講義ノート2


精読2

 序文

  1 レイノルズとフロマンタン p.11-p.15 l.5

p.11 "今世紀になるまでの著述家たちは、よかれあしかれ、オランダという国土とその生活を描写したものが一七世紀オランダ美術であるとみなしてきたのである。"

p.12 "退屈で何を伝えようとしているのかよくわからない逐語的なレイノルズの解説が生まれたのは、彼が言うところの「自然な表現」にたいする画家たちの関心と同一モティーフの反復(テル・ボルフのいつも登場する白い繻子とか、ウェーニクスの数え切れないほどの死んだ白鳥など)のためだったのだろう。"

p.13 "…オランダ絵画の価値はしばしば真実味のある表現そのものにあるので、たとえそれがどんなに賞讃すべきものだろうと、眼にどんなに喜びを与えるものだろうと、一度それを言葉で言い表そうとするとどこか貧相なものになってしまうのである。オランダ絵画はひたすらに眼にたいして訴えかける。"

p.13 "…オランダ絵画の描写的性格を非難するレイノルズがもっていた精神構造に立ち戻るのは容易なことではない。…(中略)…しかし、一九世紀にオランダ美術を熱烈に支持したフロマンタンと同じ理由をもってこの美術を高く評価することもまた、今日のわれわれにはできないだろう。"

p.15 "単純で、力強く、感受性豊かな観察に先んじるようなものはそこにはなにもない。"

p.15 "…ここでフロマンタンはレイノルズによってもはっきり述べられている主題、すなわち眼と世界との関係に等しいという主題にたちかえっている。"

  2 イタリア的伝統と反イタリア的伝統 p.15 l.16-p.27 l.13

     (1)イタリア的伝統 p.15 l.16-p.17 l.3

p.15 "今日の美術史家たちは、専門用語を充実させ、また彼らの感受性を鍛えあげることにより、芸術をつくりあげている様式的特性、すなわち絵の中に描かれた水平線の高さとか、樹木や牛の配置、また光の効果などについて敏感に反応する。こうした事柄は、たとえそれが単に現実の光景の観察から生まれたものであったとしても芸術の一側面として語られる。個々の芸術家は比較的はっきりした様式展開を示し、相互の影響関係が詳述される。"

p.15 "ここで注意すべきことは、主題解釈においても様式的見地からの分析においても、オランダ美術を研究していくさいの手段となったものが本来すべてイタリア美術を対象として生みだされたものであったという事実である。"

p.15 "テル・ボルフが描く衣装の光沢を…(中略)…輝く上着をまとうこの婦人は、まさに今ここで金の力によって男から求められ、買われようとする娼婦なのである、と。"

参考図版
 ヘーラルト・テル・ボルフ《レモネードのグラス(通称)》 1663-64頃 油彩・カンヴァス 79×68cm サンクト・ペテルブルク、エルミタージュ美術館

p.15 "寝台や椅子の端に腰掛け医者の診断を受けている悲しい表情の若い娘たちは妊娠してしまった未婚の女を表し、鏡を覗きこむ女たちは罪深い虚栄心を意味する。"

参考図版
 ヤン・ステーン《医者の訪問》 1658-62年 油彩・板 49×42cm ロンドン、アプスレー・ハウス
 ヤン・ステーン《恋煩い》 1660年頃 油彩・カンヴァス 61×52cm ミュンヘン、アルテ・ピナコテーク
 フランス・ファン・ミーリス《鏡の前の女》 1670年頃 油彩・板 42.9×31.6cm ミュンヘン、アルテ・ピナコテーク

p.15 "窓辺で手紙を読むフェルメールの女性は、不倫あるいは婚前の性交渉を暗示する。"

参考図版
 フェルメール《手紙を読む女性》 1658年頃 油彩・カンヴァス 83×64.5cm ドレスデン、国立美術館

p.15 "騒ぎながら酒を飲む人々は大食漢、無精者であり…(中略)…おそらくは味覚の喜びにとらわれた人々を表現している。"

