芸術論特殊講義2004


国際美術展の歴史(1)

事前配布プリント

市原研太郎、長谷川祐子、建畠晢(座談会)「グローバル・アートの行方 二〇〇〇年代の現代美術を考える」、『美術手帖』847号、2004年4月号、233-248頁。


VIDEO上映

「現代美術一日大学」(約24分)、『キュレーター:ヤン・フート』(60分)、制作・販売:イッシプレス、協力:… on Sundays

「視覚の裏側」展 0:00:00-0:20:00

「現代美術一日大学」 0:20:00-0:44:00

「現代美術と街空間」 0:44:00-0:50:00

「ドクメンタ9の構想」 0:50:00-1:00:00

 ※カウンター値はおおよその数字


1990年以降の国際美術展

※下表にはデータのわかっているもののみリスト化した。各展覧会は、開催回の少ないものを上位に、新設を薄青色で示した。

1990年

 第8回シドニー・ビエンナーレ
 第44回ヴェネツィア・ビエンナーレ

1991年

 第1回リヨン・ビエンナーレ
 第4回ハバナ・ビエンナーレ
 第21回サンパウロ・ビエンナーレ

1992年

 第3回イスタンブール・ビエンナーレ
 ドクメンタ9
 第9回シドニー・ビエンナーレ

1993年

 第1回アジア・パシフィック現代美術トリエンナーレ
 第45回ヴェネツィア・ビエンナーレ

1994年

 第1回アート・フォーカス
 第4回アジア美術展
 第5回ハバナ・ビエンナーレ
 第22回サンパウロ・ビエンナーレ

1995年

 第1回光州ビエンナーレ
 第1回ヨハネスブルグ・ビエンナーレ(第2回展で中止)
 第4回イスタンブール・ビエンナーレ
 第46回ヴェネツィア・ビエンナーレ(100周年記念)

1996年

 第1回上海ビエンナーレ
 マニフェスタ1
 第2回アジア・パシフィック現代美術トリエンナーレ
 第10回シドニー・ビエンナーレ
 第23回サンパウロ・ビエンナーレ

1997年

 第2回光州ビエンナーレ
 第3回ミュンスター彫刻プロジェクト
 第5回イスタンブール・ビエンナーレ
 第5回リヨン・ビエンナーレ

 第6回ハバナ・ビエンナーレ
 ドクメンタ10
 第47回ヴェネツィア・ビエンナーレ

1998年

 第1回ベルリン・ビエンナーレ
 第1回モントリオール・ビエンナーレ
 第2回上海ビエンナーレ
 第3回ダカール
 第11回シドニー・ビエンナーレ
 第24回サンパウロ・ビエンナーレ

1999年

 第1回福岡アジア美術トリエンナーレ
 第1回メルボルン・ビエンナーレ
 第1回リバプール・ビエンナーレ
 第3回アジア・パシフィック現代美術トリエンナーレ
 第6回イスタンブール・ビエンナーレ
 第48回ヴェネツィア・ビエンナーレ(20世紀最後)

2000年

 第1回越後妻有アート・トリエンナーレ
 第1回台北ビエンナーレ

 第2回モントリオール・ビエンナーレ
 第3回光州ビエンナーレ
 第3回上海ビエンナーレ
 第4回ダカール
 第6回リヨン・ビエンナーレ
 第7回ハバナ・ビエンナーレ
 第12回シドニー・ビエンナーレ

2001年

 第1回横浜トリエンナーレ
 第2回ベルリン・ビエンナーレ
 第7回イスタンブール・ビエンナーレ
 第49回ヴェネツィア・ビエンナーレ(21世紀最初)

2002年

 釜山ビエンナーレ2002
 第2回福岡アジア美術トリエンナーレ
 
第2回台北ビエンナーレ
 第3回モントリオール・ビエンナーレ
 第4回光州ビエンナーレ
 第4回上海ビエンナーレ
 マニフェスタ4
 第5回ダカール
 ドクメンタ11

 第13回シドニー・ビエンナーレ
 第25回サンパウロ・ビエンナーレ

2003年

 第1回北京ビエンナーレ
 第1回プラハ・ビエンナーレ

 第2回越後妻有アート・トリエンナーレ
 第7回リヨン・ビエンナーレ
 第8回イスタンブール・ビエンナーレ
 第8回ハバナ・ビエンナーレ
 第50回ヴェネツィア・ビエンナーレ

