国際美術展とグローバリゼーション―展覧会企画者の理論と実践

山口大学 藤川 哲


(発表要旨)

 国際美術展とグローバリゼーションは,近年,現代美術批評において最も活発に議論されているテーマの1つである.本発表では,昨年2004年に開催された2つの国際美術展,「マニフェスタ5:ヨーロッパ現代美術ビエンナーレ」と「2004光州ビエンナーレ」について,展覧会図録等から読み取られる展覧会企画者のグローバリゼーションに対する理論的考察と,展覧会会場の構成から読み取られる実践面における理論の反映とを比較対照しつつ読解する.


 国際美術展におけるグローバリゼーションは,2つのレベルにおいて進行している.1つは,1980年代からの開催数の増加と,非欧米圏への拡散という制度面においてであり,いま1つは,2002年のドクメンタ11を好例とする,参加作家の構成における脱欧米中心主義の進行と,出品作品における社会のグローバリゼーションに伴う問題のテーマ化という内容面においてである.


 他方,国際美術展のグローバリゼーションの進行と同時に,キュレイターの果たす役割に対する関心が高まってきた.全体像を把握することの困難さがますます顕在化する中,インディペンデント・キュレイターの先駆者ハラルド・ゼーマン流の「一人のキュレイターの独創的なヴィジョンが反映した一時的な一つの世界」としての展覧会の有効性が疑問視され,2002年のドクメンタと2003年のヴェネツィア・ビエンナーレという二大国際美術展はそろって「キュレイターの複数性」を前面に押し出した.


 こうした文脈を背景に見た時,同じ時期に創設されたマニフェスタ(1996年開始)と光州ビエンナーレ(1995年開始)は,ともに先行する二大国際美術展を相対化し,グローバリゼーション時代の新しい国際美術展像を模索している点で興味深い.共同キュレイター制とノマド型ビエンナーレというスタイルを取るマニフェスタと,1980年の光州事件を背景にアートの民主化を掲げて第5回展で「参加観客制」を導入した光州ビエンナーレを読解するにあたり,発表者は「キュレイターの言説の専制」に抗して「鑑賞者側からみた国際美術展像」を探究する.

(平成16年度花王芸術・科学財団芸術文化助成研究)