参考図版
 フランス・ハルス《聖ゲオルギウス市警備隊の士官たちの晩餐》 1616年 油彩・カンヴァス 175×324cm ハールレム、フランス・ハルス美術館

p.15 "時計の仕掛けや萎(ルビ:しお)れていく異国的な花の描写は人間の虚栄について考えさせる契機となるものである。"

参考図版
 ウィレム・ファン・アールスト《花瓶と時計》 1656年 油彩・カンヴァス カッセル、国立美術館
 デイヴィッド・バイリー《虚栄の象徴と自画像》 1651年 油彩・板 89.5×122cm ライデン、市立美術館

p.15 "このように、一七世紀のオランダ絵画はその描写性の強い写実的表層の下にさまざまな意味を隠しもっているのであり、そのことがこの時期のオランダ絵画の基本原則であることを図像学者たちは指摘してきたのである。"

p.16 "しかし、絵画をいわば言語的に認識しようとする現在の図像学的方法は、やはり視覚体験を大きく犠牲にしてきたのではないだろうか。オランダ美術それ自体がこのような見解にたいする挑戦とは言えないだろうか。"

p.16 "現在のあわただしい状況において、美術史家たちがみずからの研究対象や研究方法を固定化してしまう危険にさらされていることはまぎれもない事実である。"

p.16 "ルネサンスの時代、この第二の世界、すなわち絵画は、そこで詩人たちの表現にもとづいた厳かな行為が演じられる舞台となった。それは物語的な芸術である。"

p.16 "イメージとこれに先んじて存在するいわば神聖な語句との関係を説明し、正当化するために絶えずもちだされたのが、「詩はまた絵のごとく」という教義だった。"

参考図書
 中森義宗編『絵画と文学―絵は詩のごとく』 中央大学出版部 1984年10月

p.16 "…上述したような絵画の一般的定義が画家たちによって採用され、最終的には美術アカデミーの教科課程の中に組み込まれていったのである。それゆえ私は、アルベルティ的という表現を一五世紀の特殊な絵画の定義としてではなく、むしろ普遍的で永続的な絵画モデルを指すものとして使おうと思う。"

p.17 "…例えばヴェルフリンによって提唱された様式分析とかパノフスキーによる図像解釈など―は、いずれもイタリア的伝統を念頭において展開されたものであった。"

     (2)反イタリア的伝統 p.17 l.4-20

p.17 "美術の、そして美術に関する著述の伝統において、イタリア美術が決定的に重要な位置を占めているということは、逆に言えば、イタリア美術の枠組みに適合しないイメージを相手にしなければならない場合、これを論じるにふさわしい言語を見いだすことには大きな困難がともなうということにほかならない。"

p.17 "例えば、古代の織物、あるいは古代末期やルネサンス以後のイタリア美術、またオランダの集団肖像画に関するアロイス・リーグルの、北方美術全般にわたるオットー・ペヒトの、フェルメールに関するローレンス・ゴーイングの著作などがこうした例として指摘されるだろう。そして近年では、ドイツの菩提樹彫刻についてのマイケル・バクサンドールの著作や、フランス絵画の同化性あるいは反演劇性(これを反アルベルティ的性格と読むこともできよう)についてのマイケル・フリードの著作などもこうした例に加えることができよう。☆9"

☆9より
 Alois Riegl, Stilfragen (Berlin, 1893)
 ___, Spätrömische Kunstindustrie (Vienna, 1901)
 ___, Das Entstehung der Barockkunst in Rom (Vienna, 1908)
 Otto Pächt, Methodisches zur kunsthistorischen Praxis: Ausgewählte Schriften (Munich: Prestel-Verlag, 1977) 〔オットー・ペヒト『美術への洞察』、前川誠郎、越宏一訳、岩波書店〕
 Laurence Gowing, Vermeer (London: Faber and Faber, 1952)
 Michael Baxandall, The Limewood Sculptors of Renaissance Germany (New Haven: Yale University Press, 1980)
 Michael Fried, Absorption and Theatricality: Painting and Beholder in the Age of Diderot (Berkeley and Los Angeles: University of California Press, 1980)

p.17 "…決して北と南、オランダとイタリアという二極化を進めようという意図があるわけではない。むしろ、すべての非アルベルティ的イメージについての研究に必要な条件であると信じられるものを強調したかったにすぎないのである。"

