美術史2004


6. イコノロジー:パノフスキー

三浦篤「西洋美術史学の方法と歴史」、高階秀爾、三浦篤編『西洋美術史ハンドブック』、新書館、1997年6月、pp.206-207.

G イコノグラフィーとイコノロジー:マール、ヴァールブルクからパノフスキーへ

p.206 l.2. "…美術作品の主題や表現内容に着目する研究方法が、もう一つの大きな柱として存在する。"

p.206 l.18-9. "キリスト教美術の忘れ去られた象徴体系を復元するという壮大な仕事に着手したマールは、神学思想を始めとする過去の文献資料を博捜して、数多くの図像の源泉を突き止め、形象の意味を確定した。"

p.206 l.16-17. "…文学、哲学、思想、宗教等との関連において時代の精神風土から美術作品を解釈しようとするのが、イコノロジーと呼ばれる方法である。"

p.206 l.19-p.207 l.1. "…ヴァールブルクの最大の関心は古典古代の文化遺産のルネサンスにおける残存、復活という問題にある。それを東西世界の図像交流をも射程に入れた、学際的な文化史学の枠組みの中で究明することによって、新しい図像解釈学を萌芽させたのである。"

p.207 l.6-7. "ヴァールブルクの発想したイコノロジーを、美術史学の方法論として理論化するとともに実践し、最も豊かな成果を挙げたのが、ドイツ人エルヴィン・パノフスキー(一八九二〜一九六八)である。"

p.207 l.10-11. "『イコノロジー研究』(一九三九/美術出版社)は、高度な文献学的博識と深い洞察力を武器に、ルネサンス美術における人文主義のテーマの錯綜ぶりを、古典イメージの再生の諸相を見事に解析した主著に当たる…"

p.207 l.15. "作品の象徴的価値を構成する内的な意味内容の解明を目的とする。"

p.207 l.22-24. "ヴァールブルクが生み出し、パノフスキーが育て上げたイコノロジーが、戦後の美術史学の世界で最も影響力の大きな方法となったのは確かな事実である。"


参考図書

エミール・マール(Mâle, Emile 1862-1954)

エミール・マール『中世末期の図像学』(中世の図像体系 5-6)上・下、田中仁彦[ほか]訳、国書刊行会、2000年

エミール・マール『ゴシックの図像学』(中世の図像体系 3-4)上・下、田中仁彦[ほか] 訳、国書刊行会、1998年

エミール・マール『ロマネスクの図像学』(中世の図像体系 1-2)上・下、田中仁彦[ほか]訳、国書刊行会、1996年

エミール・マール『ヨーロッパのキリスト教美術 12世紀から18世紀まで』(岩波文庫)上・下、柳宗玄、荒木成子訳、岩波書店、1995年

エミール・マール『ヨーロッパのキリスト教美術 12世紀から18世紀まで』、柳宗玄、荒木成子訳、岩波書店、1980年

エミール・マール『キリストの聖なる伴侶たち』、田辺保訳、みすず書房、1991年

アビ・ヴァールブルク(Warburg, Aby 1866-1929)

アビ・ヴァールブルク『サンドロ・ボッティチェッリの「ウェヌスの誕生」と「春」 イタリア初期ルネサンスにおける古代表象に関する研究』(ヴァールブルク著作集 1)、富松保文訳、ありな書房、2003年

アビ・ヴァールブルク『デューラーの古代性とスキファノイア宮の国際的占星術』(ヴァールブルク著作集 5)、加藤哲弘訳、ありな書房、2003年

アビ・ヴァールブルク『蛇儀礼 北アメリカ, プエブロ・インディアン居住地域からのイメージ』(ヴァールブルク著作集 7)、加藤哲弘訳、ありな書房、2003年

田中純『アビ・ヴァールブルク 記憶の迷宮』、青土社、2001年

E. H. ゴンブリッチ『アビ・ヴァールブルク伝 ある知的生涯』、鈴木杜幾子訳、晶文社、1986年

エルヴィン・パノフスキー(Panofsky, Erwin 1892-1968)

アーウィン・パノフスキー『イコノロジー研究』(ちくま学芸文庫)上・下、浅野徹[ほか]訳、2002年

アーウィン・パノフスキー『イコノロジー研究 ルネサンス美術における人文主義の諸テーマ』、浅野徹[ほか]訳、1971年

アーウィン・パノフスキー『芸術学の根本問題』、細井雄介訳、中央公論美術出版、1994年

レイモンド・クリバンスキー、アーウィン・パノフスキー、フリッツ・ザクスル『土星とメランコリー 自然哲学、宗教、芸術の歴史における研究』、田中英道監訳、榎本武文、尾崎彰宏、加藤雅之訳、晶文社、1991年

