北九州市立美術館 連続美術講座
講座 現代美術史

3-2.アジア・ブーム分析


(2)近代主義の終焉

3-2-3.『還流 日韓現代美術展』図録より

 西欧の行き詰まり=アジアの新しい可能性

  「あいさつ」『還流 日韓現代美術展』図録(愛知県美術館+名古屋市美術館、1995年)より

"今日、西洋の近代文明は行き詰まりを見せ、それに代わる新たな方法が模索されています。これまで後進的だと否定的に評価されてきた西洋以外の価値観や思考法が、新しい可能性を秘めたものとして見直されてきています。"(5頁)

 グリーンバーグ流モダニズムの終焉→内容・テーマを問う時代へ

  山脇一夫「土着とモダン」、『還流 日韓現代美術展』図録(愛知県美術館+名古屋市美術館、1995年)より

"20世紀の近代美術は、美術の領域から文学性や宗教性や政治性を排除し、美術固有の形式によってのみ成り立つ自律した美術を求めて発展してきた。…(中略)…このような純粋化の動きはその極限にまで達してもはや新しい進展の可能性を見出すことのできない袋小路に入り込んでしまった。…(中略)…こういった自律した美術という考え方に対して、今日、社会や生活世界との接点を美術に再び取り戻そうとする動きが生まれてきた。…(中略)…形式優位であった近代美術に対して内容を重視するという考えが生まれた。…(中略)…今美術に問題になっているのはどのような新しい形式をつくりだすのかということではなく、何をそのテーマとするかということである。"(8頁)

 地方、田舎に息づく豊かな精神的遺産の注入=現代社会の再生

  同上

"科学技術がもたらした物質的な豊かさの中で、それが失ってしまった精神的な豊かさをどのようにして取り戻すことができるかということが今日大きな課題であると思われる。…(中略)…土着的なもの、土俗的なものの中に存在していた実り豊かなものを現代人の精神の活力として蘇生させること、かつての芸術の役割を現代的な文脈の中で取り戻すこと、それが今日の芸術に要求されていることではないだろうか。"(8頁)

"人間の暮らしの中で培われてきた形の美と木のぬくもりを沈文燮の作品は受け継いでいる。そこにはゆったりとした大らかな韓国の農村社会の美意識が流れているように感じる。"(9頁)

3-2-4.『こころの領域』図録より

 「近代主義の崩壊」以後

  清水敏男「こころの領域」、『こころの領域』展図録(水戸芸術館、1995年)より

"彼らがこの展覧会で取り上げられたのは、世界が急激な地殻変動を起こしているこの時代に示唆を与えると思われるからである。…(中略)…それではどうしてこの時代を切り開かねばならないのか。それは「欧米」並になることが幸福の実現に結びつかないことがわかったこと、つまり「欧米」の思想とその産み出したものが、必ずしも私たちに幸福をもたらさないという閉塞状況が出現しているからである。それは一言でいえば近代主義の崩壊ということにほかならない。"(5頁)

3-2-5.『第1回 福岡アジア美術トリエンナーレ1999』図録より

 「非アジア世界」への貢献

  黒田雷児「テーマ『コミュニケーション〜希望への回路』について」、『第1回 福岡アジア美術トリエンナーレ1999』展図録(福岡アジア美術館、1999年)より

"そこから生まれてくる美術。それは単独者が無から創造するものではなく、多数派や特権者だけが独占する価値の図解ではなく、固定し完成し売買され消費される物体ではなく、限定された文化の中でだけ流通するものではありません。…(中略)…それはもはや近代的、西洋的な定義においては「美術」とは呼ばないものかもしれません。しかしそのような創造的なコミュニケーション回路を切り開く美術家の活動の総体にこそ、私たち福岡アジア美術館が探し求める、ほんとうにアジアに独自な現代美術の姿があり、そしてそのような美術活動こそが、21世紀の非アジア世界にも貢献する可能性があるのです。"(13頁)

3-2-6.谷新『北上する南風』(1993年)に対する書評より

 閉塞状況にある側による権威付けという欺瞞

  藤枝晃雄「日和見主義者が南下する」、『現代芸術の不満』、東信堂、1996年2月、54-55頁(初出:『週刊読書人』1993年12月24日)

"本書の冒頭では神話を参照するドイツ人作家、キーファーが引き合いに出されて「彼ほどアジアの"背負ってきた神話"とリンクする作家もいない」とされ、またタイの版画の興隆とその日本での受賞について「版画はかつて日本が国際展でグランプリを射止めることのできるほとんど唯一のジャンルであった」とされるとき、閉塞状況にあるはずの欧米・日本が東南アジアの美術に御墨付きを与えるという撞着を示すことになる。"

"あるときは遠藤利克を、またあるときは山田正亮を認めてきたこの傾向批評家は、同様の手つきで東南アジアの作家たちをひとしなみに平準化し礼賛する。質的判断はただ新しい傾向のなかの選別にのみある。…(中略)…顧みるに、この立場なき立場こそが日本の美術を閉塞させたのであり、そしていまその代替として南方の「ニュー・アート」が求められている。"

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