講義ノート3


1.3と4の見取り図

  3 セザンヌの約束

3-1.この本に忍び込むもの

3-2.筆者の自問

  4 四つのプロジェクト

一度目 芸術をめぐる哲学的遺産の再検討

ニ度目 音声的特徴と書字的特徴の契約の発掘

三度目 デュクシオンの体系の探究

四度目 女声を加えたポリローグにおける不調和の問題

内部と外部の分割可能性

パス=パルトゥー≠緒言


3 セザンヌの約束

3-1.この本に忍び込むもの -p.14 l.16

p. 13 “これら四つの絵画における真理を、画家は、その負債を返済するために、描くとは約束していない。少なくとも、文字どおりには、彼はそれらを述べる〔dire:言う〕と約束している

p. 14 “一人のセザンヌのような画家から発せされた「私はそれをあなたに述べるであろう」は、比喩的なものとして理解されることもできる

p. 14 “この文字と、言説と、絵画との間にある線(ルビ:トレ)〔trait〕、これがおそらくは、『絵画における真理』において、生起する、あるいはその内に忍び込むものでもあるのだ。

3-2.筆者の自問 p.14 l.17-

p. 15 “我々は、ペインティング・アクト〔painting act:絵画行為〕を約束するこの言語行為〔speach act〕の極限にまでまだ至っていない。”

p. 15 “…絵画における真理の寓意像(ルビ:アレゴリー)は、絵の中に裸体で自らの姿をさらすということからは程遠い。”

 参考図版

This reproduces the subject of a painting by the Greek painter Apelles, described in classical times by Lucian and mentioned in the Renaissance by Leon Battista Alberti in his treatise "De Pictura". In this painting there is a representation of King Midas, with ass's ears, listening to the false words of Ignorance and Suspicion. In front of them, standing, is Malice who precedes Calumny. Calumny is accompanied by Envy and Fraud, dragging Innocence by the hair. Behind this group is the hooded figure of Remorse, who turns to look at the naked figure of Truth. This is the allegory of the painting which is set in a large hall with archways that are fully sixteenth century in style. Through these we can see a clear faraway landscape of sky and completely barren countryside and along the walls of the room are niches with figures from classical antiquity and from the Scriptures.

Source: Web Gallery of Art / BOTTICELLI, Sandro / Calumny

(04/1/13)

p. 15 “それなら、人は、一枚の真理なき絵画を思い描いてみよう。”

p. 15 “…「なしに〔sans〕」は、この本の軽い積み荷の一つとなっているのである。”

p. 16 “人は自問する。セザンヌは約束したのだろうか、本当に約束したのだろうか、述べることを、真理を述べることを、絵画における真理を絵画において述べることを約束したのだろうか

4 四つのプロジェクト

p. 16 “私はここで、四度、絵画をめぐって〔autour de:絵画の周辺において〕書く

一度目 芸術をめぐる哲学的遺産の再検討

p. 16 “一度目は、伝統的な哲学的大問題(「芸術とは何か?」「美とは?」「表象とは?」「芸術作品の根源は?」等々)を、パレルゴンの執拗な無場所性(ルビ:アトポス)へとたわめる〔折り曲げる、従わせる〕ことに専心しつつ。”

pp.16-17  “…今日なおこの問題圏全体を支配する芸術に関する大哲学者の遺産を、すなわち、まずカントのそれを、ヘーゲルのそれを、そしてまた別の意味で、ハイデッガーのそれを、超過し、解体し、あるいはその位置をずらしうるのか。”

p. 17 “『絵画における真理』のこれらのプロレゴメナは、それら自体がこの本のパレルゴンであるのだが、一つの円環にかかわっている。”

プロレゴメナ

(1)カントの著作:《プロレゴメナ》(1783)

(2)ヒュームの形而上学否定の警告によって思弁的独断の夢をさまされたと述べたカントの有名な《プロレゴメナ》の序言…

(3)基礎神学 きそしんがく fundamental theology
カトリック神学の一分野。啓示の真理を取り扱う信仰の学問である教義学体系に対して基礎を与えようとする分野であり,プロテスタント神学では教義学序論 (ドイツ語でプロレゴメナ) の用語が用いられるが,実際は,後者は教義学の内容の総論的性格が強く,基礎神学の場合のように,学問の理論的な基礎づけを行うものとは趣を異にする。

出典:山口大学附属図書館 / 世界大百科事典【ネットで百科】(学内専用)、「プロレゴメナ」にて検索

(04/1/13)