アーウィン・パノフスキー『ゴシック建築とスコラ学』、前川道郎訳、平凡社、1987年

アーウィン・パノフスキー『アルブレヒト・デューラー 生涯と芸術』、中森義宗、清水忠訳、日貿出版社、1984年

アーウィン・パノフスキー『イデア』、中森義宗、野田保之、佐藤三郎訳、思索社、1982年

ドラおよびエルヴィン・パノフスキー『パンドラの箱 神話の一象徴の変貌』、阿天坊耀、塚田孝雄、福部信敏訳、美術出版社、1975年

アーウィン・パノフスキー『ルネサンスの春』、中森義宗、清水忠訳、思索社、1973年

Erwin Panofsky, Perspective as Symbolic Form, trans. Christoper S. Wood. Zone Books, New York, 1991.

Erwin Panofsky, Meaning in the visual arts, Harmondsworth : Penguin, 1970.

Dora and Erwin Panofsky, Pandra's Box: The Changing Aspects of a Mythical Symbol, Princeton University Press, Princeton, 1991(Bollingen Foundation, 1956)

Erwin Panofsky, The Life and Art of Albrecht Dürer (1943), Princeton University Press, Princeton, 1971.

Erwin Panofsky, Studies in iconology : humanistic themes in the art of the Renaissance (1939), Icon editions, 1972.

Erwin Panofsky, Studies in iconology: humanistic themes in the art of the Renaissance (1939), Harper & Row, New York, 1962.

Michael Ann Holly, Panofsky and the Foundations of Art History, Cornell University Press, Ithaca, 1984.


アーウィン・パノフスキー『イコノロジー研究 ルネサンス美術における人文主義の諸テーマ』、浅野徹[ほか]訳、1971年(新装版 1987年)、pp.3-11.

1-1 日常生活を例にとった三層分析

事例:「街である知人が帽子をとって私に挨拶した

*参考図版
 ギュスターヴ・クールベ《出会い(こんにちは、クールベさん)》 1854年 油彩・カンヴァス 129.0×148.0 モンペリエ、ファーブル美術館

1-1-1 「第一段階的・自然的意味」:「形の上で」→「主題・意味」の最初の領域

視覚世界:色・線・量の全体的パターンの一部を成す形態の中の幾つかの細部の変化

    ↓

「対象」:紳士

「出来事」:帽子をとること

1-1-1-A 「事実的意味」:初歩的で理解しやすい性質のもの

p.3 l.10-2 "...視覚に映ったある形を、実際的経験によってすでに私が知っているある対象と同じもとの単純に認めることによって、またそれらの形の関係の変化を、ある行為や出来事と同一であると認めることによって把握される。"

※講師注記

1)経験によって、私は私の視界にあるものが、人間であり、さらには私の「知人」であることを認知する。

2)これもまた経験によって、対象の一番上方、それはつまり「頭上」であり、そこに存在するものは「帽子」であり、対象の左右に突きだしているものは人間においては「腕」ないし「手」であり、それが帽子へとのび、それは視覚的には「形態の変化」であるのだが、私の脳においては、「彼が彼の意志によって手を動かしている」ということが経験的に理解される。

3)そして、「手」はものを掴むことができる、ということも経験的に理解している私は、彼の手が帽子をつかみその帽子を頭に「被った」(これも経験的理解による)状態から、別の状態に変化させる動作について、それは「帽子をとる」という行為である、ということも、「帽子」が人間の服飾品であることを知る私は経験的に理解しうる。


1-1-1-B 「表現的意味」:心理学的なニュアンス

p.3 l.16-p.4 l.1 "これは単純な認識によってではなく、「感情移入」によって把握されるという点において「事実的意味」とは異なっている。"