2004年

 第1回セビーリャ・ビエンナーレ
 ウッチ・ビエンナーレ
 釜山ビエンナーレ 2004
 第3回台北ビエンナーレ
 第3回ベルリン・ビエンナーレ
 第3回リバプール・ビエンナーレ
 第4回モントリオール・ビエンナーレ
 マニフェスタ5
 第5回光州ビエンナーレ
 第5回上海ビエンナーレ
 第6回ダカール
 第8回クエンカ・ビエンナーレ
 第11回バングラデッシュ・ビエンナーレ
 ポリ/グラフィカ・トリエンナーレ
 第14回シドニー・ビエンナーレ
 第26回サンパウロ・ビエンナーレ

90年代新設ラッシュ

p.105 "私自身が正確な数字を把握しているわけではありませんが、世界各地で開催されているビエンナーレやトリエンナーレ形式の国際現代美術展の数は、聞くところでは百をかなり上回っているようです。とりわけ1990年代以降に大規模な国際展の創設ラッシュともいうべき状況が続いており、主だったものを挙げただけでも…"

建畠晢「トロイの木馬? ―国際展におけるマルチカルチュラリズム」、『国際シンポジウム2002「流動するアジア―表象とアイディンティティ」報告書』、国際交流基金アジアセンター、2003年3月


サイト紹介

アジア・パシフィック現代美術トリエンナーレ Asia-Pacific Triennial of Contemporary Art 2002

イスタンブール・ビエンナーレ Istanbul Foundation for Culture and Arts

インド・トリエンナーレ Triennale India

ヴェネツィア・ビエンナーレ La Biennale di Venezia

ウッチ・ビエンナーレ Łódź Biennale

越後妻有アート・トリエンナーレ Echigo-Tsumari Art Triennial 2003

クエンカ・ビエンナーレ La Bienal Internacional de Pintura de Cuenca, Ecuador

光州ビエンナーレ 5th Gwangju Biennial

サンパウロ・ビエンナーレ Bienal de São Paulo

シドニー・ビエンナーレ Biennale of Sydney

上海ビエンナーレ Shanghai Biennale 2002(上海双年展)

セヴィーリャ・ビエンナーレ I Bienal Internacional de Arte Contemporáneo de Sevilla(I BIACS)

台北ビエンナーレ 2004 Taipei Biennial(台北雙年展)

ダカール―アフリカ現代美術ビエンナーレ Dak’Art, la Biennale de l’art africain contemporain

ドクメンタ Documenta

ハバナ・ビエンナーレ Bienal de la Habana

バングラデッシュ・ビエンナーレ Asian Art Biennale Bangladesh

福岡アジア美術トリエンナーレ The 2nd Fukuoka Triennale

釜山ビエンナーレ Busan Biennale

プラハ・ビエンナーレ Prague Biennale

ベルリン・ビエンナーレ Berlin Biennale

マニフェスタ Manifesta 5

モントリオール・ビエンナーレ Biennale de Montréal

リバプール・ビエンナーレ Liverpool Biennial

横浜トリエンナーレ Yokohama Triennale 2001


講義ノート

市原研太郎、長谷川祐子、建畠晢「グローバル・アートの行方 二〇〇〇年代の現代美術を考える」

開かれた多様性のなかから
<9・11>以前・以後
「リアルなもの」の露出
ポスト・ユートピア ひとつの「大きな物語」から無数の「小さな物語」へ?
グローバリゼーションと国際展の問題
二〇〇〇年代のアートシーン 日本と海外
二十一世紀のアートの可能性

開かれた多様性のなかから

市原"前回ももちろんそうした傾向はすでにありましたが、少なくとも半分くらいは、選者の間でも「登場するべき作家」としてコンセンサスがとれるような人選だったといえると思いますね。…(中略)…案の定というか、各選者のセレクションを見ると、ほとんど互いに重複していません。世紀末以降の現代美術の状況を考えれば、このように開かれた多様性カオスに近いような結果にならざるをえないのでしょう。"

"個々のアーティストの視点だけでなく、キュレーターや評論家のレベルにおいても、現代美術を相対的に見ようとするさまざまな視点が存在するという状況だと思います。"

長谷川"二〇〇三年のヴェネツィアの話が出ましたが、あそこでオリヴァー・ペイン&ニック・レルフの《ミクスト・テープ》というビデオ作品が賞を受けましたが、自分の好きな曲だけを集めたミクスト・テープ的な現象が、いたるところで起こっているという印象があります。"

