精読2
第一章 絵画取引のしくみ
1 序論 p.12-p.16 l.9
p.12 l.1 "十五世紀のひとつの絵画作品は、ひとつの社会関係の証である。"p.12 l.10-12 "十五世紀の絵画のうちすぐれた作品は、注文に基づいて制作されたのであり、顧客は自分用の細かな仕様書を用意したうえで画家に作品を依頼した。"
p.13 l.5-7 "美術の歴史において、金銭は非常に重要であり、作品にすすんで金をかけようとする顧客にとっての関心事であるばかりであなく、どのような基準で支払われるかという点においても絵画に影響を及ぼす。"
p.14 l.6-9 "ルチェッライはまた、教会や邸宅の建造や装飾に莫大な費用を投じているとも述べており、所有欲のほかにもさらに三つの動機があることをほのめかしている。つまり、これらの事業は、「神の栄光と、都市(ルビ:まち)の名誉、そして私自身の記念とに役立つので、最大の満足と最大の快楽を」与えてくれるというのである。"
p.14 l.11-13 "ルチェッライはさらに、五番目の動機を持ち出してくる。このような物品を購入することは、金銭を正しく使うという美徳や喜びのはけ口になるし、蓄財という公認された喜びよりも立派な喜びでもある、というのである。"
p.14 l.16-p.15 l.2 "そうした行為は、世間に対する望ましい還元であり、寄進と租税あるいは教会税の支払いとの中間に位置する行為であった。こうしたたてまえからゆくと、絵画には目立つわりに安価であるという一石二鳥の利点があったといわねばならない。鐘や大理石舗床、綿織りの掛物、そのほか教会への寄進などは、絵画より金がかかったのである。"
p.16 l.1-3 "現代の画家であったら、自分にとって最良の作品を描いてから次に買手を探すが、こうした近代ロマン派以降の状況と比べると、十五世紀の絵画の取引はまったく異なっていた。"
"本書のテーマも、こうした注文主の絵画への参加を考察しようとするものなのである。"
p.14に挙げられている画家ドメニコ・ヴェネツィアーノ(Domenico Veneziano) 《マギの礼拝》(ベルリン国立美術館)
フィリッポ・リッピ(Filippo Lippi) 《聖母子と聖アンナの生涯(トンド・バルトリーニ)》(ピッティ美術館)
ヴェロッキョ(Verrocchio) 《キリストの洗礼》(ウフィツィ美術館)
ポッライウオーロ兄弟(Pollaiuolo) 《アポロとダフネ》(ロンドン、ナショナル・ギャラリー)
アンドレア・デル・カスターニョ(Andrea del Castagno) 《最後の晩餐》(フィレンツェ、カスターニョ美術館)
パオロ・ウッチェッロ(Paolo Uccello) 《狩猟》(オックスフォード、アシュモリアン美術館)
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p.20 l.2-6 "つまり、画家はふつう市民すなわち俗人の個人や宗教団体か修道院の長、また君主やその役人といった顧客とかなり直接的な関係を結んでいたということなのである。注文主の人脈がひどく込み入っている場合でも、画家はたいてい特定できる人のために作品を作った。そしてその注文主は、絵画の依頼を思い立ち、画家を選び、作品の姿を思い描きながら絵が完成するまで関わり続けたのである。"(2)典型的な契約の例(ギルランダイヨ) p.20 l.13-p.24 l.5
p.22 l.2-5 "こうした契約については、ひとつの都市のなかでさえ定まった書式というのはなかったので、完全に典型的な契約といったものもない。ただし次にあげるフィレンツェの画家ドメニコ・ギルランダイヨとフィレンツェのオスペダーレ・デリ・インノチェンティ[孤児養育院]の院長との間にかわされた契約は、かなり典型的な部類に入るだろう。"(3)主題、支払い、顔料 p.24 l.6-p.30 l.8契約内容抜粋:
・板は、フランチェスコが準備
・ドメニコは、その板に自費で彩色し絵を仕上げる
・彼[ドメニコ]は板絵をすべて自分の手で彩色
