美術史2004


7. 美術史学の拡散

三浦篤「西洋美術史学の方法と歴史」、高階秀爾、三浦篤編『西洋美術史ハンドブック』、新書館、1997年6月、pp.208-209.

H イコノロジーの波及と各国の美術史学

p.208 l.1. "…イコノロジーは美術史学の方法論として一大勢力を形成していった。"

エドガー・ヴィント、フリッツ・ザクスル、ルドルフ・ウィトカウアー

p.208 l.16-17. "様式論にせよ、イコノロジーにせよ、美術史学の歴史は主としてドイツとオーストリアの学者たちによって牽引されてきた。"

イギリス:ハーバート・リード、ケネス・クラーク

フランス:ユルギス・バルトルシャイテス、アンドレ・シャステル

ポーランド:ヤン・ビヤオロストツキ


参考図書

エドガー・ウィント(1900-1973)

フリッツ・ザクスル(1890-1948)

ルドルフ・ウィトカウアー(1901-1971)

ハーバート・リード(1893-1968)

ケネス・クラーク(Clark, Kenneth1903-1983)

ケネス・クラーク『芸術と文明』(叢書ウニベルシタス69)、河野徹訳、法政大学出版局、2003年(新装版)

ケネス・クラーク『芸術と文明』(叢書ウニベルシタス69)、河野徹訳、法政大学出版局、1975年

ケネス・クラーク『絵画の見かた』(白水Uブックス 1066)、高階秀爾訳、白水社、2003年

ケネス・クラーク『絵画の見かた』、高階秀爾訳、白水社、1977年

ケネス・クラーク『レンブラントとイタリア・ルネサンス』(叢書ウニベルシタス 368)、尾崎彰宏、芳野明訳、法政大学出版局、1992年

ケネス・クラーク『名画とは何か』(白水社アートコレクション)、富士川義之訳、白水社、1985年

ケネス・クラーク『視覚の瞬間』(叢書ウニベルシタス 142)、北條文緒訳、法政大学出版局、 1984年

ケネス・クラーク『レオナルド・ダ・ヴィンチ 芸術家としての発展の物語』(叢書ウニベルシタス 106)、丸山修吉、大河内賢治訳、法政大学出版局、1981年(第2版)

ケネス・クラーク『レオナルド・ダ・ヴィンチ 芸術家としての彼の発展の物語』(叢書ウニベルシタス)、加茂儀一訳、法政大学出版局、1974年

ユルギス・バルトルシャイテス(1903-1988)

アンドレ・シャステル(1912-1990)

ヤン・ビヤオロストッキ(1921-1988)

オットー・ペヒト(1902-1988)


ケネス・クラーク『ザ・ヌード 裸体芸術論』、高階秀爾、佐々木英也訳、1971年、pp.17-24.

"ヌード"は十八世紀初頭の発明

p.17 "英語は、その巧緻で幅の広い語彙でもって、はだか(naked)と裸体像(nude)を区別している"

p.17 "はだかであるとは…(中略)…当惑の意が幾分か含まれている。"

p.17 "これに対して裸体像という語は、…(中略)…均整のとれた、すこやかな、自信に満ちた肉体、再構成された肉体のイメージである。"

p.17 "実を言えばこの言葉は十八世紀初頭の批評家たちが、芸術的教養を欠くこの島国の住民に、…(中略)…はだかの人体がつねに芸術の中心主題となっていることを納得させるために、わがイギリスの語彙に強いて加えたものである。"

p.17 "裸体が芸術の中心主題であると信ずべき根拠なら山ほどある。"

ディエゴ・ベラスケス《鏡を見るヴィーナス(ロークビーのヴィーナス)》、1648年 、122.5×175.0cm、ロンドン、ナショナル・ギャラリー

サー・ジョシュア・レイノルズ《サイモンとイフィジェニア》(Joshua Reynolds, 《Cymon and Iphigenia》)

参考図版
 パブロ・ピカソ《海辺を走る二人の女(駆けっこ)》、1922年、グアッシュ・板、32.5×41.1cm、パリ 、ピカソ美術館
 ヘンリー・ムーア《横たわる人物 アーチ型の足》、1969年(鋳造:1972年)、ブロンズ、サンディエゴ美術館/Source: San Diego Museum of Art / Modern Art / Reclining Figure: Arch Leg
 

"裸体像"は紀元前五世紀の発明

p.19 "…ちょうどオペラが十七世紀イタリアで発明された芸術形式であるように、裸体像とは紀元前五世紀にギリシャ人が発明した芸術形式であったという、簡明な答えを思いつかせる。こうした断定はあまりに唐突にみえるかもしれないが、裸体像とは芸術の主題ではなく芸術の一形式であることを強調する上で有益であろう。"

そのままの肉体は美しくない

pp.19-20 "肉体というものは虎とか雪景色と違って、正確に写してそのまま芸術となれるような主題ではない。"

p.20 "はだかの人体の集団はわれわれを動かして感情移入に赴かせず、幻滅と狼狽を感じさせる。"

p.20 "長い習慣からわれわれははだかの人体を生きた有機体ではなくひとつの意匠と見做している。"

裸体像=人類の永遠化に対する憧れ

pp.22-23 "人体とはわれわれ自身なのであり、われわれ自身に関してこうしたいと願っていることの、すべての記憶を喚び起こす。そしてわれわれは何よりもまず、自分自身の永遠化を希求しているのである。"

p.23 "…芸術作品がエロティックな内容を溶解して収容し得る限界量は非常に大きい。十世紀のインドの寺院彫刻は肉体的欲望のあからさまな昂揚であるが、そのエロティシズムが彫刻の表す哲学全体とかかわっているため、偉大な芸術作品なのである。"

「裸体像=芸術」は普遍的ではない

pp.23-24 "そしてこれらを見事に具現した作品を目のあたりにすると、裸体像とは普遍的で永遠な価値をもつ表現手段であるかのように思われるにちがいない。だが実際そうでないことは歴史が示す通りであり、場所的にも時間的にも狭く限られている。"

p.24 "はだかの身体を観照に値するまじめな主題としてただそれ故に提示するという考えは、シナ人とか日本人の心には思い浮かばなかったし、…(後略)。"

p.24 "地中海の波の洗う国々においてのみ、裸体像は身近な存在であった。"