※講師注記

4)彼に対する「感情移入」により、彼が帽子を大げさにとる身振り、最初目を丸くし、それからその目を細める様子が観察されるなら、彼は私と久しぶりに会って喜んでいるのだ、という印象が私の中には生起するし、また、彼が軽く帽子をとるにとどまり、視線も合わせないようなら、彼には何か気がかりなことがあって、私と出会ったことに対してあまり関心を抱いていないのだ、というような勘が働く。また動作は丁寧でも、こちらを見据えるような鋭い目つき、憮然とした口元などが合わせて観察されるようならば、「何かこちらに敵意を抱いている」ようだ、という推測もつくし、丁寧な動作は逆に「形式的なもの」だ、とすら判断するであろう。それらは皆、私が「感情の表現」について、私自身の経験と行動になぞらえて相手の活動にも同内容・同原理の行動様式が成立しうると習慣的に確信しているからである。

p.4 l.2-4 "しかし、いまだにこの感受性は、私の実際的経験、つまり日常の対象と出来事に慣れ親しんでいる領域にとどまっている。それゆえ、「事実的意味」と「表現的意味」はともにひとつの段階にまとめられるのであって、それらは「第一段階的・自然的意味」の層を成している。"

1-1-2 「第二段階的・伝習的」:まったく別の解釈の領域

p.4 l.6 "この挨拶の形は西洋独特のものであり、中世騎士道の名残りなのである。"

p.4 l.8-10 "オーストラリアの未開人古代のギリシア人に対して、帽子を上げることが何らかの表現的な含蓄をもった実際的な出来事であること、またさらにはそれが礼儀のしるしであることなどを理解するよう期待する方が無理というものであろう。"

・ある文明独特の伝習や文化的伝統

・実際的世界を超えた世界

・感覚的ではなく知的な意味

・意識的に付与されてきた意味

p.4 l.8-10 "それゆえ、私が帽子をとることを礼儀にかなった挨拶として解釈するとき、私はその中に「第二段階的・伝習的意味」と呼びうる意味を認めているのであって、この意味は感覚的でなく知的であるという点において、…。"

1-1-3 「内的意味・内容」:精神的肖像を組み立てる

p.5 l.1-2 "...経験を積んだ観察者に対しては、彼の「人格」を作り上げるにいたったすべてのものを表すことにもなる。"

p.5 l.7-10 "われわれはこのたったひとつの行為に基づくだけでは無理だとしても、この人間についての多数の同じような観察を統合し、それらをこの紳士の属する時代・国民性・階級・知的伝統などについての全般的な知識と関連させて解釈すれば、そのとき初めて彼の精神的肖像を組み立てることができよう。"

p.5 l.13-15 "このようにして見出される意味は「内的意味・内容」と呼ぶことができるだろう。これは、他の二種類の意味、「第一段階的・自然的意味」と「第二段階的・伝習的意味」とがともに現象的であるのに対し、本質的である。"


1-2 美術作品における三つの層

1-2-1 「第一段階的・自然的主題」=美術上の「モティーフ」の世界=「イコノグラフィー以前の」記述

 1-2-1-A 事実的主題

 1-2-1-B 表現的主題
 

事例:

(1)"人間・動物・植物・家屋・道具などの自然な「対象」の表現として認めること"

(2)"それらの相互関係を「出来事」として認めること"

(3)"さらに姿勢や身振りが悲しげであるとか、室内の雰囲気が家庭的で和やかであるとかいうような「表現的な」特質を知覚すること"

*参考図版
 ブリューゲル《農民の婚礼》、1568年、油彩・板、114×164cm、ウィーン、美術史美術館

p.6 l.7-9 "このようにして「第一段階的・自然的意味」の担い手として認識される純粋な「形」の世界は、美術上の「モティーフ」の世界と呼ばれてよいだろう。また、これらのモティーフを列挙すれば、それは美術作品について「イコノグラフィー以前の」記述をしたことになろう。"

1-2-2 「第二段階的・伝習的主題」=「イメージ・物語・寓意」を認識すること=「狭義のイコノグラフィー」の領域

事例:

(1)"小刀を持った男性像が聖バルトロマイを表し"

聖バルトロマイ:"この使徒について、新約聖書はその名にふれるだけで、行いについては記していない。一方『黄金伝説』は、インドへの伝道やアルメニアで生きながら皮を剥がれて殉教したことを記述している。"(ジェイムズ・ホール『西洋美術解読事典』、高階秀爾監修、河出書房新社、1988年、p.263)

*参考図版
 マテオ・ディ・ジョヴァンニ《聖使徒バルトロマイ》 1480年頃 テンペラ・板 80.5×48.0 ブダペスト国立美術館
 ドッソ・ドッシ《聖ヨハネと聖バルトロマイ、および寄進者》(細部) 1527年 油彩・板 248.0×162.0 ローマ、国立美術館
 ミケランジェロ・ブオナローティ《最後の審判》(部分) 1536-41年 フレスコ 1440.0×1330.0 ローマ、ヴァティカン宮
 ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ《聖バルトロマイの殉教》 1722年 油彩・カンヴァス 167.0×139.0 ヴェネツィア、サン・スタエ