     (3)描写的芸術 p.18 l.1-p.19 l.6

p.18 "一七世紀オランダ美術、およびこの芸術がその一部をなす北方美術の伝統は、物語的性格の強いイタリアの美術からは区別される描写的芸術であると規定することによってもっともよく理解しうるというのが本書の根本テーマだからである。"

p.18 "この二つの様態を区別する意義は、このことによってわれわれのものの見方が広がることにある。ヨーロッパ美術におけるこの二つの様態の関係それ自体がひとつの歴史を形成する。"

p.18 "便宜的に「写実的」という言葉で形容される多くの作品―その中には本書でたびたび言及される写真における絵画的様態も含まれる―を特徴づける性格は、たしかにある意味ではむしろ「描写的」と呼ばれるべきなのかもしれない。"

参考図版
 カラヴァッジョ《聖ペテロの磔刑》 1600年 油彩・カンヴァス 230×175cm ローマ、サンタ・マリア・デル・ポポロ聖堂チェラージ礼拝堂
 ベラスケス《セビーリャの水売り》 1620-22頃 油彩・カンヴァス 106.7×81cm ロンドン、ウェリントン美術館
 フェルメール《天秤をもつ女》 1662-63年 油彩・カンヴァス 42.5×38cm ワシントン、ナショナル・ギャラリー
 マネ《草上の昼食》 1863年 油彩・カンヴァス 208×264cm パリ、オルセー美術館

p.18 "これらの作品に観察される落ち着き抑制された特質は、物語的要請と描写による提示に忠実であろうとする態度との間に生じた緊張のあらわれである。"

p.18 "そこでは…(中略)…反比例の関係があるように見受けられる。すなわち、描かれるこの世界の表層に注意が向けられるのは、物語的行為の描出を断念することによってなされるのである。"

     (4)描写性の擁護 p.19 l.8-24 l.13

p.19 "けれども、彼が「通常の規範」と言うとき、その念頭にあったものがイタリア美術によって生み出された物語的行為であったことはまちがいない。"

p.19 "…例えば怒り狂う兵士の群、死んでいく子供たち、悲嘆にくれる母親というモティーフを含む嬰児虐殺などの聖書の逸話は、絵画的物語性の、そして絵画そのもののあるべき典型を示すものであった。"

参考図版
ギルランダイオ《嬰児虐殺》 1485-90年 フレスコ フィレンツェ、サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂内陣
ティントレット《嬰児虐殺》 1583-87年 油彩・カンヴァス 422×546cm ヴェネツィア、サン・ロッコ同信会館1階広間

p.19 "精神の感覚にたいする、教養ある鑑賞者の無知な鑑賞者にたいする優位がくりかえし語られ、単に眼に喜びを与えるだけの芸術には鉄槌を下し、物語性にたいする擁護の道が拓かれていったのである。"

pp.19-20 "…それでは、絵画における描写性をどのようにして擁護し、また解説したらいいのだろうか。☆11"

☆11 …文学研究における近年の著作は、物語性と描写性との相互関係がわれわれの文化の本質をつくりあげているということを前提にしたうえで、物語的様態と描写的様態を区別してきた。ルイ・マランの「ユートピア的」、ロラン・バルトの「現実的な効果」、レオ・ベルサーニの「引き離された暴力」などの用語は、表象的呈示の愉悦のために物語行動が停止され、そのことによって生じた恍惚感がイメージにとって本質的なものであることを示唆している。…(後略)。"

p.20 "オランダ絵画は眼にたいして喜びをもたらすものであり、おそらくイタリア美術のように絵を見るわれわれに何かを要求するものではないのかもしれない。"

p.20 "商品としての芸術作品という立場に立つとき、今日われわれが考えるような芸術のありようは多くの点で一七世紀のオランダ美術とともに始まった。"

