芸術論特殊講義2005


日本の博覧会

video上映

1.「世界の国からこんにちは!」,テレビ50年 第11巻,NHKソフトウェア,2003.

タイトル 0 00' 00"〜0 2' 25"

万博   0 4' 48"〜0 15' 50" (合計約14分)

2.「日本 映像の20世紀」.vol. 29 大阪府(1),NHKソフトウェア,2000.

万博,公害 0 34' 50" 〜0 43' 00" (約9分)

3.「日航ジャンボ『御巣鷹山の悲劇』」,テレビ50年 第20巻,NHKソフトウェア,2003.

日米貿易摩擦〜ハイテク日本 0 01' 53"〜0 02' 05"

つくば科学博 0 02' 05"〜0 10' 05" (合計約8分)


4つの博覧会

1970年 日本万国博覧会(大阪万博)

1975年 沖縄国際海洋博覧会(沖縄海洋博)

1985年 国際科学技術博覧会(つくば科学博)

2005年 日本国際博覧会(愛知万博)


大阪万博

出典:日本万国博覧会 夢の址 1970年のこんにちは / 太陽の塔

会 期 : 1970年3月15日〜9月13日(183日間)

場 所 : 大阪千里丘陵(約350ha)

テーマ : 人類の進歩と調和

参加国 : 77カ国(日本を含む) 4国際機関

総入場者数 : 6,422万人

参考リンク

懐かしの大阪万博EXPO70

万博ミュージアム

日本万国博覧会 夢の址 1970年のこんにちは

独立行政法人 日本万国博覧会記念機構

スイタウェブ / 万博情報

流行歌懐古館・別館 / 世界の国からこんにちは,万博音頭,地球の夜明け…

江崎グリコ:タイムスリップグリコ 大阪万博編


沖縄海洋博

出典:沖縄海洋博を見つけに / 2

会 期 : 1975年7月20日〜1976年1月18日(183日間)

場 所 : 沖縄(約100ha)

テーマ : 海−その望ましい未来

参加国 : 36カ国(日本を含む) 3国際機関

総入場者数 : 349万人

参考リンク

国営沖縄記念公園(海洋博公園)

小田原建築探偵 / 沖縄海洋博を見つけに

日本財団三十年の歩み 本史 2.沖縄国際海洋博覧会

多田治「沖縄海洋博の再検討・その内容分析(3)―ビジュアル・メディアとしての沖縄海洋博―」要旨


つくば科学博

出典:財団法人 つくば科学万博記念財団

会 期 : 1985年3月17日〜9月16日(184日間)

場 所 : 筑波研究学園都市(約100ha)

テーマ : 人間・住居・環境と科学技術

参加国 : 48カ国(日本を含む) 37国際機関

総入場者数 : 2,033万人

参考リンク

EXPO'85

よみがえる科学万博-つくば'85

財団法人 つくば科学万博記念財団

つくばエキスポセンター

日本財団三十年の歩み 本史 1.国際科学技術博覧会


愛知万博

会 期 : 2005年3月25日〜9月25日(185日間)

場 所 : 愛知県瀬戸市南東部、豊田市、長久手町(約173ha)

テーマ : 自然の叡智

参加国 : 120以上

事業費:会場建設費1,350億円 運営費550億円

※一説には,"道路アクセス,リニア,鉄道など約3500億円以上"ともいわれている.前田栄作『虚飾の愛知万博』,光文社,2005: 216.

参考リンク

外務省 / 日本における万国博覧会

愛知県図書館 / 万博関係図書リスト


幻の東京万博

1890年 農商務卿西郷従道(つぐみち)が「亜細亜大博覧会開設の建議書」提出

1912年 「日本大博覧会」開催計画の発表(西園寺内閣)

1926年 民間人による博覧会倶楽部結成.東京開催を企図,各方面へ働きかける

1930年 東京,横浜の府県,市,商工会議所による博覧会協議会組織.1935年開催を提案.商工省同意.→1940年=「紀元2600年」を祝う祭典の目玉として万博とオリンピックを同時開催する案へ

1938年 オリンピックの返上と万博の日中戦争終了後までの延期が閣議決定(7月15日)

出典:吉見俊哉『万博幻想―戦後政治の呪縛』,筑摩書房,2005: 41.


大阪万博の2つの象徴的意味

"つまり大阪万博は,日本国にとって二重の意味で象徴的意義を持っていた.ひとつは,それが明治維新によって近代化を果たして以来,百年の計を総括する意味を持つということ(=近代化は成功であった,と明示すること).第二に,紀元二六〇〇年博の開催に挫折した万国博を「復興」することによって,「敗戦」の事実を帳消しにするということ(戦前の帝国主義の栄光は回復された,と言明すること),以上の二点である.万博開催の最初のきっかけが,紀元二六〇〇年博の旧スタッフによって俎上に載せられ,戦時中には「軍需省」であった通産省によって推進されたことは,大阪万博の「進歩と調和」の陰に十五年戦争で中断された帝国の威信回復の影が見え隠れしていたことを,如実に物語っている."

出典:椹木野衣『戦争と万博』,美術出版社,2005: 148.