"これらの映像作品は、たとえば九〇年代のマシュー・バーニーやダグ・エイケンなどのように、突出して新しいスタイルのプロポーザルをするものが少なくなって、代わりに、それぞれにある程度質は高いが、わずかな差異を競う均質的なものが多いという印象があります。"

"それから、もうひとつ気になるのは、従来の美術教育におけるアートの学習の範囲だけでは限界があるところに来ているのではないかということですね。"

"今回の私のセレクションには建築家やファッション・デザイナーも入っていますが、…(中略)…それは彼らがふだんマスを相手にしているからということではなく、広範囲のスタディーを行えるキャパシティーをもっていることから来る力なのではないかと感じます。"

"…クロスジャンル的な動向は、今後もますます増えるでしょうが、その一方で、問題は、作家一人ひとりがどれだけ統合的な力強いベースをもてるかにかかってくると思います。"

 (講師による注記)

国際美術展は大量の観客動員を見込んだアート・イベントとしての性格が強い(2003年のヴェネツィア・ビエンナーレで約26万人で前2001年の17%増しという)。そうした展覧会に、より多くの観客にアピールする作家が望まれるのは理。「広範囲」で「統合的」な力が作家に求められている様子の背景には、キュレーターも国際美術展の主催者も、そして普段には美術館さえもが、この「大量の観客」という要請に突き動かされている様子が透けて見える。

<9・11>以前・以後 「リアルなもの」の露出

建畠"スペクタクル系のアートが試練を迎えているということに関しては、僕も同様なことを感じています。…(中略)…この事態と<9・11>とはおそらくかかわっているでしょう。あのテレビの映像というのは最大のスペクタクルだったわけです。<9・11>を戦争だとブッシュは宣言しましたが、だとしたら、戦争は最大のスペクタクルを提供して、病理的な公共圏が形成されていくことになる。そのシンボルとしてテロの映像があるとすれば、われわれはもうスペクタクルをつくれないとすら、感じざるをえない。"

長谷川"私は実際のところ、アートにおけるビジュアル的なインパクトというか、スペクタクル系のアートの力をかなり評価しているんです、それは、アートがアートというコンセンサスのなかで生き延びて行くのに必要な、必須アミノ酸のようなものだと思うから。"

市原"…<9・11>の結果現れたように見える現象はすでに用意されていた部分もある。ただ、<9・11>という事件は、この九〇年代に捉えられていた現実も、まさに表層の現実でしかなかったような、そんな印象さえ受けるような大きな出来事だった気がします。「リアルなものの露出」としての<9・11>の影響は、おそらくこれから、より若い世代の作品のなかから、本格的に出てくるのではないでしょうか。"

建畠"<9・11>以前のアートシーンでは、一言でいえば、マルチ・カルチュラリズム(多文化主義)に対する広範囲の合意が形成されていた。それは今でも続いていますが、<9・11>からイラク戦争にいたる過程には、ユニ・ラテラリズム(一国主義/単独行動主義)がマルチ・カルチュラリズムの背後に厳然と控えていた。"

"たしかにドキュメンタリーは、<9・11>以降のアートの可能性のひとつでしょうね。"

ポスト・ユートピア ひとつの「大きな物語」から無数の「小さな物語」へ?

建畠"ただ、ポスト・ユートピアというのは、ユートピアに対する一種の批評ですよね。…(中略)…このグローバリズムの流れのなかで中南米や東欧、アジアや日本もそうでしょうが、そうした地域の美術がもてはやされてきたのは、想定される「中心」とは違う「特殊な場所」「周縁」という意識のためだったと思うんですね。大きな意味では、それはなんらかの「中心」を想定した「アンチ」の思想なんじゃないか。たとえば、「大きな物語」が終わって「小さな物語」が無数に戯れているという状況は、たしかにそうだと思うけれど、その背後には、さきほどいったアメリカによるユニ・ラテラリズムが存在している。「大きな物語」が終わったというのも、ひょっとしたら「大きな物語」の一部ではないか、というパラドックスもあるんじゃないだろうか。"

市原"ユニ・ラテラリズムの問題は、おそらく、アメリカ帝国主義に特定の問題であって、その帝国主義をこれまで支えてきたイデオロギー的な「大きな物語」が通用しなくなっているにもかかわらず、それを認めないで、力の論理で暴虐的な行為を世界に対して押しとおそうとしている。"

(講師による注記)

