美術史2004


3. 目利きと作品目録:モレッリ―ベレンソン

三浦篤「西洋美術史学の方法と歴史」、高階秀爾、三浦篤編『西洋美術史ハンドブック』、新書館、1997年6月、pp.200-201.

D 作品鑑定と目録化:モレッリからベレンソン、フリートレンダーへ

p.200 l.5. "…研究対象となる作品自体への精密な眼差しが出現するのが、この時期の大きな特徴の一つである。"

p.200 l.7-11. "制作者の不確かな作品の帰属(アトリビューション)を決定することは、作品の戸籍台帳ともいうべき「作品目録」の作成に必要不可欠な第一歩なのである。このような美術史研究の基礎的作業に取り組んだのが「コネッスール」(目利き)と呼ばれる作品の鑑定家たちである。彼らはみな高度の専門的な学識と豊富な鑑賞体験に裏打ちされた美術史家であり、作品の微細な特徴まで感受しうる鋭敏な観察眼の持ち主と言ってよい。"

p.200 l.13-16. "…ジョヴァンニ・モレッリ(一八一六〜九一)は、絵画作品中の人物の意味のない副次的形態、特に耳や指の形などの細部を精密に比較対照することによって、同一作者の定型反復的な傾向を見出し、作品の真偽証明の根拠とする方法を提案した。簡単に言えば、無意識に現れる描き方の癖を見抜いて、画家を識別するというやり方である。"

p.201 l.4-5. "…やはりモレッリの方法に多くを負うベレンソンであるが、作品の直観的な理解と芸術家の個性的な表現様式への洞察を決して軽視してはいない。"

p.201 l.16-19. "フリートレンダーは、『美術と鑑定について』(一九二〇、四二/『芸術と芸術批評』岩崎美術社)で述べているように、絵画作品との接触における直観や第一印象に何よりも重きを置く研究者である。そこには、経験の蓄積から作品の形態や構造の特徴を一瞬の内に把握し、識別する力への信頼があるが、眼が欺かれる危惧はもちろん皆無ではない。"

p.201 l.23. "…美術史家にとって作品の特質を見抜く眼の養成は、文書資料を探索するメティエと同じく、必須であることに変わりはない。"


参考図書

ジョヴァンニ・モレッリ(Morelli, Giovanni 1816-91)

バーナード・ベレンソン(Berenson, Bernard 1865-1959)

ロベルト・ロンギ(Longhi, Roberto 1890-1970)

ロベルト・ロンギ『芸術論叢 (2)』、岡田温司訳、中央公論美術出版、1999年

ロベルト・ロンギ『芸術論叢 (1)』、岡田温司訳、中央公論美術出版、1998年

ロベルト・ロンギ『イタリア絵画史』、和田忠彦訳、筑摩書房、1997年

ジョルジュ・ユラン・ド・ロー(1862-1945)

マックス・フリートレンダー(Friedländer, Max J. 1867-1958)

マックス・フリートレンダー『ネーデルラント絵画史―ヴァン・エイクからブリューゲルまで』(美術名著選書 24)、斎藤稔、元木幸一訳、岩崎美術社、1983年

マックス・フリートレンダー『芸術と芸術批評』(美術名著選書 9)、千足伸行訳、岩崎美術社、1968年


「モレリの方法」 、ウード・クルターマン『美術史学の歴史』、勝國興・高坂一治訳、中央公論美術出版、1996年 、179-186頁。

 形体の再現における美術家の癖

p.179 "…私が見るところ、彼が美術研究のことをあまりにも安易に考え、歩けるようになる前に走り出そうとするからです。 でも、この美術に励むひとたちのほとんどすべてがそうなのです。"

p.180 "…ジョヴァンニ・モレリは彼の見解を通じて一九世紀の美術史編修に決定的な変化を引き起こした。"

p.180 "…彼は最初イヴァン・レルモリエフという筆名で登場し、しかも彼の著書はヨハネス・シュヴァルツェ博士という人物によってロシア語からドイツ語に翻訳されたのだと称した。しかしドイツ語を綴ったのはモレリ自身で…(後略)。"

p.181 "哲学でなければ、法学か神学の出身者だった古いタイプのドイツの美術史家からモレリを区別するのは、自然科学を基礎とするという点である。"

p.181 "彼は、美術作品の取得は目利きにとってこの上なく有益なことと考えていた。"

p.181 "マックス・J・フリートレンダーは次のように述べている。「…(中略)…彼はほら吹きという職業病から自由ではなかった。…(中略)…モレリはどこかでフラ・フィリッポの作品を見つけ出したその後で、彼は勝ち誇ったように手や耳を示した。…(後略)」"