p.20 "制作依頼に関する記録や買い手がどんな要求をもっていたのかを伝える証言はほとんど残されていない。"

p.20 "…一体この美術にはわれわれが知らない何か特別なものがあるのだろうかという疑問を抱かずにはいられないのである。"

p.20 "…こうした疑問は次の事実からいっそう解決困難なものになっている。"

p.20 "北方美術は独自の批評的言説を生み出すことはなかった。"

p.21 "それは簡潔に言えば、北方的な芸術の実践とイタリア的理想との間に生じた裂け目であった。"

p.21 "外国の理想を賞讃していたにちがいないと伝えられているオランダの画家たちが、自国の絵画伝統の中における制作活動にたいして緊張感を強いられていたことを示唆するいくつかの形跡が残されている。"

p.21 "ローマで活動していたオランダの画家仲間たちの異彩ぶりもまたよく知られている。…(中略)…彼らは、イタリアの画家たちの規範に従って行動することを拒否し、手近にある壁に機知に富んだ落書きなどを残した。"

p.21 "レンブラントが自国の画家仲間によって追及されていた絵画に共鳴していなかったことは明らかであるとはいえ、彼はイタリア的な絵画様態をそのまま受容することもできなかったのである。レンブラントがそのみごとではあるが不可思議なイメージを生みだした原因のひとつに、こうした二つの絵画様態の対立があった。"

p.22 "…彼ら[ホントホルストやテル・ブリュッヘン]は、カラヴァッジョを通じて彼ら自身の北方的根源へと導かれていったとも言えるのである。"

p.22 "…要するに、イタリアの優越性であり、ネーデルラントの劣等性であった。"

p.22 "そうした絵がいかに心地よく映じようとも、実際そこには理性も芸術もなく、また均衡も比例もない。"

p.22 "「実質的にイタリアで制作された作品だけが真実の絵と呼べるのであり、それゆえにこそ、われわれは優れた絵をイタリア絵画と呼ぶのである」。"

p.23 "イタリア的偏見は今日もなお多くの美術史の著作にはっきりと見いだすことができる。"

p.23 "私の意見では、これはいくらかはパノフスキーの研究が牽引していった結果にほかならない。"

p.23 "パノフスキーのデューラー論においては、《芝草》を描く描写的な芸術家としてのデューラーよりも裸体を描き遠近法にとりくむデューラーが好まれたのである。"

デューラー《大芝草》 1503 素描 41×31.5cm ウィーン、アルベルティーナ *パノフスキー『デューラー』、図版135a
デューラー《メランコリア I》 1514 銅版画 24.3×18.7cm

p.24 "そのイタリア的偏見にもかかわらず、パノフスキーの分析においては、表層としての表象と深層としての意味との間に均衡が保たれていることが多い。しかし近年、オランダ美術をエンブレムのように見る解釈が集中的に生まれるにおよび、こうした微妙な均衡は瓦解したのである。"

p.24 "図像学者はオランダ写実主義を外観だけの写実主義(schijnrealisme)であると結論づけるにいたった。"

p.24 "…こうした「芸術に関する透明な見解」は決して適切なものではないだろう。"

p.24 "…本書で論じられるように、北方のイメージは意味を隠したり、あるいはそれを表層の下に追いこんで見えにくくしたりはしない。むしろ、たとえ眼がとらえるものがどんなにあてにならぬものであったとしても、意味は眼がとらえるもののうちに必然的に宿るということを北方のイメージは示しているからである。☆17"

☆17 …図像学および図像解釈学についての示唆に富む論考で、パノフスキーは明らかにこの問題を避けている。彼は帽子をとって挨拶する友人との通りでの出会いという単純な例をもって議論を始める。ある形象と色彩 からなるものを男と認定でき、その男がある心的状態にあることを感知することは、パノフスキーによれば第一段階の自然な意味とみなされる。けれども、彼が挨拶をしているということを理解するのは第二の慣習的、あるいは図像学的意味である。ここまでの論述で、われわれが相手にしているのは現実の世界である。パノフスキーの方法は、日常生活から得られるこのような分析を、次にそのまま芸術作品に適用することにある。それゆえ、われわれの目の前にあるのはいまや帽子をあげている男ではなく、帽子をあげている男を描いた絵なのである。男がそこにいるのではなく、絵画の中に表象されているのだということをパノフスキーは無視している。どのような方法で、どのような条件で男はカンヴァスという表層に描かれているのか。必要なのは、そして美術史家に欠けているのは、表象についての概念である。…(後略)

