.3-5)

en peintureという固有言語;固有言語= en peinture

en peinture=「絵画的な」、「絵画化された」、「絵画における」

)絵画の領域における、固有言語に属するもの、固有言語的な…(中略)…特徴線(ルビ:トレ)とかスタイルに関心があるというのであろうか。(p. 2 l.6-8)

絵画における固有な表現;固有言語=表現<絵画

[位置:(分野の)中で] enex. docteur en médecine 医学博士

) 絵画芸術の…(中略)…絵画もおそらくは一つの「言語(langage)」であるとして、その「言語」の、独自性あるいは…(中略)…特異性に関心がある等々、というのであろうか。(p. 2 l.8-10)

絵画という固有言語;固有言語=絵画

[形式]en ex. poème en prose 散文詩

p. 2 以上を総計すれば…(中略)…四つの仮定になるが、それらはまた各々に…(中略)…さらに分化され、いくら翻訳をしても、あなた方がそれを終えることはないだろう。
 

1-3.私の無力=文意の不決定性/私の退場/「彼」とあなたの二人きり p.2 l.14-

pp. 2-3 私は、私がそこにおいて低減しようと望むはずの不決定を、つねに、送り返し、再生産しなければならないであろうし、そのつどなんらかの代補(ルビ:シュプレマン)supplément〕を過剰に担わされた私の関係の形式化のエコノミーのうちに、くだんの不決定が自らを再導入するがままにするしかないだろう。結局のところ、まるで私がたった今「私は絵画における固有言語に関心を抱いている」と言ったのでもあるかのように、すべてが運ぶことだろう。

 cf. 文芸批評における批評家による作品の横領

p. 3 この残滓が分割された一つの第一動者〔un Premier Moteur〕を作動させることになる。

p. 3 そこで私はあなたを、この到来し次のように発語する者、私ではないその何者かと二人きりにしよう。

2 「絵画における真理」の分解

2-1.絵画における真理/セザンヌDベルナール -p.4 l.7

p. 3 絵画における真理、この言葉の署名者はセザンヌである。

p. 4 私は絵画における真理をあなたに負っている。そして私はそれをあなたに言うことになるだろう(エミール・ベルナールあての書簡、一九〇五年十月二十三日)
 

2-2.絵画における言語行為論の適用可能性 p.4 l.8-p.6 l.7

p. 4 その文章は事実確認〔述定:constat〕という様態ではいかなる形でも作用しない、それはそれが構成する出来事の外にあるいかなる事柄も述べはしないが、それは一つの言述、言語行為論〔speech acts〕の理論家であるならここで「行為遂行的〔performatif〕」と、もっと的確には彼らが「約束〔promesse〕」と呼ぶ種類の遂行に属する言述によって、署名者を拘束する。

p. 4 私は、さしあたり、…(中略)…言語行為論の理論家たちから「事実確認〔述定〕的〔constatifs〕」とか、純粋に「行為遂行的」〔言述〕といった用語を借用する。

p. 5 行為遂行的代補性〔la supplémentarité performative〕は、そのとき、無限に開かれている。ある種の暗黙の格付けが、言い換えればある行為遂行的虚構を標記〔marqué〕された文脈が、それに対して、その可能性を保証するならば、記述的もしくは「述定的」参照関係なしで、約束は出来する。

p. 5 …この約束の対象、約束において約束された事柄は、もう一つの遂行的〔言述〕であり、それは、まだ我々には分からないが、何も述べもせず、記述しもしないある「描く〔peindre〕」こと等々、でも十分ありうるのである。

p. 5 このような出来事の行為遂行の条件、その連鎖の始動の条件は、言語行為論の古典的な理論家たちによれば、セザンヌが何かを述べたいと望み、人がそれを理解することができるということであるだろう。

p. 6 この条件がはたして満たされることがありうるのかどうか、あるいはそれを規定する意味があるのかどうかさえ知るために、私はこの本を書いたのだと仮定しよう―とすると、それはまだこれから知るべきことである。

p. 6 言語行為の理論は絵画においてそれに対応するものを見いだすであろうか。それは絵画においても理解されうるのだろうか。

 ※この本の執筆動機の1つ目。
 

2-3.翻訳不可能性→残余と利息 p.6 l.8-p.8 l.10

p. 6 すなわち、負債〔dueとなるべき、さらに言えば、返却され〔応答され:rendue〕なければならない真実とは何でなければならない〔doit〕のかという疑問が。絵画において。