(2)"桃を手にした女性像が「誠実」の擬人化であり"

:"1枚の葉を付けた桃の実は古代において心臓と舌の象徴とされたが、ルネサンスにも同じ意味が引き継がれて、<真実>の擬人像の持物とされた(真実は心と舌が1つになって生まれるの意)。"(ジェイムズ・ホール『西洋美術解読事典』 p.342)

(3)"一定の配置と一定の姿勢で晩餐の食卓に着いている一群の人々が「最後の晩餐」を表現し"

*参考図版
 レオナルド・ダヴィンチ《最後の晩餐》、1495-97年、油彩、テンペラ、460×880cm、ミラノ、サンタ・マリア・デレ・グラツィエ聖堂
 
アンドレア・デル・カスターニョ 《最後の晩餐》、1447年、フレスコ、470×975cm、フィレンツェ、カスターニョ美術館(サンタポローニア修道院食堂)

(4)"一定のやり方で互いに闘っている二人の姿が「悪徳と美徳の闘い」を表現している"

美徳と悪徳:"ゴシック彫刻は一般に、人間または動物の形をした特定の悪徳を足下に踏みつけている美徳の姿を表す。中世におけるキリスト教の美徳の基準は、信仰・希望・慈愛の3つの「対神徳」(「コリント人への第一の手紙」 13:13)と正義・賢明・剛毅・節制の4つの「枢要徳」からなる。後者はプラトンの『共和国』(4:427以下)で、理想都市国家の市民に求められる美徳として定式化された。初期キリスト教の教父たちは、これをキリスト教の美徳と公認し、…(中略)…7つの美徳は、時には適当な悪徳(必ずしも七つの大罪ではない)と対の形で、中世の彫刻・壁画に広く表された。最後の審判と合わせて描かれる場合が多い(ジョット作、パドヴァ、スクロヴェーニ礼拝堂)。(ジェイムズ・ホール『西洋美術解読事典』 p.271)"

*参考図版
 パオロ・ヴェロネーゼ《「美徳」の「悪徳」に対する勝利》 1553-4年 油彩・カンヴァス 295.0×165.0 ヴェネツィア、パラッツオ・ドゥカーレ、三委員長の間

p.6 l.14-p.7 l.1 "…われわれはそれらを慣習的に「物語」や「寓意」と呼んでいる。またこのような「イメージ・物語・寓意」を認識することは、「狭義のイコノグラフィー」の領域に属している。"

ヴェルフリンへの批判的言及

p.7 l.1-9 "われわれは、そう深い考慮も払わずに「『形』に対置される『主題』」とよく口にするが、その場合実際には、…(中略)…「第一段階的・自然的主題」の領域に対置させて、「第二段階的・伝習的主題」の領域、つまり「イメージ・物語・寓意」の中に表された特殊な「テーマ・概念」の世界のことを述べている場合が多いのである。たとえば、ヴェルフリンの言う意味における「形の分析」にしても、大抵は、モティーフやモティーフの組合わせ(構図)の分析であって、言葉を厳密な意味で用いた場合の形の分析ならば、…(中略)…「人」「馬」「柱」というような言葉さえ避けねばならないはずである。"

1-2-3 「内的意味・内容」=エルンスト・カッシーラーが「象徴的価値」と呼んだもの=「深い意味におけるイコノグラフィー」

p.7 l.15-17 "これは、国家・時代・階級・宗教的もしくは哲学的信条などからなる基礎的態度を現わす根本的原理―無意識に一個人の人格によって具現化され、一個の作品のうちに凝集される―を確認することによって把握される。"

p.8 l.10-12 "このように、純粋な形、モティーフ、イメージ、物語、寓意を、それぞれ根本的原理の表出として考えることによって、われわれはこれらすべての要素を、エルンスト・カッシーラーが「象徴的価値」と呼んだものとして解釈したことになる。"

事例:

レオナルド・ダヴィンチ《最後の晩餐》、1495-97年、油彩、テンペラ、460×880cm、ミラノ、サンタ・マリア・デレ・グラツィエ聖堂

(1)"レオナルドの人格の記録として"

(2)"イタリアにおける盛期ルネサンス文化の記録として"

(3)"特殊な宗教的態度の記録として理解しようとするとき"

