芸術論特殊講義2004


国際美術展の歴史(2)

VIDEO上映

『ドクメンタ9』(56分)、制作・販売:イッシプレス、和多利浩一、協力:ワタリウム美術館、… on Sundays

0:00:00-0:09:30 ボロフスキー〜ジミー・ダーハム

0:15:30-0:25:30 ヤン・フートのコメント〜舟越桂

 ※カウンター値はおおよその数字

ドクメンタ9

「ドクメンタ」は、ドイツ、カッセルで1955年以来、ほぼ5年おきに開催されてきた国際現代美術展。ヴェネツィア・ビエンナーレと双璧をなす。

展覧会構成:188作家、約1,000点。

総監督:ヤン・フート

会期:1992年6月13日〜9月20日


ドクメンタの歴史

 カッセルの画家でデザイナー、建築家であったアーノルト・ボーデ設立による「二十世紀西洋美術協会」を基礎に、連邦ガーデンショーの付随行事として創設。

 ◆Documenta 1 1955

 1905年から55年までの148作家、570作品(絵画、彫刻)を展示。6カ国が参加。ボーデを含む5名の作業委員。キュビスム、表現主義、未来派、新即物主義、構成主義を中心に。8週間で13万人を動員。

出品作品

 ◆Documenta 2 1959

 カッセル市とヘッセン州を代表に「ドクメンタ有限会社」設立。会期が100日間になる。326作家、1,770作品を展示。23カ国が参加。ヨーロッパの近代絵画に加え、ジャクソン・ポロックなどアメリカの抽象表現主義を紹介。絵画・彫刻、版画の各委員会を、ギャラリスト、美術史学者、作家など11名で構成。13万7,000人を動員。

出品作品

 ◆Documenta 3 1964

 280作家、1,414点。21カ国が参加。ヨーゼフ・ボイスが初参加。キネティック・アート、オプ・アートを紹介。美術館からの脱却の試み。明確なテーマを設定、作品と展示空間との関係に重点。絵画・彫刻委員15名、デッサン委員5名。20万人を動員。

出品作品

 ◆Documenta 4 1968

 152作家、約1,000点。17カ国が参加。現代美術にテーマを絞る。ポップ・アート、ミニマル・アートが中心。美術史学者、作家、政治家など26名からなるドクメンタ委員会。22万人を動員。

出品作品

 ◆Documenta 5 1972

 180作家。フォトリアリズム、スーパーリアリズムを紹介。芸術総監督にハロルド・ゼーマン。ほか3名の作業チームと14のテーマ、セクションに分かれた17名のスタッフを組織。23万人を動員。

出品作品

 ◆Documenta 6 1977

 492作家、約1,400点。「メディア批判」をテーマに、ヴィデオ・アート、パフォーマンスに重点を置いた。総監督にマンフレート・シュネッケンブルガー。8名のドクメンタ・コミッティ。35万5,000人を動員。

出品作品

 ◆Documenta 7 1982

 167作家、約1000点。ニュー・ペインティングを紹介。屋外での大規模インスタレーションも。ボイス《7,000本の樫の木》。総監督にルディ・フックス。ジェルマーノ・チェラントなど4名からなる芸術諮問委員会。38万人を動員。

出品作品

 ◆Documenta 8 1987

 159作家(パフォーマンス等を含めると412作家)、約1,700点。24カ国が参加。総監督にマンフレート・シュネッケンブルガー。アルミン・ツヴァイテ、エドワード・フライら5名からなる芸術諮問委員会。「パフォーマンス」、「ヴィデオ」、「オーディオ」、「デザイン」、「理想の美術館」の各分野に企画主任。ヴィデオ特別委員会を設置。47万6,000人を動員。

出品作品

 ◆Documenta 9 1992

 188作家、約1,000点。総監督にヤン・フート。バート・デ・パール、ピエロ・ルイジ・タッツィ、デニス・ザカロプロスら3名からなるチーム。会期前の記者会見、発表など広報活動に力を注ぐ。半期50日間で28万人を動員。

出品作品

 ◆Documenta 10 1997

芸術監督に初の女性、カトリーヌ・ダヴィッド。テーマは「遠近法的回顧(レトロパースペクティヴ)」と「グローバリゼーション」。

 ◆Documenta 11 2002

ナイジェリア出身のオクウィ・エンヴェゾーを芸術監督に向かえ、さらに6人の 共同キュレーターとのチーム制で展覧会を企画運営。テーマに「グローバリゼーション」、「文化多元主義」、「ポスト植民地主義」の時代の芸術、「脱領域化された文化理解 」を掲げた。65万人を動員。

出品作品


ヴェネツィア・ビエンナーレの歴史

100年以上の歴史

 1.国王夫妻の銀婚式記念の一環として始まる

p.26 "イタリア国王、ウンベルト一世とマルゲリータ王妃の銀婚式を記念して、ヴェネチア市議会は1893年、ヴェネチア市が人道的、文化的に貢献すべきであることを決議し、その一環として国際美術展の開催が決められたという。 その後2年の準備期間を経て、国王夫妻が開会式に出席し、1895年に始まったヴェネチア・ビエンナーレは…(後略)。"

逢坂恵理子「ヴェネチア・ビエンナーレと12人を巡って」、『12人の挑戦―大観から日比野まで』、茨城新聞社、2002年11月

 2.美術評論家たちのカフェ談義から始まる

p.16 "ヴェネチア・ビエンナーレのそもそもは、ヴェネチアの有名なサン・マルコ広場のフロリアンというカフェで、当時の美術評論家が話し合って、世界中の美術作品を集める大展覧会を目論んだのが発端だったといわれる。その背景には、19世紀に全盛になった世界博覧会の流れがあった。"

南條史生「体験としてのヴェネチア・ビエンナーレ」、『12人の挑戦―大観から日比野まで』、茨城新聞社、2002年11月