p. 6 返却〔restitution〕ということの何を。しかも絵画において。

p. 6 「絵画における真理」はしたがってセザンヌの表現法(ルビ:トレ)〔特徴線:traitであるかもしれない。

p. 7 もしも、その最も純粋な形で、いくばくかの固有言語とか方言的な部分とかが存在するのであるなら、それらは、このセザンヌの特徴線(ルビ:トレ)〔表現法〕の中にも、作動しているものとして認められるのでなければならないだろう。ただそれらのみが、…(中略)…それがつねに残り続けるかぎり、残余(ルビ:レスト)restes(leipsomena)を、述べることを可能にするのであり、…(中略)…それをゲーム〔賭:jeu〕に引き入れるのである。

p. 7 私は、この本を、その四つの部分にわたって、この残余(ルビ:レスト)への関心ゆえに―あるいはそのお陰で―書こうとしたと仮定しよう。

p. 7 残るのは(ルビ:レスト)―翻訳不可能なるものである。

 ※この本の執筆動機の2つ目。

p. 8 同数の語、記号、文字、同一の意味論的な内容に対して同量のあるいは同一の経費、しかも同じだけの剰余価値の収益をもって翻訳されることは不可能であるのだ。「私は絵画における真理に関心をもっている」と私が言うときに私の関心を引く〔m’intéresse〕のはこのこと、つまりこの「利息〔intérêt〕」であるのだ。
 

2-4.四つの関与的特徴 p.8 l.11-p.11 l.19

p. 8 物自体〔chose même〕に関係する〔ce qui a trait〕もの。

p. 8 すなわち、それ自体として、そのものとして〔人物化されて〕仲介物も、化粧も、仮面も、ヴェールもなしに、復元された真理である。

p. 9 …その真理は、おのれ自身に似るために、二つの属格に従って、二度にわたり生産し、あるいは懐胎するために、すでに十分に分割されている。つまり真理の真実性、そして真実性の真理として。

p. 9 虚構の条件において、あるいはその似姿絵のレリーフにおいて、正確な再現前〔表象〕にかかわるもの。

p. 9 すなわち、その肖像として、線の一本一本を忠実に表象〔再現前〕された真理ということを。

p. 9 セザンヌの表現(ルビ:トレ)〔線〕は深淵を開くのである。

p. 10 …この表現は、あらゆる種類の交錯的配語法(ルビ:キアスム)によって、モデルを現前と規定するか、再現前と規定するかに従って、それ自身と交差することも可能である。再現前の現前、現前の現前、再現前の再現前、現前の再現前。数え違いはないだろうか。少なくとも四つの可能性があるのである。

p. 10 現前のあるいは再現前の、「本来の〔固有の〕意味における、絵画性〔picturalité〕」にかかわること。

pp. 10-11 すなわち、絵画に固有の領野において、絵画的様態において、それも、たとえこの様態が真理それ自体に対して回帰的であろうとも、絵画に固有の様態で、それとして呈示され、自ら現前せしめ、あるいは再現前させる真理(して理解されうる:講師補)

p. 11 絵画の分野において、したがって、絵画に関して〔au sujet〕、真理の現前あるいは絵画的再現前に関することに限らず、真理にかかわるもの。

p. 11 すなわち、絵画の領域において、そして、絵画に関して、絵画に精通している〔s’y connaître en peinture〕というような場合のように、絵画における〔についての:en peinture真理ということを(述べようとしている、と理解されうる:講師補)
 

2-5.パス=パルトゥー p.11 l.19-

p. 12 …私は真理についての真理をあなたに負っているのであり、それをあなたに告げるであろう。寄生されるがままになっていることによって、固有言語(ルビ:イディオム)の体系としての言語(ルビ:ラング)の体系は、ひょっとすると、絵画の体系に寄生することになるかもしれない。…(中略)あらゆる体系をその外部に開き、それを境界づける〔縁取る〕かのように振る舞う線の統一性を分割する〔divise l’unité du trait本質的な寄生関係を出現させることになるかも知れないこの縁取り(ルビ:ボルデュール)の分割〔partition de la bordure、これがおそらくはこの本の中に書き込まれ、その至るところで生起する事柄であるだろう。

p. 12 因習的な枠は、そこで、レンム〔予備定理、前提、皮膜、包装 lemmes<λεμμα:外皮〕から、パレルガ〔parerga<παρεργοζ:パレルゴンの複数形:副次的なもの、付け足し、付加装飾的なるもの〕まで、エグゼルグ〔刻銘〕からカルトゥーシュ〔cartouches〕まで、無限に波及していく〔s’y démultiplie:細分化され影響を及ぼす〕のである。パス=パルトゥーの固有言語を手始めに。

p. 13 セザンヌの表現法(ルビ:トレ)trait〕は容易に一つの直接的な文脈から解放される。それが一人の画家によって署名された言葉だと知る必要さえあるだろうか。