芸術論特殊講義2004
◆●ヴェネツィア・ビエンナーレ紹介●◆
●コスト比較
第50回ヴェネツィア・ビエンナーレ 820万ユーロ(収入500万ユーロ)
マニフェスタ5 200万ユーロ
横浜トリエンナーレ2001 約6億円
●入場者数
第50回ヴェネツィア・ビエンナーレ 260,103人
ドクメンタ11 650,000人
横浜トリエンナーレ2001 350,000人
第50回ヴェネツィア・ビエンナーレ 6/15-11/2/2003
全体テーマと10の企画展
1.全体テーマ
ジェネラル・コミッショナー:フランチェスコ・ボナーミ
「複数の対話が発生しうる多様性と矛盾を内包した展示空間を目指した」
タイトル:夢と葛藤(Dreams and Conflicts)
サブ・テーマ:観客の専制(The Dictatorship of the Viewer)
2.企画展10
ジャルディーニ
1.「遅延と革命」/フランチェスコ・ボナーミ、ダニエル・バーンバウム
2.「ゾーン」/マッシミリアーノ・ジオーニ
アルセナーレ
1.「秘密の行為」/フランチェスコ・ボナーミ
2.「分断線―現代アフリカン・アート、移り変わる風景」/ギラン・タワドロス
3.「個人的なシステム」/イゴール・ゼイベル
4.「緊急ゾーン」/ホウ・ハンルゥ
5.「生存の構造」/カルロス・バシュアルド
6.「現代アラブの表象」/カトリーヌ・ダヴィッド
7.「日常の変容」/ガブリエル・オロツコ
8.「ユートピア・ステーション」/モリー・ネズビット、ハンス=ウルリッヒ・オブリスト、リクリット・ティラバーニャ
参加国
◆ジャルディーニ(32ヵ国)
イタリア | オランダ | ベルギー | スペイン | スイス |
ロシア | 日本 | 韓国 | ドイツ | カナダ |
イギリス | フランス | オーストラリア | チェコ | スロヴァキア |
ウルグアイ | スウェーデン | ノルウェー | フィンランド | デンマーク |
アメリカ合衆国 | イスラエル | ハンガリー | アイスランド | ブラジル |
オーストリア | セルヴィア・モンテネグロ | エジプト | ポーランド | ルーマニア |
ギリシア | (ヴェネズエラ ※棄権) |
◆ジャルディーニ外、市内各所(31ヵ国)
ボスニア・ヘルツェコビナ | クロアチア | エストニア | マケドニア | グルジア |
インドネシア | イラン | アイルランド | ケニア | ラトビア |
リトアニア | ルクセンブルク | ニュージーランド | ポルトガル | アルメニア |
キプロス | スロベニア | シンガポール | タイ | トルコ |
ウクライナ | アルゼンチン | チリ | コロンビア | コスタリカ |
エクアドル | エルサルバドル | パナマ | ペルー | ドミニカ共和国 |
(中国 ※棄権) |
紹介記事から
日本館の予算はナンボ? コミッショナーと作家の報酬は?
…国際交流基金が支出したのは三千万円強。ちなみに一九九五年の予算や約四千万円でしたが、低金利のいまは運用益があまり望めないのが実状です。それから、作家やコミッショナーみずからが集めた企業協賛金が、だいたい三百万円程度といわれています。
…コミッショナーには謝金が支払われていますが、「多い額ではありません」(前出・岡部氏[引用者註:国際交流基金芸術交流部展示課課長補佐/日本館サブコミッショナー・岡部美紀氏])。作家に関しては、作品制作費もギャラも、いずれもタダ。「金銭には換えられない名誉が得られるという、昔からのなごりがありまして。それに、こちらは必ずしも新作を依頼しているわけではありません。作家からの不満もありますが、この条件をご理解いただいてます。ただ、個人的には(無報酬)は問題があると思いますよ。予算があれば出したいところなのですが……」(同)。
新川貴詩「ヴェネツィア・ビエンナーレQ&A」、『美術手帖』839号、2003年9月、76頁。
極東のハンディキャップ、役所体制の脆弱さ
…日本はパビリオンをもちながらも、いまだに極東であるというハンディキャップがあることは否めない。
窓口である国際交流基金の担当者がニ、三年ごとに変わるシステムでは、何年たっても他国の専門的でしたたかな対応には太刀打ちできないうえ、いつもその狭間で苦しむのは現場レベルであろう。
逢坂恵理子「チーム・ワークと経験の継承に向けて」、『美術手帖』839号、2003年9月、64頁。
否定的な評判
「もはやヴェニスに現れはない。確認しかないのだ」(レジス・ドゥブレー、『反ヴェニス』)
オルタナティヴ。出口、抜け道、EX-。昨年十二月ボローニャ大学で開かれた講演会では、若いキュレーターと若いアーティストを選ばなくてはならないと、とにかく「若い」(ルビ:ジョヴァネ)の語を繰り返していたのが奇妙なまでの、最大の印象であった。文字通り、自身が史上もっとも若いディレクターである元画家ボナーミ…(中略)…は、一年前の展覧会<出口(EXIT)――イタリアの創造性の新しい地理>においても。「まず外皮を変えてから、アイディンティティーを変える」ことの重要性を強調していた。
「<観客の独裁>の語が意味するのは、民主主義的・スペクタル的・グローバル的な帝国の勝利と価値の不在のなかで、唯一の証言は、観客面での成功、ようするに経済的な成功だけであるという事実の、知的なボナーミによる知的な確認である」(同紙[引用者註:ヴィットリオ・グレゴッティ『レップブリカ』]、七月七日)。
「このビエンナーレは、観客の独裁ではなく、むしろキュレーターたちの独裁となっている」。(『フラッシュアート』イタリア編集長ジャンカルロ・ポリーティ)
「観客を"美学的消費のセルフサービス"へと誘っている。(このビエンナーレは)ダイエットを、また批評的な責任からのより直接的な審議を、必要としている」(レナート・バリッリ、ルニタ紙、六月十五日)。
沈黙をはかることのできる沈黙が、必要とされている。
阿部真弓「『独裁者』はつねに、複数形で書く」、『美術手帖』839号、2003年9月、46-48頁。