芸術論特殊講義2005
1. グローバリゼーション
光州ビエンナーレ
1995年 第1回展 「境界を越えて」 51カ国,96人が参加
"地球の住民がそれぞれの文化に固有な伝統や習慣と妥協することなく,複雑な政治的,文化的,人間的,芸術的な境界をいかにして越えることができるかを探求"
"分断と紛争の世界の中で芸術が調和と治癒となり得ることを示す"
"地球村の国際化は政治や民族や宗教に対してではなく,文化的な背景に敬意を払うことから始まる."
山脇一夫「光州ビエンナーレ リポート」,『美術手帖』 Jan. 1996: 115.
1997年 第2回展 「地球の余白」 39カ国,117名8団体
「速度/水」,「生成/土」,「混性/木」,「権力/金」,「空間/火」
"余白とはたんに人の住んでいない場所,未開発地を指すのではなく,むしろ存在と非在が絶え間なく動きつづける,その曖昧な境界域を指しているらしい."
村田真「だれのための,なんのためのビエンナーレなのか」,『美術手帖』 Nov. 1997: 194
2000年 第3回展 「人+間」 216名
"[人]は身体・性・人間性を,[間]は空間・状況・接続・交流などの意味を含んでおり,これを合わせて,人間が全体的に志向する新しい状況,環境,条件を象徴する"
"光州ビエンナーレの第一回展のテーマ「境界を越えて」,第二回展「地球の余白」との関係でいえば,呉光洙総監督がいうように東洋思想の"天地人"の関係に落ちつくのかもしれない."
谷新「変貌する国際美術展のコンセプト」,『美術手帖』 July 2000: 181.
2002年 第4回展 「PAUSE―止(一時停止)」
"急速なグローバル化やテクノロジーの進展,情報化など二十世紀の加速度的な変化を背景にした現代美術の「巨大なスケールと慌しい流れ」を,しばし止めて内政的な時空間を作り出し,新たな出発にしたい"
後小路雅弘「光州ビエンナーレ―普遍から個別へ」,『美術手帖』 Aug. 2002: 106.
プロジェクト1「PAUSE―止(一時停止)」
"仲外公園ビエンナーレ館では,汎地球的な資本主義制に対する批判と代案としてコミュニケーションと市場における交換をテーマにした"プロジェクト2「There―離散の地」
"LA,サンパウロ,大阪など世界各地の韓国人移民二世,三世アーティストを集めた"「光州ビエンナーレ2002」,『美術手帖』 Aug. 2002: 105.
プロジェクト3「執行猶予」
プロジェクト4「接続」
2004年 第5回展 「一粒の塵、一滴の水」 ※10周年
"テーマ<一粒の塵 一滴の水>は2004光州ビエンナーレの基本的方針である「東洋的思惟」をナビゲートする表徴として設定されました.<一粒の塵>は消滅の契機であり,無機質な分子にすぎませんが,水と混ざることで生命体として生まれ変わります.つまり希望のメッセージとしての<粒>なのです.
<一滴の水>は消滅するものにたいして,さまざまな運動現象を提供し,流通させる生物学的な媒体といえます.<一粒のちり 一滴の水>とは起と滅,生成と消滅の交錯であると同時に循環過程であり,文化生態学的な提案を意味するものです."光州ビエンナーレ,会場案内図より
2. 参加観客制度(2)
「手紙編」,光州ビエンナーレ図録より
私はほとんどの芸術作品が理解できません.芸術は難しく,理解するのに忍耐と努力を必要とすると思います.偉大な作品ほど余計理解に困ります.最年少の参加観客として,私は クムさんが子供でも簡単に理解できるような作品を制作する手助けをしたいと思います.彼には何か面白いものを作ってもらいたいのです.そうすれば,多くの子供たちが作品を見て,その笑顔によって作品を理解していることを表現してくれるでしょう.私は クムさんに,いつも自然と環境のことについて考えているという話をしました.私が話したことをもとに,彼がどんな作品を作るのか楽しみです.彼はすばらしく聡明なので,私の考えをもとに作品を作ることがきっとできるでしょう.私は彼に実際に会って,お手伝いをしたいのだけれど,遠くに住んでいるので,今彼が何を作っているのだろうと思いをめぐらすくらいしかできません.
――チュ・ハヒョン(参加観客:中央初等学校6年生)
私は人形の目をもった幼い動物たちを作り,それらの間の上下関係をなくすようなインスタレーションを作りました.動物たちは大きさや形の点では異なっていながらも,それらの間の共存,共栄の様子を見せたかったのです.支配と抑圧の関係ではなく.私の参加観客である チュ・ハヒョンが動物について考えていることは次のようなことでした.
何匹かの動物たちは環境に怯えている姿がいいと思う.
ほかの動物たちは環境を好んでいる様子で,
さらにほかの動物たちは環境に脅かされている様子,
そして他の動物たちは環境を憎み,
また他の動物たちは環境汚染を克服しようとしていることを望みます.
