実践的現代芸術・文化論
2006年11月10日(金)
これまでの話から…
0.人物名と言葉の整理
クレメンティン・デリス(Clémentine Deliss)=1960年ロンドン生まれ。パリ在住。『メトロノーム』誌の編集者。キュレーター、出版者ほか多方面で活躍。
→デリス女史について:/seconds: Clementine Deliss
ゲオルグ・シュルハマー(Georg Schöllhammer)=ウィーンを拠点に活動している出版者、キュレーター。ドクメンタ12では「ドクメンタ12・マガジンズ」の総監督を務める。
『メトロノーム』=デリス女史が1996年から立ち上げているプロジェクト「メトロノーム・プレス」の刊行物。アーティストと執筆家の共同作業の場。No.0が1996年5月にダカールで刊行され、以後、No.1(ロンドン)、No.2(ベルリン)、No.3(バーゼル)など、拠点を移動させつつ刊行を続ける。現在2006年4月にエジンバラ大学の助成のもと刊行されたNo.10(オレゴン)が最新号。「ドクメンタ12・マガジンズ」の公式パートナーとして、2007年夏に『フューチャー・アカデミー:美術大学の未来をめぐる地球規模の対話』(Future Academy: Global Dialogues on the Art College of the Future)が刊行予定。
「ドクメンタ12・マガジンズ」=2007年6月に開幕するドクメンタ12に先行して、2006年初頭から開始されているプロジェクト。世界中の80を越える出版物(電子出版含む)が参加。それぞれの地域を代表する美術出版物に呼びかけて、ドクメンタ12の3つの中心テーマ「近代性は私たちにとって過去の遺物か?」「むき出しの生活とは何か?」「何がなされるべきか?」(Is modernity our antiquity? What is bare life? What is to be done?)をめぐり、エッセイ、インタヴュー、写真、小説など自由な議論と創造を促そうというもの。2006年現在、公開説明会を兼ねた代表者会議が巡回中。香港( 9月11-13日)、サンパウロ(10月8-9日)、カイロ(11月11-13日)、ニューヨーク(12月)の各ゲーテ・インスティチュートにて。
「メトロノーム・シンクタンク東京」=9月16日(土)、17日(日)、森美術館で開催されたシンポジウム。2007年夏刊行予定の『フューチャー・アカデミー』の土台となる予定。森美術館、AIT、エディンバラ大学NOZOMIプロジェクト、ダンディー大学が協力。山口から奥津聖先生が参加。
ドクメンタ=1955年からドイツのカッセルで4、5年おきに開催されてきた国際現代美術展。来年2007年に第12回展が開催される。総監督はロジャー・ブーゲル(Roger M. Buergel)。
キュレーター=展覧会を企画する人、またはその職。日本では美術館の学芸員の仕事がこれに近いが、展覧会への出品作品の選定以外にも、展覧会の実施そのものの決定権や、予算面等、権限のおよぶ範囲にかなり違いがあるため、日本の公立美術館の学芸員を「アシスタント・キュレーター」相当、欧米のキュレーターはそれよりやや権限が 大きい、という理解が妥当。
エディンバラ=スコットランドの古都。毎年8月に開催されているエディンバラ・フェスティバルが有名で、人口約45万人の街に、ほぼ同数の観光客が押し寄せ て夏の間の人口は2倍になるという。文化意識が高く「北のアテネ」とも呼ばれる。
パトリック・ゲディス=1854年生まれ。1932没。生物学者、社会学者、エコロジスト、都市計画者、アートディレクターなどとして多面的に活躍。特定の専門領域に縛られない「ジェネラリスト」を自称。芸術を通した創造力、大学の知力、自然との共生などを総合するような都市計画を構想。彼の思想は論文よりは、図表や概念図、寓意画を用いた視覚的イメージによって残されている。
