講義ノート3


精読3

 I アヴァンギャルドの創造―フランス、一八三〇-一八八〇

  1 クールベ以前 p.24-p.26 l.17

革命的政治=革命的芸術

p.24 "「芸術は、強い信念を通じてのみ変化するが、その信念は、同時に社会をも変革させるほど強力なものである」。"

p.24 "…トレの主張は、一九世紀半ばの視覚芸術において、革命的政治と革命的芸術を同一化しようとした、明らかに典型的な進歩的思想である。"

ドラクロワとクールベ

p.24 "ドラクロワは一般に、進歩的な批評家たちから、一八四八年の二月革命の理想を実現することを期待された画家っであった。"

p.25 "一方クールベは、この主題をもてあそんでいたが、流行作品を生み出すための国家的なコンクールに参加することについてはまじめに考えていた。"

アヴァンギャルドの語源→二〇世紀とは意味が違う

p.25 "「アヴァンギャルド」という言葉自体は、初め比喩的に、芸術、社会両方の分野における急進的な、あるいは進歩的活動を示すのに使われた。"

p.25 "ここでは、「アヴァンギャルド」という言葉は、二〇世紀においてよく見られる純粋に美学的な意味ではなく、急進的な革命的意味合いが優先されている。"

  2 「アヴァンギャルド」の体現者クールベ

   2-1 保守派との比較 pp.26 l.18-p.30 l.2

pp.26-27 "「アヴァンギャルド」という言葉を本来の使い方によって、芸術的、政治的な進歩をともに意味する二重の含蓄をもっとも具体的に示した画家は、たしかにギュスターヴ・クールベであり、彼の攻撃的な急進的リアリズムにそれを見出すことができる。"

p.27 "クールベの集大成的な代表作《画家のアトリエ》は、もっとも前進的な政治的見解の重要な声明を、一九世紀半ばにおけるもっとも進歩的な形式と図像のうちに示したものである。"

参考図版
 ギュスターヴ・クールベ《画家のアトリエ》、1855年、361×598cm、油彩・カンヴァス、オルセー美術館

p.27 "進歩的で独立した、社会の殉教者としての芸術家像は、…(中略)…一九世紀の半ばまでに、少なくとも二人の無名の画家が「チャタトン」の姿をカンヴァスの上に描きとめている。しかしながらこれらの作品では、進歩的な社会や政治思想と絵画上の冒険との間に必然的な関連性はみられない。"

参考図版
  ヘンリー・ウォーリス《チャタトンの死》、1856年、62.2×93.3cm、油彩・カンヴァス、テート・ギャラリー

p.28 "一九世紀半ばの進歩的な社会の思想が、絵画上や図像上も、それに見合った進歩的な形式のうちに表現されるようになったのは、ようやく一八四八年の二月革命から七年を経た年に描かれたクールベの《画家のアトリエ》においてであった。"

「革命的な」絵の保守性

p.28 "この作品[《画家のアトリエ》]の真に革新的な特質は、一八三〇年の七月革命の際に描かれた「革命的な」絵であるドラクロワの《民衆を率いる自由の女神》と比較することによって、おそらくもっとも明らかにされよう。
 ドラクロワのこの作品は、政治的、美学的な両方の意味において保守的である。すなわち、イデオロギーにおいては、郷愁的にナポレオン体制を支持しており、また、図像と画面構成においては、ドラクロワの新古典主義の師ゲランの神話画にみられる典型に多くを負っている。"

   2-2 革新性の手掛かり―ドミニク・パプティ p.30 l.3-p.37 l.4

p.30 "しかしながら、一八四八年以前に活躍した、社会的に進歩的で寓意的な絵を描く画家たちの中で、より注意深く検討するに値する画家が一人いる。…(中略)…ほとんど無名のドミニク・パプティ(一八一五−四九)である。"

p.31 "クールベとパプティを繋ぐもの、そして隔てるものは、クールベの《画家のアトリエ》とパプティの《奴隷制最後の夜》とを比較することによって、もっとも明らかにされる。"

p.31 "クールベはたぶん、一八五四年にブリュイアスを訪問した際に、パプティのスケッチを知ったものと思われる。"

p.32 "明らかに、パプティの描いた野心的なスケッチは、少なくとも部分的にはこの調和主義者の後援者サバティエから提案されたものであり、そのスケッチは、彼によってクールベに見せられそこで具体化されている思想について話し合われたものと思われる。"

