ピカソ展 幻のジャクリーヌ・コレクション


4/10-5/23 高知県立美術館
5/30-7/11 ATCミュージアム
7/19-8/29 北海道立近代美術館
9/4-10/24 損保ジャパン東郷青児美術館
10/31-12/23 川村記念美術館
2005.1/6-3/13 山口県立美術館


カタログについて

ごあいさつ

マルク・レステリーニ「ジャクリーヌをたたえて」

千足伸行「ピカソ、または様式の迷路」

マリア・テレサ・オカーニャ「『マスル・イ・ブランコ』の皮肉から『アルテ・ホベン』の風刺へ」

グスタボ・ヒリ「ジャクリーヌの想い出」

図版

油彩

素描

彫刻

五十嵐卓「ピカソと女性との『関係性』:ジェンダーの視座から」

中村聖司「ピカソ、線の地平」

剱持あずさ編「年譜」

松本教仁編「ピカソに関する国内主要文献」

出品作品リスト

Liste des oeuvres


出品作品紹介


講義ノート

企画のねらい

「ごあいさつ」より

"本展では、ジャクリーヌが受け継いだコレクションの中から油彩・素描・彫刻など130点を日本初公開します美しさと醜さ、写実とデフォルメといった相反する要素を貪欲に飲み込み、軽やかにメタモルフォーズ(変身、変容)を繰り返したピカソの創造的エネルギーを感じ取っていただければ幸いです。"

千足伸行「ピカソ、または様式の迷路」、p.14より

"…グリーンバーグも、ピカソの破格の存在感は認めたうえで彼に苦言を呈するひとりである。
 「1906年から1926年にかけてのピカソは極めて偉大な芸術家であり、この時代の作品は将来においても過去のいかなる巨匠にも劣らないものとして屹立(ルビ:きつりつ)するであろう。しかしそれ以後の彼は非常にムラのある芸術家となり、最近の20年間は良い芸術家とさえいえない状況である」。…(中略)…こうした判断の根拠としてグリーンバーグが挙げるのは、「粗雑な、ぎくしゃくした色彩」、「造形的に納得しがたいデフォルメ」、「わざとらしい感情表現」などである。"

ジャクリーヌ・ロックについて

1952年以降、1973年のピカソの死まで晩年を連れ添った最後の妻。出会った当時の2人の年齢はピカソ70歳、ジャクリーヌ26歳。親子以上に年の離れた2人だったが、スペイン語を話し、控えめながら折を見て作品制作を促すことを忘れないジャクリーヌと過ごすピカソの晩年は穏やかで、創造的であったと言われる。1986年、 「ピカソの後を追って自殺した」と言われる。