北九州市立美術館 連続美術講座
講座 現代美術史

3-2.スピヴァクの見解


"明らかにされて呈示されているのはなんのことはない、左翼知識人たちの挙げる、自分を知っており政治的狡智にたけたサバルタンたちのリストだけである。そして、かれらを表象しながら、知識人たちはみずからを透明な存在として表象しているのである。"(p.15)

"わたしはサイードの分析に付け加えてさらにひとつ、そこでは権力と欲望の密やかな主体の存在が知識人の透明性によってマークされているという点を指摘しておきたい。"(p.28)

"この奇妙なことにも否認の言葉によって〔知識人の〕透明性のなかにいっしょに縫いこまれてしまっている主体/主体は、労働の国際的分業の搾取者の側に属している。"(p.28)

"もしわたしたちが同類や自己という席に座っているわたしたち自身の場所にのみ引き合わせて一個の同質的な他者を構築するだけでおわってしまうならばわたしたちにはその意識をつかまえることの不可能な人々が存在する。"(p.54)

"ドゥルーズとフーコーが帝国主義の発動する認識の暴力と労働の国際的分業の双方を無視していることは…"(p.55)

"善意にみちた第一世界がこのようなかたちで他者として第三世界を領有し書きこみ直そうというのが、今日アメリカ合衆国の人文系諸科学の分野にあふれかえっている第三世界主義の基本的特徴にほかならないのである。"(p.56)

"…中心―周辺の分節化自体の欄外に位置する者たち(「真実の、そして差異的な存在としての、サバルタン」)の排除という事態を眼前につきつけられてみると…"(p.73)

"…それは結局のところ、学問や文明の進歩に認識の暴力を混ぜ合わせながら、帝国主義的な主体構成の作業に合体していくことにならざるをえないだろう。"(p.73)
 

"サバルタンは語ることができない。"(p.116)

G・C・スピヴァク『サバルタンは語ることができるか』、上村忠男訳、みすず書房、1998年12月

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