・下絵に示されたとおりに人物などを描かねばならない
・先の下絵にある様式、構図から逸脱してはならない
・装飾品などに良質の絵具や金粉を必要とする場合はすべて自費で板絵を彩色
・青色は、一オンスあたり四フロリンほどの高価なウルトラマリンでなくてはならない
・三十箇月以内にこの板絵を仕上げて納品しなければならない
・また私[フラ・ベルナルド]は、その絵の価値や技倆に関して、最適の評価を下せると思われる人のところに出向いて意見を求めることができ、先に示した価格に値しないと判断した場合には、私フラ・ベルナルドが妥当と考える値引きをした額を、彼は受け取ることとする。
・期限内に板絵を納品できない場合には、十五大判フロリンの罰金が課せられる
・月々の支払いを怠った場合には、その違約金として、板絵が完成したときに残金全部を支払わなければならない
p.24 l.7-8 "…描いてもらいたい画像を言葉で明確に示すのは難しいので、下絵に委ねるやり方がより一般的であったし、明らかに有効であった。"(4)契約関係にない画家の例(マンテーニャ),まとめ p.30 l.9-p.33 l.8p.26 l.11 "いずれにせよ支払い額を算出するうえでの基準は、必要経費と画家の手間賃の二点だったのである。"
p.27 l.3-8 "ウルトラマリンは金や銀についで高価な顔料で、画家にとって扱いにくい色でもあった。ウルトラマリンには安価なものと高価なものとがあり、<ドイツ青>【アズライト】と呼ばれるさらに安い代用品もあった【ウルトラマリンは粉末にしたラピス・ラズリから作るもので、東方から高い値段で輸入された。色を抽出するためにこの粉末を何度か水にさらすが、最初に取り出される深いヴァイオレット・ブルーがもっとも良質で高価であった。アズライトはただ銅を炭化させたもので色合いが冴えず、なお悪いことには性質が不安定で、特にフレスコ画に使うとそうであった】。"
p.30 l.2-4 "こうした例はほかにもあるが、契約書を見ると、青色に対する目が鋭敏で、さまざまな青に対する識別能力がうかがえる。こうした能力を現代のわれわれの文化はけっしてもちあわせてはいない。"
p.30 l.7-8 "重要さの度合いが、ヴァイオレット・ブルーの多少の差で示されているのである。"
p.30 l.9-10 "俸給を得て王侯の下で働いた美術家も何人かいた。"p.32 l.13-15 "しかしこのようなマンテーニャの地位は、ほかのすぐれた十五世紀の画家たちと比べて特殊なものである。王侯貴族のために絵を描いた画家たちであっても、家臣として定期的に給料を支給されるよりは、作品ごとに代金を支払われるのがふつうだった。"
p.32 l.15-17 "十五世紀当時の絵画取引の様子がわかるのは、契約書に繰り広げられた実際の商業上の取引によってであり、それは特にフィレンツェでもっとも明確に見ることができる。"
p.33 l.2-3 "そしてさらに興味深いのは、十五世紀の時の流れにつれ契約条項の強調点が変化していることである。"
p.33 l.7-8 "高価な絵具はさほど重視されなくなる一方で、画家の技倆に対する要求が増してゆくのである。"
2に挿入されている図版図1 フィリッポ・リッピ《三幅対祭壇画の構想スケッチ》
図2 ドメニコ・ギルランダイヨ《マギの礼拝》
図3 フラ・アンジェリコ《亜麻布商組合(リナイウオーリ)の祭壇画》
図4 ステファーノ・ディ・ジョヴァンニ《聖フランチェスコの生涯》、《貧しい兵士に外套を与える聖フランチェスコ》
p.27 l.16-17 "…聖フランチェスコの脱ぎ捨てたガウンがウルトラマリンで描かれている…"図5 アンドレア・マンテーニャ《子息フランチェスコ・ゴンザーガ枢機卿を迎えるロドヴィコ・ゴンザーガ》、参考:カメラ・デリ・スポージ西壁と北壁、マントヴァ、パラッツォ・ドゥカーレ、(部分)
2で言及されている作品の図版
p.30 マザッチョ《磔刑》【ナポリ、カポディモンテ美術館】
l.1-2 "…この場面の本質的身振りとなる聖ヨハネの右腕がウルトラマリンで強調されている。"