     (5)視覚性の文化 p.24 l.17-p.27 l.13

p.24 "それではオランダ美術はどのように見られるべきなのだろうか。とりまく周囲の状況に美術をおき、これを考察すること、これが私の解答である。"

p.25 "オランダ総督秘書官を務めると同時に多くの著作や書簡を残し、オランダにおける主導的文化人であったコンスタンティン・ハイヘンスの生涯と彼のいくつかの著作を例にとって、私は議論を始めようと思う。"

p.25 "彼は、イメージを、視覚ないしは見るという行為に、またとりわけレンズという最新の科学技術によって拡大された知の世界に結びつけている。"

p.25 "ハイヘンスは言語記述に多くを負った文化とは対照的なきわめて視覚性の強い文化の一部としてイメージが存在していたことを証明し、また彼の周囲の社会はそのことを確認させる。見ることと表象に重きをおいた一七世紀読むことと解釈に重きをおいたルネサンスとの差異は、近年、ミシェル・フーコーの著作においてみごとに論じられた。☆18"

☆18 ミシェル・フーコー『言葉と物』

p.25 "オランダ人にとって、絵は重要な意味をもつ人間の行為を写しとるものではなく、観察された世界を描写するものである。"

p.25 "…世界についての新しく確実な知識を獲得する手段としての絵画のあり方が認識されていた。"

"オランダ絵画の諸特性"

・定位置から眺める鑑賞者が想定されることなく、まるで最初に世界が存在していたかと思わせる描写
・大きさのまったく異なるものの対比
・あらかじめ定められた枠どりの欠如
・表層としての絵画という驚くべき感覚
・高い技倆をもつ職人芸的な表現にたいする執着
・様式展開をたどることが非常にむずかしい

参考図版
ヤーコプ・ファン・ロイスダール《ハールレム眺望》 1670-75年 油彩・カンヴァス 52×65cm ベルリン国立美術館
ヤン・フェルメール《デルフト市の眺望》 1659-60年 油彩・カンヴァス 98.5×117.5cm ハーグ、マウリッツハイス王立美術館
ヨゼフ・ド・ブレイ《塩漬けニシンのある静物》 1656年 油彩・板 57×48.5cm ドレスデン、絵画館 

p.26 "ヴァザーリのような発展史的規範にもとづくオランダ絵画史はこれまで決して著されなかったし、またそれが可能だったとも思われない。"

p.26 "イタリア的な意味において歴史をもつことは例外なのであり、決してすべての美術にこうした規則が適用されるわけではない。"

p.26 "それゆえオランダ美術の「歴史」ではなくオランダの「視覚文化」この言葉はマイケル・バクサンドールのものである―なのである。"

p.27 "通常は芸術の範疇に入らないものにまで眼を向けるなら、オランダではイメージがいたるところにあふれていたことが理解されよう。それは書物に印刷され、壁掛けテーブル・クロスに織りこまれた。また、タイルにも絵が描かれ、むろん壁には絵画が飾られた。昆虫や花から、等身大のブラジルの原住民、あるいはアムステルダムの町並みまで、ありとあらゆるものが描かれた。"

p.27 "オランダで制作された地図は、世界とヨーロッパを描くこと自体を目的としてつくられたものである。地図帳はイメージによる歴史知識の集大成と言えるだろうが、その広汎な伝播はオランダに負うところが大きい。"

p.27 "表彰形態におけるこのような差異は、また歴史についても異なる観念を生みだすだろう。一方はイタリア絵画に見られるように未曾有の出来事を特別視し、…(中略)…他方はこうしたことにまったく関心を示さないのである。"