2. 考古学と美術史:ヴィンケルマン
三浦篤「西洋美術史学の方法と歴史」、高階秀爾、三浦篤編『西洋美術史ハンドブック』、新書館、1997年6月、pp.198-199.
C 近代美術史学の誕生:ヴィンケルマンからブルクハルトへ
p.198 l.11-12. "…ヴィンケルマンは、列伝史という「美術家の歴史」から様式史という「美術作品の歴史」へ、決定的な転換を成し遂げたのである。"
p.198 l.13-15. "ただし、ヴィンケルマンの立場は必ずしも様式史に限定されず、風土、政体、思考習慣、美術家の地位など、古代ギリシアの文化全体の中でその美術を理解しようとする側面も強い。言わば文化史としての美術史の先駆けにもなっているのである。"
p.199 l.21-23. "…様式史と文化史の双方を大きなスケールで包み込むという意味において、ブルクハルトはヴィンケルマンが古代ギリシア美術を対象に行った仕事をイタリア美術を相手に企て、近代美術史学の成立に大きく寄与したのである。"
◆参考図書
ヨーハン・ヨーアヒム・ヴィンケルマン(Winckelmann, Johann Joachim 1717-68)
ヨハン・ヨアヒム・ヴィンケルマン『古代美術史』、中山典夫訳、中央公論美術出版、2001年
ヴィンケルマン『ギリシア美術模倣論』 、澤柳大五郎訳、座右宝刊行会、1976年
H. B. Nisbet (ed. and intro. by), German aesthetic and literary criticism : Winckelmann, Lessing, Hamann, Herder, Schiller, Goethe, New York, Cambridge University Press, 1985.
ジャン=バティスト・セルー・ダジャンクール(d'Agincourt, Seroux 1730-1814)
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(Goethe, Johann Wolfgang von 1749-1832)
ゲーテ『詩と真実』(岩波文庫)、山崎章甫訳、1997年
ジョン・ラスキン(Ruskin, John 1819-1900)
ラスキン『近代畫家論』、澤村寅二郎訳、第一書房、1933年
ウジェーヌ・ヴィオレ=ル=デュック(Viollet-le-Duc, Eugène Emmanuel 1814-79)
E. E. ヴィオレ=ル=デュック『建築講話 第1巻』、飯田喜四郎訳、中央公論美術出版、1986年
ジュール・シャンフルーリ(Champfleury, Jules 1821-89)
トレ=ビュルガー(Thoré-Bürger, Théophile )
ウジェーヌ・フロマンタン(Fromentin, Eugène 1820-76)
ウジェーヌ・フロマンタン『昔日の巨匠たち ベルギーとオランダの絵画』、鈴木祥史訳、法政大学出版局、1993年
フロマンタン『オランダ・ベルギー絵画紀行 昔日の巨匠たち』(上)(岩波文庫)、高橋裕子訳、1992年
フロマンタン『オランダ・ベルギー絵画紀行 昔日の巨匠たち』(下)(岩波文庫)、高橋裕子訳、1992年ゴットフリート・ゼンパー(Semper, Gottfried 1803-79)
イポリット・テーヌ(Taine, Hippolyte 1828-93)
テエヌ『藝術哲学』、廣瀬哲士訳、東京堂、1937年
ヤーコブ・ブルクハルト(Burckhardt, Jacob 1818-97)
ヤーコブ・ブルクハルト『ギリシア文化史』、新井靖一訳、筑摩書房、1991-93年
ヤーコブ・ブルクハルト『世界史的諸考察』、藤田健治訳、岩波書店、1972年
ヤーコブ・ブルクハルト『イタリア・ルネサンスの文化』、柴田治三郎訳、中央公論社、1966年
ヤーコブ・ブルクハルト『チチェローネ 古代篇』、嘉門安雄訳、筑摩書房、1948年
ヤーコブ・ブルクハルト『ルーベンスの回想』、浅井真男訳、二見書房、1943年
下村寅太郎『ブルクハルトの世界』、岩波書店、1983年
ヴィンケルマンの『ギリシア美術模倣論』 、澤柳大五郎訳、座右宝刊行会、1976年
p.27 "そこで、ギリシア彫刻の美は自然の中の美よりも先に見出さる可きものであり、また彫刻の美は自然の美のやうに散らばつてをらず、一に統一せられてゐて人を動かす力が一層強いのだといふことになりはしないだらうか。"
p.28 "比等の彫刻を模倣することに依り、我々は一層速かに賢明になることができるだらうと思ふ。"
p.29 "自然模倣よりも古代模倣の方が勝つてゐることを最も明瞭に示す為には同等の才能を有する二人の若者を把へて、その一人には古代作品を、他の一人には專ら自然を研究させてみるに若くはない。"
