<第二講> メディア・アートの先駆者 山口勝弘展
神奈川県立近代美術館 二月四日〜三月二十六日
茨城県近代美術館 四月八日〜五月十四日
◆展覧会構成
T ツェッペリンとニュー・ヴィジョン
U 「実験工房」の時代
V ヴィトリーヌ
W 360°の想像力:60年代の素材的実験
X 「空間から環境へ」:デザインとプロデュース・ワーク
Y メディアとコミュニケーション
Z 宇宙のテアトリーヌ
◆年譜
1928 東京生まれ
1945 日本大学工学部予科入学
1948 北代省三、福島秀子らと「七耀会」を結成
1951 日本大学法学部卒業
北代省三、福島秀子、武満徹、秋山邦晴らと「実験工房」を結成
1961-62 ヨーロッパ、アメリカ旅行。ニューヨークでオノ・ヨーコら「フルクサス」のメンバーと交流。キースラーのアトリエを訪問
1966 「エンバイラメントの会」結成
1968 ヴェネツィア・ビエンナーレ日本代表
1970 大阪万博で三井グループ館チーフプロヂューサー
1972 「ビデオひろば」結成
1977 「イマジナリウム」構想発表
1977-92 筑波大学芸術学系教授
1978 『環境芸術家キースラー』刊行
1981 ポートピア'81テーマ館顧問
1982 「グループ・アールジュニ」結成に参加。ハイテクノロジー・アートを推進
1990 淡路島芸術村計画を推進
1992-97 名古屋国際ビエンナーレ・アーテックのディレクターを務める
1992-99 神戸芸術工科大学視覚情報デザイン学科教授2000-02 環境芸術学会会長
※『メディア・アートの先駆者 山口勝弘展』図録の「略歴」(二三〇頁)より
◆著作
『不定形美術ろん』(学芸書林、一九六七年)
『環境芸術キースラー』(美術出版社、一九七八年)
『作品集/山口勝弘/360°』(六耀社、一九八一年)
『冷たいパフォーマンス』(朝日出版社、一九八三年)
『パフォーマンス原論』(朝日出版社、一九八五年)
『ロボット・アヴァンギャルド』(パルコ出版局、一九八五年)
『映像空間創造』(美術出版社、一九八七年)
『メディア時代の天神祭』(美術出版社、一九九二年)
『UBU 遊不遊』(絶版書房、一九九二年)
◆作家の言葉
“物を対象としたデザインと思想を対象としたデザイン、このふたつの概念の意識のへだたりの中にバウハウスが抱いていた理想と現実の姿が見えかくれするのです。”
“1970年以降エレクトロニクス・メディアが私たちの生活環境の変革を促してきました。芸術やデザインの分野でもエレクトロニクス・メディアの創造活動への可能性が研究されています。従来われわれが対象として考えていた自然環境や人工環境に加え情報環境あるいはメディア環境について考えなければなりません。
今日の音楽はもちろんサウンド・スケープの中でもこの第三の環境について考えざるをえません。この新しい環境の登場とともに世界各地で新しい芸術教育の場や都市の文化装置の必要性が意識されています。ドイツのアーティスト、ユルゲン・クラウスはエレクトロニクス・バウハウスという提案を行い文字通りエレクトロニクス時代のバウハウスの必要性を求めたのです。
芸術家と手を使って物をつくる技術職の協力を工房という場で実践したかつてのバウハウスと同じように、現代のバウハウスではアーティストとエレクトロニクスのエンジニアやコンピュータ・プログラマーとの協力が必要なのです。それと同時にかつてのバウハウスが理想とした建築が統合の象徴となるかわりに地球上のさまざまな環境のポイントが教育の場となり、研究の場となり、創造の場となることでしょう。それらの地域が文化的環境として再生し、住む人びとの意識の革命が環境への誇りを高め、またコンピュータのネットワークによって結ばれるそれらの創造的な場が地球的拡張を続けてバウハウス精神が見えない象徴となって意識され続けることになるでしょう。とくにバウハウスの中で重要視されていた制作活動の現場である工房がメディア環境にふさわしい芸術と技術職の出会いの場となり、固定した学校という建物の中から自由になり世界各地の環境が工房となるのです。そしてこの工房精神を共有する人びとと共に新しい音や、匂いや、風景のVistaにより身近な世界の再発見が図られることでしょう。”(1994年10月5日、ドイツ文化会館)