アメリカ帝国主義が現在、世界に対して押しとおそうとしている力の論理による暴虐行為は、「大きな物語」が崩壊する以前ですら、通用させられるものではない。もちろん日本の自衛隊の国際協力を名目とした派兵も同じ。米軍によるイラク占領統治のための援軍は、自衛権の行使ではない。米軍は「戦争終結」後も「掃討作戦」と称して、 自国の利益追求のために、自らが保持する圧倒的な軍事力を行使し、他国の人々を殺戮し続けている。人の命を「掃討する」とはいかにも非人格化された表現である。

グローバリゼーションと国際展の問題

BT"…基本的には複製可能なメディアでないケースを占めるアートの場合、現実には、世界中を回ってその作品を見られる人というのはひじょうに限られています。九〇年代からすでに、国境をまたいで移動しつづけるキュレーターや批評家の活躍が目覚しくなってきていましたが、リサーチしつづけるのもたいへん困難な作業だと思います。"

市原"それでは、マルチ・カルチュラリズムのピークはいつだったのかといえば、やはり、二〇〇二年のドクメンタ(カッセル、ドイツ/アーティスティック・ディレクター=オクウィ・エンヴェゾー)だったのではないでしょうか。そしてその文脈で語れば、さきに触れた二〇〇三年のヴェネツィア・ビエンナーレは、ある種の解体という印象ももちます。"

"…終焉はしてもストップはしない。少なくともわれわれの過去十年間のベースを形成したマルチ・カルチュラリズムというひとつの大きな流れは、まだしばらくは続くだろうし、徐々に変化していく方向に向かうことになるのではないかと思います。"

建畠"…ひとりのキュレーター行える調査の範囲には限界があるから、各地域とのコラボレーションが重要になってきているんだと感じますね。"

 (講師による注記)

アーティストが消費されるばかりでなく、キュレーターも消費される時代が来た。国際美術展では、これまでに「知られていない」アーティストが紹介されることがひとつの意義のようになってきている。これは即ち、アーティストがある地域の国際展に招待されれば、そのアーティストは、同じ地域のほかの国際展に招待されるチャンスが、以前と比べて極めて少なくなったということである(同じ国際展に連続して招待される可能性は昔から低い)。同じく、国際展は「誰が」キュレーションしたか、ということも大事な「情報=消費の対象」なので、キュレーターも同じ地域で活躍し続けることはできない。キュレーターもアーティストも、ちょうど「キャラバン」が街から街へと移動を続けるように、ヨーロッパからアメリカへ、アジアへ、アフリカへと、このグローブ上を移動し続ける。

長谷川"けっきょくは、展覧会をとおして見せていくことの連続でしかない。あるいは、こうして『美術手帖』のような雑誌で特集するとか、テキストや写真で紹介する。そこにAさんのフィルター、Bさん、Cさんのフィルターと、いろんなフィルターがかかってくる。見た人がつまらないと判断すれば、淘汰されていくでしょうし、オープンな構造をつくって、見せる機会を増やしていくことがなにより大切だと思います。"

二〇〇〇年代のアートシーン 日本と海外

長谷川"むしろマルティチュード的なものを可能性としてより感じさせるのは、建築、ファッション、デザインの人たちの仕事ですね。私が金沢の仕事をごいっしょさせていただいているSANAをはじめとして、アトリエ・ワン、みかんぐみなど、リサーチベースの人たちの仕事。笹口数さんも建築がバックグラウンドでしたね。津村耕佑さんやイッセイミヤケさんほか、名前を挙げきれませんが。市原さんもおっしゃったとおり、日本はファイン・アートが特権的な位置を占めておらず、ジャンルが水平構造になっていますから、クロスボーダーなクリエーションが生まれやすいし、アート・プロジェクトのなかに入ってきやすいですね。"

二十一世紀のアートの可能性

建畠"ただ私には"振り返る"未来というか、おそらく時代錯誤と見なされるかもしれないけれど、ひとつ期待していること、夢があります。古めかしい言葉ですが、エピック(叙事詩)の復権という夢です。"

市原"…活動の結果としての作品つまり「物」ではなくて、それが発生する過程、あるいはその行為自体を重要視するような方向にアートが向かうのではないかという予測と期待があります。"

"そして、アーティストであれ、あるいは一般の人でもいいんですが、その人がどういう人でどういう活動をしているのか、その意図はなんなのかということ、それらすべてを含めて、表現としての作品を評価して活かしていくような価値のシステムが要請されていると思いますね。"