4. 美術史の自律性:リーグル
三浦篤「西洋美術史学の方法と歴史」、高階秀爾、三浦篤編『西洋美術史ハンドブック』、新書館、1997年6月、pp.202-203.
E 精神史としての美術史:リーグルとウィーン学派
p.202 l.1-2. "世紀末から今世紀初頭において、美術史学の方法論に決定的な展開をもたらしたのは、オーストリア生まれの美術史家アーロイス・リーグル(一八五八〜一九〇五)である。"
p.202 l.3-4. "…美術の歴史には、一般史や文化史に還元されず外圧的要因では説明できない、独自の発展の論理と法則性があるという洞察があった。"
p.202 l.4-5. "…自律的な学問としての美術史学を指向したのである。"
p.202 l.6-9. "…ヴィンケルマンの判断ではローマ美術はギリシャ美術の「デカダンス」であり、ブルクハルトにとって十七世紀イタリアの「バロック様式」は退廃的で劣っていたが、リーグルにとっては異なる「芸術意思」の発現であり、扱う対象、時代自体に価値の上下は存在しない。先行する循環論的な様式論は、この点でも大きく変貌したのである。"
p.202 l.17-18. "その後、リーグルの仕事を継承しながら、精神史的な解釈を重視するウィーン学派が形成されていくことになる…"
◆参考図書
アーロイス・リーグル(Riegl, Alois 1858-1905)
アロイス・リーグル『美術様式論 装飾史の基本問題』(美術名著選書 11)、長広敏雄訳、岩崎美術社、1970年
ヴィルヘルム・ヴォーリンガー(Worringer, Wilhelm 1881-1953)
ヴォリンゲル『抽象と感情移入』(岩波文庫)、草薙正夫訳、1953年
フランツ・ヴィックホフ(Wickhoff, Franz 1853-1909)
マックス・ドヴォルジャーク(Dovřák, Max 1874-1921)
マクス・ドヴォルシャック『精神史としての美術史』、中村茂夫訳、岩崎美術社、1966年
ユーリウス・フォン・シュロッサー(Schlosser, Julius von 1866-1938)
ユーリウス・フォン・シュロッサー『美術史「ウィーン学派」』、細井雄介訳、中央公論美術出版、2000年
ハンス・ゼーデルマイヤ(Sedlmayr, Hans 1896-1984)
ハンス・ゼードルマイア『芸術と真実 美術史の理論と方法のために』、島本融訳、みすず書房、1983年
ハンス・ゼードルマイヤー『中心の喪失―危機に立つ近代芸術―』、石川公一、阿部公正訳、美術出版社、1965年
アロイス・リーグル『美術様式論 装飾史の基本問題』(美術名著選書 11)、長広敏雄訳、岩崎美術社、1970年、pp.358-366.
◆用語解説
p.358
アカントス
→アカンサス:装飾モティーフの一つで、古代ギリシア以来、古典主義美術を始めとする美術のあらゆる領域、とりわけ建造物に用いられることが多い。ギリシア語ではアカントス。地中海沿岸地方に生育する同名の植物の葉を様式化したもの。華やかな装飾効果をもち、建築ではコリント式やコンポジット式の柱頭装飾、あるいはフリーズや付柱の装飾に用いられる。…(以下略)
『世界美術大事典』全6巻、小学館、1989-90年、第1巻、p.41
参考リンク:アカンサス 植物・文様(唐草図鑑)
ビザンツ式
→ビザンティン美術:東ローマ帝国の美術。首都コンスタンティノポリス(現イスタンブール)の旧名ビザンティオンにちなんで、この帝国をビザンティン帝国(英語)、またはビザンツ帝国(ドイツ語)と称し、その美術をビザンティン美術とよぶ。…(以下略)
『世界美術大事典』全6巻、小学館、1989-90年、第4巻、pp.338-344
アラベスク
→アラベスク文様:<語源>ラテン語のarabus「アラビア人の」
様式化した植物文様と幾何学的な線の交錯による装飾。イスラム美術の典型的なモティーフの一つで、その様式と流麗な線は一つの到達点を示している。
イスラムの教義上、人物や鳥獣などのモティーフの採用が禁じられたため、主として装飾的な美術に樹葉、花冠、果実が七〜八世紀以降用いられ、のちヨーロッパに流布した。モティーフが本来植物であったことはアラビア語の語源からも知られるが、ヘレニズム期の小アジアやビザンティン美術の幾何学的な組紐文や蔓草文をも取り入れている。…(以下略)『世界美術大事典』全6巻、小学館、1989-90年、第1巻、pp.87-88
参考リンク:アラベスクの世界 イスラームと美術(2)
ユスチニヤヌス
→ユスティニアヌス 東ローマ皇帝 1) 一世 J. I 483.5.11-565.11.14. 在位 527/65
イリクムに生る。伯父ユスティヌス一世の養子で、その後継者として執政となる(521)。同帝の死(527)の直前アウグストゥスの称号を受け、妻テオドラと共に加冠さる。即位後、2度のペルシアの侵入(527-32; 40-45)を撃退し、休戦条約を締結(545)。ヴァンダル族と戦い、アフリカ、サルデーニャ、コルシカを回復(533-34)。西ゴート人と戦ってスペインの一部を獲得し、また東ゴート族と激戦してイタリアを得た(554)。軍備、戦争のみならず、聖ソフィア教会(ハギア・ソフィア)を建立し(537)、また宮殿その他の造営に多額の費用を要したため、財政は極度に窮乏した。…(以下略)『岩波 西洋人名辞典 増補版』、岩波書店、1981(初版1956)年、p.1569
コルドバ
スペイン南部アンダルシーア地方の都市。前二世紀フェニキア人によって建設され、その後、ローマ帝国ついで西ゴートに征服された。七一一年アラブ人の手に落ちてからがコルドバの黄金時代で、その繁栄は、アルモラヴィド朝の侵入(一〇九一年)、アモルモハド朝の侵入(一一四五年)に至るまで続いた。一二三六年カスティーリャ国王フェルナンド三世の征服により、衰退の一途をたどった。
