フォロー・ミー! 新しい世紀の中国現代美術

七月二日〜九月四日 森美術館


出品作家

ウォン・フェン(翁奮、1961―)

シャオ・イーノン+ムゥ・チェン(邵逸農、1961―+慕辰、1970―)

チェン・シャオション(陳劭雄、1962―)

シー・ヨン(施勇、1963―)

イン・シゥジェン(尹秀珍、1963―)

ワン・チンソン(王慶松、1966―)

ジョウ・ティエハイ(周鉄海、1966―)

ヤン・ジェンジョン(楊振忠、1968―)

リゥ・ジェン(劉錚、1969―)

ルゥ・ハオ(廬昊、1969―)

オゥ・ニン(欧寧、1969―)
ツァオ・フェイ(曹斐、1978―)

チェン・ウェンボー(陳文波、1969―)

陽江グループ[ジェン・グォグゥ、チェン・ザィヤン、スン・チンリン](陽江青年[鄭国谷、1970―、陳再炎、1971―、孫慶麟、1974―])

ヤン・フードン(楊福東、1971―)

シュー・ジェン(徐震、1977―)

ツァオ・フェイ(曹斐、1978―)


中国現代美術略史

ジェン・シェンティエン+南條史生「対談・中国美術の当時と今―何が起こったのか、そして何が起ころうとしているのか」、片岡真実編『フォロー・ミー!:新しい世紀の中国現代美術』(森美術館、二〇〇五年)、二九―三三頁より。

 (1977年8月、中国共産党による文化大革命の終結宣言)

 1980年代=民主化、目覚めの時

「’85美術運動」=西欧哲学からの影響、欧米流のモダニズム、ポストモダニズム

1987年1月28日、CCP(中国共産党)中央委員会による「反ブルジョワ民主化運動」→文化、美術における民主化の流れの一時的な中断

1989年2月、「中国現代美術展(CHINA/Avant−garde)」(中国美術館、北京)

展覧会オープニング当日、シャオ・ルゥ(肖魯)が電話ボックスに向かって拳銃を発砲するパフォーマンスを行い、企画関係者のタン・ソン(唐宋)が逮捕、展覧会は即座に閉鎖。シャオは自首(?)。3日後タン、シャオ両名とも釈放され、展覧会も再開された。

1989年6月4日、天安門事件(民主化を求める学生や市民に対して人民解放軍が武力弾圧)→進歩的な風潮に大きな変化

1989年春が、20世紀末の中国美術の分界線

 1990年代=新時代への転換期、写真やヴィデオを使用する新世代の出現、インディペンデント・キュレイターの登場

シニカル・リアリズム=政府が学生の抗議運動を解散させた1989年7月4日以後に生まれた絶望感や憂鬱の反映。1991年8月、リー・シャンティン(栗憲庭)による記事「退屈と文化大革命以降第三世代のアーティスト」において初めて使用された。

ポリティカル・ポップ=体制批判の表現。中国外の市場とメディアによって発展を後押しされた。

 ※90年代前半まで、中国国内に現代美術の市場は存在しなかった。

日常生活を題材とした作家たちの台頭=文革後の世代

1996年、「芸術の名のもとに」展

中国国内で開催された現代美術展の先駆的展覧会の一つ。ジュ・チィ(朱奇)企画。

1990年代半ば、(1980年代からの)前衛アーティストの海外移住の波が収束。

 ※1980年以前に海外へ出国出来たアーティストはほぼ皆無。

 近年は、現代美術が「先進文化」の一端と見做され、当局も容認、支持。

 ヴィデオ・アート、映像作品に取り組む作家が多い。


出品作品紹介


参考文献

麻生晴一郎『北京芸術村――抵抗と自由の日々』(社会評論社、一九九八年)

『不易流行――中国現代美術と身の周りへの眼差し』(キリンビール、一九九七年)

『チャイナ・ナウ――解放に向け加速する作家たち』(パルコ、一九九七年)