(4)"「何か別のもの」の一そう特殊化された証拠として解釈しようとする"

p.9 l.1-4 "これらの「象徴的価値」…(中略)…を発見し解釈することが、われわれが、「深い意味におけるイコノグラフィー」と呼ぶにふさわしいものの目的なのであるが、これは分析としてよりも総合として生じる解釈方法なのである。"

p.9 l.5 "〔改訂版では「深い意味におけるイコノグラフィー」「イコノロジー」なる語に変えられている。〕"

『イコノロジー研究』 序論 p.19





I 第一段階的
自然主義的主題
 (A)事実的主題
 (B)表現的主題
美術上のモティーフの世界を構成
 

II 第二段階的
伝習的主題


「イメージ・物語・寓意」の世界を構成
 
III 内的意味・内容



「『象徴的』価値」の世界を構成
 




イコノグラフィー以前の記述
(擬似的な形の分析)
 
イコノグラフィー上の分析

 
イコノロジーによる解釈

 




実際的経験
「対象・出来事」への精通

 
文献資料による知識
「テーマ・概念」への精通

 
総合的「直観」
「人間精神の本質的傾向」への精通
個人の心理と「世界観」によって左右される
 






「様式」の歴史
「対象・出来事」が変化する歴史的状況下で「形」によって表現される方式に対する洞察
 
「類型」の歴史
歴史的状況下で「対象・出来事」によって表現される方式に対する洞察
 
「文化的徴候、<象徴>」の歴史
「人間精神の本質的傾向」が変化する歴史的状況下で特殊な「テーマ・概念」によって表現される方式に対する洞察
 

*本表は、『イコノロジー研究』、p.19の表を簡略化したもの。


パノフスキーへの反駁

 スヴェトラーナ・アルパース『描写の芸術』、幸福輝訳、ありな書房、1993年、pp.22-24

p.22 "「実質的にイタリアで制作された作品だけが真実の絵と呼べるのであり、それゆえにこそ、われわれは優れた絵をイタリア絵画と呼ぶのである」。"

p.23 "イタリア的偏見は今日もなお多くの美術史の著作にはっきりと見いだすことができる。"

p.23 "私の意見では、これはいくらかはパノフスキーの研究が牽引していった結果にほかならない。"

p.23 "パノフスキーのデューラー論においては《芝草》を描く描写的な芸術家としてのデューラーよりも裸体を描き遠近法にとりくむデューラーが好まれたのである。"

デューラー《大芝草》 1503 素描 41×31.5cm ウィーン、アルベルティーナ *パノフスキー『デューラー』、図版135a
デューラー《メランコリア I》 1514 銅版画 24.3×18.7cm

p.24 "そのイタリア的偏見にもかかわらず、パノフスキーの分析においては、表層としての表象と深層としての意味との間に均衡が保たれていることが多い。しかし近年、オランダ美術をエンブレムのように見る解釈が集中的に生まれるにおよび、こうした微妙な均衡は瓦解したのである。"

p.24 "図像学者はオランダ写実主義を外観だけの写実主義(schijnrealisme)であると結論づけるにいたった。"

p.24 "…こうした「芸術に関する透明な見解」は決して適切なものではないだろう。"

p.24 "…本書で論じられるように、北方のイメージは意味を隠したり、あるいはそれを表層の下に追いこんで見えにくくしたりはしない。むしろ、たとえ眼がとらえるものがどんなにあてにならぬものであったとしても、意味は眼がとらえるもののうちに必然的に宿るということを北方のイメージは示しているからである。☆17"

☆17 …図像学および図像解釈学についての示唆に富む論考で、パノフスキーは明らかにこの問題を避けている。彼は帽子をとって挨拶する友人との通りでの出会いという単純な例をもって議論を始める。ある形象と色彩からなるものを男と認定でき、その男がある心的状態にあることを感知することは、パノフスキーによれば第一段階の自然な意味とみなされる。けれども、彼が挨拶をしているということを理解するのは第二の慣習的、あるいは図像学的意味である。ここまでの論述で、われわれが相手にしているのは現実の世界である。パノフスキーの方法は、日常生活から得られるこのような分析を、次にそのまま芸術作品に適用することにある。それゆえ、われわれの目の前にあるのはいまや帽子をあげている男ではなく、帽子をあげている男を描いた絵なのである。男がそこにいるのではなく、絵画の中に表象されているのだということをパノフスキーは無視している。どのような方法で、どのような条件で男はカンヴァスという表層に描かれているのか。必要なのは、そして美術史家に欠けているのは、表象についての概念である。…(後略)