芸術論特殊講義2004
◆●日本の参加・開催の経緯●◆
◆ヴェネツィア・ビエンナーレ参加の経緯◆
参考図書
『12人の挑戦―大観から日比野まで』、茨城新聞社、2002年11月
針生一郎「ヴェネチア・ビエンナーレ日本参加史から」、8-15頁。
南條史生「体験としてのヴェネチア・ビエンナーレ」、16-24頁。
逢坂恵理子「ヴェネチア・ビエンナーレと12人を巡って」、26-32頁。
「日本公式参加の歩み」、153-205頁、ほか石井元章『ヴェネツィアと日本―美術をめぐる交流』、ブリュッケ、1999年*
『ヴェネツィア・ビエンナーレ―日本参加の40年』、国際交流基金、毎日新聞社、1995年
矢口國夫「日本とヴェネチア・ビエンナーレ」
<ヴェネチア・ビエンナーレを通して見る日本の美術>
針生一郎「1952-68年」
谷新「1970-84年」
建畠晢「1986-93年」
「日本・出品の記録 1952-93年」
「アペルトほか企画展へ出品の日本人作家」
南條史生「パビリオンを越えて―拡がる日本の現代美術:アペルト他の企画展」
嘉門安雄、酒井忠康、中原佑介「日本とヴェネチア・ビエンナーレ―過去から未来へ」(座談会)
「ヴェネチア・ビエンナーレの歴史」
中島理壽編「文献目録」
「出品作家索引」
公式参加は1952年から
1月、ブリヂストン美術館開館、『美術批評』発刊
4月、第2回ルガーノ国際版画展(スイス)で棟方志功と駒井哲郎入賞。
5月、第1回日本国際美術展開催(毎日新聞社主催、会場:東京都美術館)
12月、国立近代美術館(京橋)開館
→戦後の混乱期からの脱出、国際社会への視線
「公式参加まで」、『12人の挑戦―大観から日比野まで』、茨城新聞社、2002年、154頁。
1956年日本館建設
ブリヂストン会長の石橋正二郎による寄付
吉阪隆正設計
伝統美術→現代美術
1987(明治30)年の第2回展に、絵画35点、工芸69点の計104点を出品
"「ヴェネツィア・ビエンナーレは、同時代美術の発達を検証することがその主な目的であるから、当代作家作品の展示が大前提となる。しかしながら、イタリア人に馴染みの薄い日本美術に関しては、同時にその過去における流れも展示したいという希望が企画委員会のなかで具体化していたことは注目に値する」。このようなイタリア側の意向は、「ビエンナーレは『絵画、彫刻、版画、素描』のみに出展を許可する純粋美術の展覧会であるが、日本の部のみはその例外として『装飾美術品』の展示を認めようというもの」であった。"
「公式参加まで」、『12人の挑戦―大観から日比野まで』、茨城新聞社、2002年、155頁。
グループ展→個展?
"すると当時の国際交流基金の責任者は「われわれは税金で運営しているので、出品作家一人では主観的に片寄りすぎて困る」と答えた。"
針生一郎「ヴェネチア・ビエンナーレ日本参加史から」、『12人の挑戦―大観から日比野まで』、茨城新聞社、2002年、15頁。
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1988年 戸谷成雄、植松奎二、舟越桂
1990年 村岡三郎、遠藤利克
1993年 草間彌生
1995年 崔在銀、千住博、河口洋一郎、日比野克彦
1997年 内藤礼
1999年 宮島達男、「時の蘇生」柿の木プロジェクト実行委員会
2001年 中村政人、畠山直哉、藤本由紀夫
2003年 小谷元彦、曽根裕
◆開催の経緯◆
1999年 福岡アジア美術トリエンナーレ
2000年 越後妻有アート・トリエンナーレ
2001年 横浜トリエンナーレ Yokohama Triennale 2001
2002年 福岡アジア美術トリエンナーレ The 2nd Fukuoka Triennale
2003年 越後妻有アート・トリエンナーレ Echigo-Tsumari Art Triennial 2003
2004年 ―
2005年 横浜トリエンナーレ YOKOHAMA 2005
福岡アジア美術トリエンナーレ(予定)
2006年 越後妻有アート・トリエンナーレ(予定)