p.182 "ヴィルヘルム・フォン・ボーデもモレリの方法を一面的だと評したが、この方法の肯定的な側面も見ていた。 「…(中略)…著者はこのような専門家として、あらゆる個別美術家の形体観察を識別し、外面に現れる特徴、すなわち、形体の再現における美術家の癖(「ファウヌスのような先の尖った耳」、「目立つ親指の付け根」など)を記憶にとどめることにかけては、とりわけ有能であった。…(中略)…いかなる画家の場合にせよ、ある程度まで形体観察や形体表現はその画家特有のものであるのを常とするように、賦彩や色調、色彩技法においても然りである。それゆえ、これらのものは形体付与と同様によく観察されて然るべきであり、また画家を特定する場合に、それと同様に決定要素となることも多い。また重要な補助手段となるものに、画中の銘文、なかんずく美術家の銘文の研究である古文書学がある。画材のような一見副次的と思える事柄ですら、多少とも重要性をもつ。正当な<実験的方法>というのは、あらゆる美術家において、こうしたさまざまな面にわたる特有性のすべてを考察してみて、はじめて成り立つものなのである。」"

p.183 "「…この場合には、他の人なら見逃してしまうような多くの事柄が、彼にははっきりと認識されているからである。 」"

 全体を認識する真の目利き

p.183 "彼は、自分の方法が、「無能な者のための虎の巻」呼ばわりされることに抗弁した。 というのは、彼は、これを用いることができるのは真の目利きに限られると考えていたからである。"

p.184 "疑問の余地なく、モレリにとって重要なのは全体の認識であった。"

p.184 "…耳や手という特定の細部に意識を集中させることによって、その油彩画が誰の手によって生み出されたものかを確実に言うことのできる判定基準を彼は求めたのである。彼は当時の指導的な美術史家たちの直観に代わる、断片的な形態の個別分析を行った。こうした細部の強調は、美術史研究が学問になるための必須の一歩であったのである。"

 素描の導入

pp.184-5 "さらに、モレリは、素描が方法上の重要な補助手段となることを認めた。 彼はこれを記録として見て、その意味を評価することを心得ていた。こうして彼はまた、より精緻な分析のための新たな可能性を美術学に導入したのであった。"

 作品目録

p.185 "…彼の著作は、主として、批判を経た作品目録というものであった。"

 ベレンソン:有機的な全体像

p.185 "アメリカ人バーナード・ベレンソンは…(中略)…やがて早くもモレリの方法の限界に気づき、より包括的な基準を求めた。彼は美術作品の表現方法のみならず、その表現内容をも適切に評価することが大事であることを認識していた。"

p.185 "ここで明らかになるのは、新しい考え方が成立したということである。すなわち、形態観察にとどまらず、これを乗り越えて、さらに、有機的捉えられた美術作品の内容をも観察対象にしようというのである。"

 美術研究の要諦

p.186 "「美術学において真の成果を得ようとするなら、美術学の研究は文書の上でなく、美術作品そのものにおいてなされねばなりません。」"


モレッリの図版

「ベルリン・ギャラリー所蔵の作家より」


「ボルゲーゼ・ギャラリー所蔵の作家より」

Source:Morelli's method


手と耳の比較

       

・レオナルド・ダ・ヴィンチ《モナリザ》、1503-5年、油彩・板、77×53cm、パリ、ルーヴル美術館

部分図(手)

・レオナルド・ダ・ヴィンチ《白貂を抱く貴婦人の肖像》、1485-90頃、油彩・板、54×39cm、クラコフ、チャルトリスキ美術館

部分図(手)

・ラファエロ・サンツィオ《マッダレーナ・ドーニ》、1506年、油彩・板、63×45cm、フィレンツェ、ピッティ美術館

部分図(手)

・ラファエロ・サンツィオ《アレクランドリアの聖カタリナ》、1508年、油彩・板、71×53cm、ロンドン、ナショナル・ギャラリー

部分図(手)

・ラファエロ・サンツィオ《小椅子の聖母》、1514年、油彩・板、直径71cm、フィレンツェ、ピッティ美術館

部分図(手)

部分図(耳)

・ミケランジェロ・ブオナローティ《聖家族と幼児聖ヨハネ》(トンド・ドーニ)、1504-06頃、テンペラ・板、直径120cm、フィレンツェ、ウフィツィ美術館

部分図(手)

部分図(耳)