p.33 "ある意味では、パプティの平凡で衒学的な素描が、クールベの挑戦を引き出したと言えるかもしれない。すなわち、パプティのアカデミックな古典主義を、クールベ自身の個人的体験から導き出された、自分の時代の絵画言語に移し替えることができるかどうかという挑戦である。"

p.33 "美術史家はいつも、クールベの《画家のアトリエ》の霊感の源と、特別な含蓄について説明するのに苦しめられてきた。私には、パプティの素描との関係から、フーリエ主義に基づいた解釈をするのが、たとえそれが、クールベの寓意を完全に「説明」することには決してならないにしても、少なくとも、これ以外には説明のしようのない側面のいくつかを解明するのに役立つことと思われる。"

括弧つきの「アヴァンギャルド」

p.36 "「アヴァンギャルド」という言葉の語源が、社会的進歩と芸術的進歩との融合を意味するものであることを私たちが理解するかぎり、クールベの絵は、「アヴァンギャルド」であるクールベの絵は、最新の社会思想についての抽象的な論文のようなものではなく、芸術の創造と社会の本質とが、リアリズムの芸術家たちにとってどのようなものであったかを具体的に表象するものである。"

  3 アヴァンギャルドの創始者マネ p.37 l.5-p.41

p.37 "しかしながら、「アヴァンギャルド」という言葉をカッコなしに使おうとすれば、この言葉が一般に意味するものは、クールベよりもむしろマネによって始まるという結論に達する。アヴァンギャルディズム(前衛主義)についての私たちの暗黙の、そしておそらく中心的な理解は、精神的、社会的、存在論的な意味における疎外の概念にあたるが、これは、芸術や人生に対するクールベのアプローチにはまったく欠けているものである。"

p.37 "マネにおいては、この状況ははるかに複雑なものとなる。"

p.38 "つまりこの時代特有の、悪戯が絵画という形で示されているのであり、それは、あらゆるまじめな価値を破壊し、その時代のもっとも崇高な真実を俗化し、冒涜するおそれをもっていたのだった。"

p.39 "…マルセル・デュシャンが《モナ・リザ》に髭を描いたのと同じほど破壊的で不敬な態度によるものと見えたはずである。"

参考図版
 マルセル・デュシャン《L.H.O.O.Q》、1919年

現象学的な現実=感情の形象化

p.39 "マネおよびアヴァンギャルドの人々にとって、画家と社会との関係は、一八四八年の二月革命当時の人々とは反対に、社会的現実であるよりはむしろ、現象学的な現実であった。"

p.39 "それらは、多くの場合、同時代の社会からの疎外に対する彼自身の基本的な感情の形象化のようにむしろ思われるのである。"

p.40 "画家としてまた人間としてのマネの立場をもっともたしかに語っているのは、一八八一年に描かれた《ロシュフォールの脱出》の二枚のヴァージョンであろう。私見では、これは無意識の、あるいは隠蔽された自己のイメージであり、ここでは、いかがわしい急進派の指導者の、どのような尺度から見ても、もはや英雄ではない姿が、自然からも仲間からもまったく完全に孤立化されて表されている。"

参考図版
 エドゥアール・マネ《ロシュフォールの脱出》、1800/81年、油彩・カンヴァス、80×73cm、オルセー美術館

p.40 "…マネの風変わりな一本のアスパラガスや、一輪のバラ、中央に置かれたピクルスの入れ物を描いた絵にも見られる。これらは、特定の社会状況の観察ではなく、芸術家であるとはどのようなものなのか、つまりはより単純にこの世界で生きるということはどのようなものなのかということの芸術的・感情的主張なのである。"

p.40 "この孤立状態の視点は、《フォリー・ベルジェール劇場のバー》で頂点に達するが…"

参考図版
 エドゥアール・マネ《フォリー・ベルジェール劇場のバー》、1881-82年、油彩・カンヴァス、96×130cm、コートールド・インスティテュート
 アントワーヌ・ヴァトー《ジル》、1718-19年頃、油彩・カンヴァス、184.5×149.5cm、ルーヴル美術館

p.41 "…近代のアヴァンギャルドが確立されるのは、このような悪意の信念と疎外においてであり、そしてそれらについての芸術を創るための、すばらしく創意に富んだ、破壊的で、自滅的な方法によってなのである。"