ヴェルフリンの五対概念

 

ルネサンスとバロック

ルネサンス

p.383-4."ふつうこの用語は、古代の手本の影響を受けたイタリアにおける美術の再生と定義されているが、その起源はほかならぬクァットロチェント にあって、歴史から法律にいたる古典の文献と学問に対する関心の復活から始まる。それゆえ、この概念は、美術に限定される以前は、知性に関する概念であった。…(中略)…ルネサンスの美術形式は、その時代の人文主義的・自然主義的・政治的視野に合わせんとする古典の過去の再構築にかかわっていたが、そのようなすべての理由から、世評の受けはきわめて良かった。その「製品」(むしろ世間一般への働きかけといえるであろう)は、多くはイタリアの美術家・建築家・学者・音楽家によって、ヨーロッパの宮廷に輸入された。時代区分をするならば、マニエリスム(その後にバロックがつづく)が始まったとき、ルネサンスは終わったといえるであろう。しかしこれは部分的な真実に過ぎない。なぜなら、写実主義や印象主義にいたるヨーロッパのあらゆる芸術運動は、ルネサンスの形式と理念を拠り所にしたからである。つまりそれは、アカデミーによって維持・強化され、18世紀末までのイタリア半島の(下降気味にせよ)絶えざる重要性によって保持された覇権である。"

バロック

p.284-5."17世紀と18世紀の大半におよぶ時代を示す用語で、イタリアに加え、スペイン、ドイツ、オーストリア、それにある程度はフランスを含む―すなわち、マニエリスムとロココにはさまれた時代である。…(中略)…バロック様式がもっともよく見られるのは、個々の絵画ではなく、全体的な調和の中であり、そこではこの用語が意味するものは、壮麗、空間的複雑さ、それに過剰なまでの装飾的精巧さおよび光と影に対する関心である―つまり、その手段が絵画、彫刻、建築のいずれにせよ、しばしば観客を巧みにあやつることが必要となる演劇の感覚である。…(中略)…バロックはしばしばカトリック美術の形式と考えられているが、このような定義は、低地諸国(オランダ、ベルギー等)のプロテスタント地域やイギリスや(ガリア主義の)フランスにおいては、その様式の限られた影響に対する部分的な説明となる。つまり、これらの地域では、プサンの絵画にみられるように、バロック様式はしばしば古典主義によって和らげられた。バロック様式 は長く続き、19世紀末には著しい復興があった。"

ポール・デューロ、マイケル・グリーンハルシュ『美術史の辞典』 中森義宗、清水忠訳 東信堂 1998年9月より