北九州市立美術館 連続美術講座
講座 現代美術史


1-1.選択肢は存在する


JW 同じ文脈を続けましょう。「サバルタンは話すことができるか」という問いに対するガヤトリ・スピヴァックの否定的な答えについてあなたはどのように思われますか。

EWS 私は、彼女がそのことについて語るのをかなり聞いてきました。彼女が異議を唱えているのは、サバルタンに語らさ[ママ]せることは可能であり、その結果、それは支配的言説のレパートリーの新たな目録の類いになるという考えです。

JW 確かにそれは起こりうることです。

EWS もちろんです。それは現実に起こりえます。しかし彼女のとる立場は、さまざまな、そして多岐に渡っているためにまったく結び付きのないグループの存在、つまりサバルタン・スタディーズから中東、ラテンアメリカ、カリブ海域に存在する政治的な解釈共同体のさまざまな試みを無視しているか、あるいは十分真剣に配慮していないように思われるのです。…(中略)…サバルタンが帝国主義のもうひとつの形となってしまうという懸念は、もっともなことです。しかし懸念するだけでは、現状を強烈に印象づける選択肢の存在を十分に考慮していないように私には思われます。ここ二、三年のうちにこの選択肢の象徴となったのがインティファーダなのです。

出典:「インタヴュー:エドワード・サイード/ジェニファー・ウィック+マイケル・スプリンカー(インタヴアー)」、木下誠訳、『現代思想』第23巻第3号、1995年3月、83頁。

 

インティファーダの一般的な解説: Intifada ガザ地区とヨルダン川西岸地区のイスラエルの支配に反対して、1987年末にパレスティナ人がおこした一連の住民蜂起(ほうき)とその後の運動。インティファーダとはアラビア語で反乱を意味する。はじめは、デモ、ストライキ、ボイコットなどの不服従にはじまり、運動はしだいにはげしくなった。

出典:Microsoft Encarta2003/(C) 1993-2003 Microsoft Corporation. All rights reserved.

インティファーダに対するサイードの説明:占領下のパレスチナ人によって編成された文化的・政治的運動。イスラエル法制下でさまざまな差別と迫害を被っているパレスチナ人たちは、そうした規制をかわしつつ、パレスチナ人の共同体のために、教育、医療や食糧供給に関する新たなシステムを構築している。

出典:前出、「インタヴュー:エドワード・サイード」、83頁。

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