p.30 "假に美術家が自然の模倣に依つて凡ゆることを學び得るとしても、輪郭の正確さだけは決して自然からは獲られない、これこそただギリシア人からのみ學ばるべきものである。"
《アンティノオス アドミランドゥス》(ベルヴェデーレのヘルメス)、ヴァチカン美術館蔵
Source: Musei Vaticaniヴァティカノの《アポロン》
Source: Musei Vaticani「ヴィンケルマンの肖像」
Source: Gay History & Literature / Johann Joachim Winckelmann (1717-68)
ポンペイ壁画の発掘と新古典主義
1726年 スウィフト『ガリバー旅行記』刊
1738年 イタリアでヘルクラネウムの発掘開始
1748年 イタリアでポンペイの発掘開始
1751年 フランスで、ディドロら、『百科全書』刊行開始
1752年 イタリアのパエストゥムで古代ギリシア神殿発見
1753年 大英博物館創設
1755年 ヴィンケルマン『ギリシア美術模倣論』刊(著者38歳)
1766年 レッシング『ラオコーン』刊
1781年 カント『純粋理性批判』刊
参考資料:「歴史年表」、鈴木杜幾子責任編集『新古典主義と革命期美術』(世界美術大全集 西洋編 19)、小学館、1993年、427-8頁。
《ディオニューソスの秘儀の諸情景》(部分)、秘儀荘、ポンペイ、紀元前50年頃
Copyright (C) 1997 Leo C. Curran / Date of Photograph: 1988 / 7I7 - ac881734
Source: Maecenas/Pompeiiジャック=ルイ・ダヴィッド《ホラティウス兄弟の誓い》、1784年、油彩・カンヴァス、330×425cm、パリ、ルーヴル美術館
Source: base Jocondeジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル《泉》、1856年、油彩・カンヴァス、163×80cm、パリ、オルセー美術館
Source: base Joconde
若林直樹『退屈な美術史をやめるための長い長い人類の歴史』、河出書房新社、1999年
p.140 "礼儀をわきまえた適度に知的で由緒正しい女性は、彼らの社会倫理の欲求に応えるものだったろう。しかし、そのような女性との肉体的交渉は彼ら彼女ら自身の厳しい倫理観に阻まれて不毛だった。それなら、倫理観に蓋をして金にものを言わせた恋愛沙汰や肉体的交渉ならどうだろうか。ところが、これは結局のところ無知で無作法な下層階級出身の娼婦との理性を殺し本能に身をまかせる行為だったから、愛になど昇華するはずはないと思われた。貞淑な妻でも、淫乱な娼婦でも、現実の女性では彼らの望みはかなえられなかったのだ。
「ミロのヴィーナス」をクラシック期の名作で理想の女性美であると言いつのった者たちは、現実の女性では満たされることのない欲望をヌード絵画やヌード彫刻に託していた男たちだった。彼らは現実の肉体を見失った鑑賞者、「肉体なき鑑賞者」だった。したがって、彼らは理想的肉体を夢想する一方、貧困や差別、病や不具や死という現実には興味がなかった。
肉体なき鑑賞者が夢想した架空の肉体は、数学的に完全なプロポーションを持ち、売春婦にはない教養と礼節を身につけ、彼らの妻にはない健康な肉体と奔放な性を提供するはずの存在である。藝術としてのヌード絵画やヌード彫刻のなかの女性は、彼ら男たちの倫理観のもとでは決して現実に出会うことのないという意味で、まさに理想の女性と言えた。"
p.144 "近代の身体観とは、貧困や差別を無視し、醜い者、不具者、障害者を退け、性とともにある現実の肉体を避けて、人造人間を求めることだったのだ。"
p.155 "一九世紀にヌード絵画とヌード彫刻の山を築いた後、ヨーロッパの美術の最先端は理想の肉体、ヴィーナスを描かなくなっていった。現実的な肉体に理想を見るヌード絵画や彫刻は、現実的な精神を反映したものにすぎなかったからだ。現実的な精神とは、経済的に豊かな生活をし、社会的に高い地位を得て、優生学的に優れた配偶者を得ることである。肉体への賛美は、結果的に現実社会で富と力とを求め血なまぐさい闘争を繰り広げる人間精神を理想と言い換えることにほかならなかった。一九〇七年のキュビスム誕生以降の美術の制作者たちは抽象的な形体を操り、造形美術の目的を理想美の追求から、人間の創造力の無限の可能性と多様性の追求に変更した。そこには、理想という言葉はもうなかった。"
p.156 "一九世紀半ば過ぎ、日本人が遭遇した西洋という巨大な文明は、古典主義時代、つまりアポロン型美術の絶頂期にあった。歴史の後知恵に照らし合わせてみれば、次の時代の新美術、リアリスムから印象派への流れはとっくに姿を現していたのだ。ところが、明治の日本人画家や彫刻家は、西洋美術の情報を権威の中枢から得ていれば安全と思っていた。"