『世界美術大事典』全6巻、小学館、1989-90年、第2巻、p.348
パルメット
<語源>ラテン語のpalma「棕櫚」
植物より着想を得た装飾モティーフ。中央の要状のものの周りに葉形の構成要素が扇形に配置されている。原型はアッシリアや新バビロニアの宮殿の装飾にみられ、アケメネス朝ペルシアやフェニキア・キプロス美術でも用いられている。しかし、もっとも典型的な例はギリシアにみられ、前七世紀頃からフリーズ、柱頭、アンテフィクサ(軒鼻飾り)などに用いられ、建築装飾の重要な要素となる。のちにローマ文化から西洋美術全体へと引き継がれる。このほかギリシア陶器の装飾文様としても、盛んに用いられた。『世界美術大事典』全6巻、小学館、1989-90年、第4巻、p.281
ロータス
ギリシアの伝説上の植物。その実を食べると憂いを忘れるといわれる。ここから夢見勝ちで怠惰な生活を送る人をロータスイーターという。
『講談社 カラー版 日本語大辞典』、講談社、1989年、p.2116
p.359
サラセン
ギリシア・ローマ世界における、シリア地方のアラブ諸族の呼称。中世以後のヨーロッパでは、広くイスラム教徒をさすようになった。ギリシアの文献にみえるアラブの一族の名称「サラケニ」に由来するといわれる。
『講談社 カラー版 日本語大辞典』、講談社、1989年、p.789
「サルディス出土・前6世紀・テラコッタ装飾片」に見る ロータス文様 |
ニオビーデの画家 《赤絵式クラテル:ニオベの子たちを殺すアポロンとアルテミス》に見る パルメット文様 |
コリントス式柱頭飾りに見る アカントス |
「シリア・13世紀中頃・バルベリーニの壺・」に見る アラベスク |
Metropolitan Mus. / Architecture in Ancient Greece | Louvre / Collections | Kapitelle, korinthisch | Louvre / Barberini Vase |
「浮き彫り装飾のある舗石 前7世紀・大英博物館」に見る ロータス文様 |
「アッティカ・前4世紀・大理石装飾」に見る パルメット文様 |
コリントス式柱頭飾りに見る アカントス |
「エジプト、カイロ・1296年・スズカケノキの浮彫」に見る アラベスク |
唐草 ロータス 文様 | Metropolitan Mus. / Architecture in Ancient Greece | ORDERS / コリントス式 | carved sycamore |
参考リンク:文様:唐草図鑑補足
p.359 "完成せるアラベスクは第一八九図にみられる。"
pp.361-2 "第一八九―第一九〇図の考察から、われわれはそこに、古式文様の写しをみるものでもなく、もしくは、名残りをみとめるものでもない。むしろサラセン装飾法の有機的な要素をみとめねばならない。"
pp.363 "サラセン美術家は、そのアラベスク装飾法と古い古典的唐草装飾法との密接なザッハリッヒな関係を充分自覚していたのである。しかも、わたくしは事実的関係(ルビ:ザッハリッヒ)を主張するのであって、歴史的関係をいうのではない。"
pp.363-4 "ここで問題がおこる。第一九三図の線的半パルメットのモチーフは、第一八九図のbcおよび第一九〇図を引きあいにしてのべたことから考えられるように、古典的半パルメットに帰属せしめられるか、もしくは、それがアカントス半葉の合掌的外縁(第一八〇図-第一八三図)をつくりかえらものと考えるか。"
p.364 "…第一九三図および一三九図でのサラセン式半パルメットおよび枝分かれ唐草の蕚の渦形は、決して古ギリシア式パルメット渦巻形からきたのでなく、むしろ、アカントスの特性そのものから、つまりアカントスの葉の二つのギザギザ間にある丸い「管形」からきたのである。"
p.365 "サラセン装飾法の本体と起源について、および特にそのもっとも重要な表現方法―すなわちアラベスク―について流布されている諸見解があまりに無秩序なのを痛感したので、サラセン装飾の生成のプロセスを一つの統合的観点から叙述してみたのである。えらばれた材料がしめす地方的特性にはあまり重点を置かなかった。…(中略)…もちろん、地方的な特殊の発達が存在することはあきらかであり、したがって、イスラム諸民族の地理的にひろく分散する諸地方において、その分化のありかたをたずねること、および互いの分離をたしかめることは次にくる大きな研究課題である。"
p.365 "われわれの課題は、その反対の方向にあったのである。第一に、古代から近世にいたる植物唐草文様の発達について、歴史的・系譜的関係をあきらかにすることであった。そしてこれに関連して、共通の大きな観点―個々の区別をもつ小さい変種でなく―を探求し、たしかめることであった。"
p.365 "…カイロの美術品にみられるような完成したアラベスクが、その外見上は幾何学的モチーフであるにかかわらず紛ごうことなき植物的意味をその核にかくしているのである。"
p.366 "…人類の芸術創作の始原以来、植物装飾法は一貫して厳密な歴史的過程をふんできているのである。"
p.366 "装飾の創造について、任意気ままに天然の植物界から採りだすことは、ふつう考えられるような程度では、決して行われはしなかった。あるいは、たとえ、そんなケースがあったとしても、決してながつづきはしなかった。"
p.366 "…この種の研究は、いままで、まったく欠けていたのだけれど、われわれは成功したといってよい。"