――クム・ジュンギ(アーティスト)
4/24/04 15:00〜18:00クム:アートについて知ってますか?
チュ:まぁ,少しなら.
クム:私の今までの作品は見ました?
チュ:見ました.あなたがE-メールで送ってくださったものを.インスタレーションの作品のいくつかに興味を持ちました.
クム:あなたと一緒に仕事するのは楽しそうです.電話かメールで作品について話し合っていきましょう.一緒に仕事する上で遠慮はしないで,「自然」とか「環境」のようなテーマについて,あなたが考えていることを何でも私に教えてください.ところで,どうやって「インスタレーション」という言葉を知ったのですか?
チュ:学校の先生から.先生はひとつひとつの作品について,誰が,なぜ,どのように作ったのかを説明してくれます.現代アートのいろんな作品の中で,インスタレーションが一番印象的です.
クム:(ポートフォリオの彼の作品写真を説明したあと)この写真はあなたが持っていてください.もし道端などで何か思いついたり,面白そうな情景を見つけたなら,すぐに書き留めてください.そうしたアイデアをもとに,私がより詳しい作品プランを考えましょう.そしてそれをもとにまた2人で話し合いましょう.
チュ:あなたが易しい言葉遣いで話をしてくれて本当に嬉しいです.あなたの作品が難しいなんて全然思いません.やれると思います.参加観客の一人として,あなたの言うとおり,私の考えを絵や文章にしてあなたに送ります.参加観客としてビエンナーレに参加できることを嬉しく思います.前には思ってもみなかったようなアートに対する興味が私の中から湧いているのを感じます.
3. 光州事件
1980年5月に大韓民国全羅南道の道都・光州(クヮンジュ)市でおきた反政府運動が武力弾圧された事件。79年10月26日の朴正煕(パク・チョンヒ)大統領暗殺後、翌日から崔圭夏(チエ・ギュハ)首相が大統領代行に就任、非常戒厳令を敷き、同年12月には全斗煥(チョン・ドゥホァン)将軍が粛軍クーデタをおこして軍および政府の実権を握った。朴政権の強権的な政治が倒されたことで、政治の民主化にむけての動きがみられ、一時期「ソウルの春」とよばれる状況が生まれた。しかし、この動きを急激にすぎると警戒した軍部が非常戒厳令を拡大・強化して、金大中(キム・デジュン)ら多数の反政府活動家をとらえると、学生を中心とした抗議のデモが広がった。
1980年5月1日、全斗煥将軍は、学生の政治活動を禁止し、大学には休校という処置をとらせた。これに反発した全南大学の学生は、18日に光州市内で街頭デモを決行、武装した市民をまきこんで21日には全市を制圧、これに軍が反撃して27日には逆に武力制圧、この間一般の市民をふくめて多数の死傷者をだす結果となった。公式発表では死者は191人とされたが、実際にはこの数字を大幅に上まわったともいわれる。
粛軍クーデタと光州事件の首謀者だった全斗煥は、1980年8月から88年まで大統領をつとめたが、95年末から翌96年初めにかけて盧泰愚(ノ・テウ) 前大統領らとともに両事件における行動を軍反乱罪と内乱罪に問われて逮捕・起訴され、同8月にソウル地方法院で有罪、全斗煥は死刑の判決をうけた。その後、控訴審をへて、97年4月、大法院(最高裁)は無期懲役の判決をくだした。
その後、1997年12月の大統領選で野党の金大中が勝利した直後に、金泳三(キム・ヨンサム)大統領は金大中との合意にもとづいて、特別赦免で両者を釈放した。光州事件の真相解明も進み、光州では毎年慰霊祭が挙行されるようになった。
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ノ・サンテ(参加観客)&キム・スンヨン(アーティスト)《記憶の部屋》,2003年,ミクストメディア,インスタレーション,(部分1),(2),(3)
4. 光州事件と光州ビエンナーレの創設
古川美佳「あるいは韓国美術に見る政治的モメント」,『美術手帖』 July 2000: 187-90. より
"一方,当時の金泳三政権にとって,ライバル金大中大統領のお膝元である光州の市民は,スローガンだけではすまされない手ごわい存在であった.したがって元大統領らへの見せしめ的な処分のみならず,光州市民の民主化運動を主導した潜在的な力と抵抗のエネルギーを文化的な方向へ誘導させるひとつの装置として創出されたのが光州ビエンナーレであったといってよい."
"いずれにせよ,地域主義のはびこる韓国で光州を国際化しようという市の思惑と金泳三政権の思惑などが重なり合いつつ,政府の肝入りで九五年秋,光州ビエンナーレは出発したのであった."
"金相允(キム・サンユン)事務次長のように,光州に根をおろし民主化運動とともに文化活動を広げてきた人びとにとってビエンナーレは民主化の理念を反映する文化的試金石でもあるのだ."
5. 光州ビエンナーレ作品紹介
会場風景,サイト1
塵 展示室1
水 展示室2
塵+水 展示室3,4
クラブ 展示室5
サイト3 5・18自由公園
コリア・エクスプレス 教育広報館