講義ノート2


 ◆ボルヘスによる笑い言語手術台(=ターブル・ドペラシオン)操作+表(オペラシオン+タブロー)

  ホルへ・ルイス・ボルヘス Jorge Luis Borges (1899-1986)

1899年ブエノスアイレス生れ。詩人、小説家、評論家。1914年から1921年までヨーロッパで過ごす。帰国後文学サークルに参加して雑誌「プロア」を創刊、ウルトライスモ運動を展開、詩集『ブエノスアイレスの熱狂』などを発表。1937年ブエノスアイレス市立ミゲル・カネー図書館の補佐員となる。1946年辞職。1950年アルゼンチン作家協会会長に選出される。1955年国立図書館長に就任。1956年ブエノスアイレス大学哲文学部教授となる。1963年のヨーロッパ講演旅行より以後、世界各地で講演・講義を行なう。1975年「バベルの図書館」の監修。1980年セルバンテス賞受賞。1986年没。

Source: Hililipom / レファランスルーム / ホルへ・ルイス・ボルヘス
翻訳作品集成 / ホルへ・ルイス・ボルヘス

(03/11/17)

p.13 “…<同一者>と<他者>についての千年来の慣行をつきくずし、しばし困惑をもたらすもの…”

「シナのある百科事典」

p.13 “…まったく異なった思考のエクゾチックな魅力としてわれわれに指ししめされるのは、われわれの思考の限界、《こうしたこと》を思考するにあたっての、まぎれもない不可能性にほかならない。”

p.13 “つまり、この百科事典は、まったく実在の動物(気違いのように騒いだり、いましがた壷をこわしたりするものたち)と、想像世界にしか座を見いだせぬ動物とを、注意深く区別している。”

p.14 “…こうした範疇のひとつひとつを他のすべてに結びつけてしまう、アルファベット式系列(a、b、c、d)にほかならない。”

p.14 “…その唾液のなかに《共通の場所》を持っているわけだ。”

p.14 “…接続詞や前置詞の堅実さと明証性…”

p.14 “…そうしたものが居をさだめ、ともに暮す宮殿を見いだすだけの理由はあったわけだ。”

p.15 “言語(ルビ:ランガージュ)という非在のなか以外の、どこに並置されることができるであろうか?

p.15 “一言でいえば、かの有名な「手術台(ルビ:ターブル・ドペラシオン)にほかならない。”

  レーモン・ルーセル Raymond Roussel (1877-1933)

●ルーセルはまず, singulier et pluriel (単数と複数)という適当な言葉を選び,それと音が似ている意味がまったく異なる別の言葉をひねり出す。
●そして取り出されたのが, Saint Jules et pelure (聖ユリウスと皮=着物)であり,後はこの意外な出会いを果たした二語を起点に,筋の通る物語を組み立てて行く。

国分・新島訳『額の星/無数の太陽』、人文書院、2001年、364頁。

Source: 京都工芸繊維大学 総合情報処理センター / Media Image & Arts / レーモン・ルーセル

p.16 “諸存在にたいするこのような操作(ルビ:オペラシオン)を思考にゆるす(ルビ:タブロー)―それこそ言語(ルビ:ランガージュ)が、開闢以来、空間と交叉しあうところである。”


 ◆非在郷と混在郷

p.16 “それは、おびただしい可能な秩序の諸断片を、法則も幾何学もない《混在的なもの(ルビ:エテロクリット)》の次元で、きらめかせる混乱とでも言おうか。”

p.16 “《非在郷(ルビ:ユートピア)》というものは人を慰めてくれる。”

p.16 “だが、《混在郷(ルビ:エテロトピー)》は不安をあたえずにはおかない。”

p.16 “…混在郷(ルビ:エテロトピー)(しばしばボルヘスに見られるように)ことばを枯渇させ、語を語のうえにとどまらせ、文法のいかなる可能性にたいしても根源から異議を申し立てる。


 ◆失語症患者と毛糸の束

p.17 “彼らは、物がふつう配分され名づけられるなめらかなこの空間に、粒状で断片的なおびただしい小領域をつくりだし、そこでは、名もあたえられぬ類似関係が、物を非連続的ないくつもの孤島のなかに押しこめてしまう。