ニ度目 音声的特徴と書字的特徴の契約の発掘

p. 17 “二番目には、私は囲い〔cerne〕にさらに注目して、音声的特徴〔trait phonique〕を、語以前のものであるような場合でも(例えばGLや、TRや、+Rなどのように)、書字的と言われる特徴(ルビ:トレ)〔trait dit graphique〕に結び付けうるような、特異な契約を、明るみに出そうと(ルビ:デクリプテ)〔地下納骨堂から出そうと〕あるいはその封印を解こうと試みている。

p. 17 “それは、絵画における〔絵画化された〕文字と固有名詞に、なかんずく、そしてつねに絵画においての、語りに、技術的な複製〔再生産〕に、イデオロギーに、音素に、伝記素に、そして政治にかかわる。

三度目 デュクシオンの体系の探究

p. 17 “第三番目には、私は、署名としての線を(それが苗字と呼ばれる固有名詞を通過するものであろうと、あるいは時にデュクトゥス〔引くこと、引き出すこと、線で引かれた痕跡:ductus〕と呼ばれるデッサンの作者の固有言語を通過するものであろうと)、再検討しつつ、その結果として、デュクシオン〔duction〕の体系を探ることになる(生産〔production〕、再生産〔reproduction〕、帰納〔induction〕、演繹〔réduction〕等々)。”

p. 17 “…最初にある物〔l'initial〕、例えばもろもろの頭文字〔des initiales〕が、反復が、モデルあるいは範例(ルビ:パラディグム)〔paradigme〕が、(ルビ:セリー)〔連続:série〕が、日付が、出来事(回、確率、一撃〔一打ち、一投げ〕、順番)が、系譜学と、なかでも残余(ルビ;レスト)が、喪の仕事の中で、取り扱われる。

四度目 女声を加えたポリローグにおける不調和の問題

p. 18 “第四番目には、私は、これらすべての糸を、n+1の声、このもうひとつの声は女声であることが判明するのだが、によるポリローグ〔多声の会話〕を通して交差させる〔捩じり合わせる:entrelace〕。”

p. 18 “そのとき、絡み合い〔entrelacs〕のそして不調和〔disparant〕の問題がそこに反響する。”

p. 18 “この機会は、ハイデッガーとシャピロとの間の一種の対決によって与えられた。しかるに、一人の第三者(一人の第三者以上の者、複数の目撃者〔介添人〕にも劣らない者)が、死んだふりをしていたのである。”

内部と外部の分割可能性 p.19 l.1-p.20 l.14

p. 19 “それゆえ、四度、絵画をめぐって、ただその周囲を回るのである。

p. 19 “我々が、芸術作品の周辺部、せいぜいのところがその縁辺〔接岸部:abords〕として、認めることを、そして包含することを自らに許した、といってもこれが大問題であるのだが、そのような地域をめぐるのである。”

p. 19 “つまり、枠〔額縁〕、タイトル、署名、美術館、古文書室〔館〕、複製、言語、市場など、要するに、人が、分割不能であると主張する対立の線によってその限界を標記しつつ、絵画の〔に対する〕権利を〔du droit à la peinture〕法制化するようなところであれば至るところを。

p. 19 “その分割可能性がテクストを、痕跡(ルビ:トラス)残余(ルビ:レスト)を生み出すのだ。”

p. 19 “絵画に関する言説はおそらくは、それらの言説が何をなすものであろうと、何を述べるものであろうと、それらを構成する限界を再生産するべく運命づけられているのかもしれない。”

p. 19 “それらにとっては、そこになにがしかの作品が存在するや否や、作品の一つの内部一つの外部が存在することになるのだ。”

パス=パルトゥー≠緒言 p.20 l.15-

p. 20 “絵画において真理を生ぜしめる〔場所を与える:donner lieu〕 ために切り開くべき一つの空間が残っている。内部にでもなく、外部にでもなく、それはおのれの空間を空間化するが、枠を嵌められるがままになることはないが、しかし、枠の外にありもしない。”

p. 21 “この緒言〔avertissement〕は何にでも合う合鍵(ルビ:パス=パルトゥー)〔un passe-partout〕ではない、と。”

p. 22 “…作品の方はどうかといえば、作品は、第一、その時々によって、このような形でパス=パルトゥーの中にもぐり込まされる別の作品に取って代わられることもある。このような点では、パス=パルトゥーは、根底において可動的な構造であり続ける。

p. 22 序文のあるいは緒言の場所に相当するであろう。