 ◆文化的コードと生の存在

p.17 “場所と名にかかわる「共通なもの」が失われたということなのだ。

p.17 “われわれの夢のなかのシナは、まさしく《空間》の特権的《場所》ではなかろうか?”

p.17 “われわれの想像力の体系にとって、シナの文化は、もっとも細心で、もっとも階層的秩序をまもり、時間上の出来事に耳をかすこともなく、延長の純粋な展開にこのうえもなく執着する文化にほかならない。

p.17 “シナの百科事典とそれが提出する分類法は、…(中略)…厳粛な空間にもとづくのにほかならない。

p.18 “秩序とは、物のなかにその内部的法則としてあたえられるものであり、物がいわばそれにしたがってたがいに見かわす秘密の網目であるが、同時に、視線、注意、言語(ルビ:ランガージュ)といったものの格子をとおしてのみ実在するものにほかならない。”

pp.18-19 “一文化の基本的な諸コード――すなわち、その言語(ルビ:ランガージュ)、知覚の図式、交換、技術、価値、実践の階層的秩序を支配するもの――は、最初からひとりひとりの人間にたいして、彼がかかわり、そのなかに自分自身をふたたび見いだすような、経験的秩序というものを定めている。

p.19 “…部分的には言語(ルビ:ランガージュ)、知覚、実践といったものの格子から解放された文化が…”

p.19 “秩序の生のままの存在(ルビ:エートル)と向かいあうこと

p.19 “…すでにコード化された視線と反省的認識とのあいだには、秩序の存在(ルビ:エートル)そのものを解きはなつ中間分野がある。”

p.20 “…つねにより「真実な」もの…”

p.20 “…秩序とその存在様態にかわるむきだしの経験がよこたわっている…”


 ◆本書の主題エピステーメーの断層古典主義時代/近代人間の登場

p.20 “以下の研究で分析しようとするのは、…”

p.20 “…語がその連鎖と表象的価値を負うているという事実…”

p.20 “…どのような歴史的《ア・プリオリ》を下地とし、どのような実定性の本領内で、観念があらわれ、学問が構成され、経験が哲学として反省され、合理性が形成されるということが可能だったのか、そのようなことをあらためて見きわめようとする研究なのである。”

p.20 “…認識というもの…”

p.20 “むしろみずからの可能性の条件の歴史といえる、ひとつの歴史を明確化する、そうした場としての《エピステーメー》なのである。”

p.21 “だからこれは、語の伝統的意味での歴史というよりは、むしろ「考古学」と言うべきであろう。”

p.21 “…二つの大きな不連続…”

p.21 “ひとつは、古典主義時代の端緒となるもの(十七世紀中ごろ)、もうひとつは、十九世紀初頭のわれわれの近代性の端緒をしるすものである。”

p.21 “…観念やテーマのレベルでのこうした擬=連続性は、おそらくすべて表層的現象にすぎまい。”

p.21 “ただ、物とそれらを類別して知にさしだす秩序との存在様態が、根本的に変質してしまったのである。

p.21 “それは、考古学が、…(中略)…変動の系列をも規定するにいたるだろうということである。”

p.22 “かくして分析は、古典主義時代をつうじて、表象の理論と言語(ルビ:ランガージュ)、自然の秩序、富と価値の理論とのあいだに実在してきた、整合性というものを示すことができた。

p.22 “十九世紀以後完全に変わったのはこの布置である。つまり、可能なあらゆる秩序の一般的な基礎としての表象の理論が消滅する。…(中略)…言語(ルビ:ランガージュ)がつづいて姿を消す。それから、深層における歴史性というものが、…(中略)…秩序の諸形態をそれらに課する。

p.22 “…こんどは人間が西欧の知の場にはじめて登場する。

p.22 “「人間学」のあらゆる安易さ…”

p.22 “狂気の歴史は…”

p.22 “要するに問題は類似関係の歴史なのだ。”

p.23 “物相互間の相似性ないし等価性の関係…”

p.23 “われわれを古典主義時代の思考から隔て、われわれの近代性を構成する、あの境界なのである。”

p.23 “この境界のうえにはじめて、あの奇妙な知の形象が出現したのであって、それこそ人間とよばれ、人文諸学に固有の空間をひらいたものにほかならない。”