エジンバラ・山口=NPO法人YICA(山口現代芸術研究所)やその前身にあたる研究会のメンバーを中心に1995年から続いている国際文化交流プロジェクト。エジンバラ・山口1995(1995年 9月29日-10月1日)、アート・イン・ザ・ホーム(2001年10月28日-11月10日)、エジンバラ・山口2004(2004年10月1日-10月3日)などが開催されて きた。山口大学共通教育の授業としては、2003年度後期、2004年度前期の「実践的現代芸術論」が、エジンバラ・山口2004の開催に向けた準備に当てられた。
アラン・ジョンストン(Alan Johnston)=エディンバラ芸術大学教授。アーティスト、キュレーター。1984年に初めて山口を訪れて以来、エジンバラと山口、日本、その他の地域の交流を 強力に推進している。
NOZOMIプロジェクト=エディンバラ芸術大学と、やはりエディンバラにあるダンディ大学が共同で推進しているプロジェクト。東洋の禅の思想に学ぶため、日本での研究調査、滞在制作を行う。
マード・マクドナルド(Murdo Macdonald)=ダンディ大学教授。美術史家。パトリック・ゲディス 研究の専門家。1995年、2005年の両方のエジンバラ・山口の機会に来山し、ゲディスに関する講演を行った。
今日の話…
1.ドクメンタの歴史
・1955年、敗戦後の西ドイツで、ナチス時代に「退廃芸術」として迫害した前衛芸術の祭典として、地元カッセルの画家アーノルト・ボーデが発案、開催。
・1972年、「ドクメンタ5」は、スイス人ハラルド・ゼーマンが総指揮。以後、全体を一人の総監督が指揮する形式が基本となり、後発の国際美術展の手本となる。最も古いヴェネツィア・ビエンナーレが国別参加制度を採っていたのに対し、ドクメンタは「ノー・ボーダー」をスローガンとした。
・1997年、「ドクメンタX」(第10回展)に初の女性総合監督。フランスのカトリーヌ・ダヴィッド。「第三世界の作家が少ない」、「女性作家をもっと紹介すべきだ」の批判に、「私は国連ではない」と答えたことが話題に。
・2002年、「ドクメンタ11」は、初の第三世界出身者オクウィ・エンヴェゾー(ナイジェリア出身)を抜擢。エンヴェゾーは、共同キュレーター制を前面に押し出して、自分一人ではなく、多様な文化背景を持つ複数のキュレーターの共同作業として展覧会を企画。ゼーマン以来の伝統に疑義を差し挟んだ。
・2007年、「ドクメンタ12」が、ロジャー・ブーゲルにより企画される。実に第8回展(1987年)のマンフレート・シュネッケンブルガー以来20年ぶりにドイツ人の総監督の手に。
※20年ぶりに自国のキュレーター(=白人男性)に総監督を任せたが、第10回展、第11回展と、男性中心主義、白人中心主義、といったアート界のボーダーを打破してきた流れから逆戻りすることはできない。
2.出版プロジェクトを位置づける
2−1.出版プロジェクトの経緯
2005年1月31日、第1回記者発表。ブールゲルが「諸雑誌についての雑誌」(a journal of journals)を披露。地球規模のネットワーク・プロジェクトとして紹介される。当初は70以上、という数字だった(現在80以上)。主要美術雑誌および、少数言語による雑誌を結んでドクメンタの主要テーマに関する議論を盛り上げようというもの。“The Modern Age is our Antiquity”.の表題の下、最初のジャーナルは2006年春に刊行予定だった(現在、その表題は疑問形に直され、主要テーマのひとつに格上げされている)。ウィーンの出版者ゲオルグ・シュルハマーによって出版されることもアナウンスされている。
2006年2月21日、ドクメンタ12の3つのテーマが発表。
1.「近代性は私たちにとって過去の遺物か?」
2.「むき出しの生活とは何か?」
3.「何がなされるべきか?」
この3つのテーマについては、公式サイトのLeitmotifsにより詳細な解説あり。
2−2.ポスト植民地以後と出版プロジェクト
「国際美術展の脱中心化」=トランスリージョナル(各地域を主体とする連携)
“ドクメンタ(カッセル)と各地域を結ぶ、というモデルではなく、各地域間をトランスリージョナルに結ぶことにマガジン・プロジェクトの意義がある。”(シュルハマー、2006年9月、東京にて)
→シュルハマー、ルース・ノアック(ドクメンタ12のキュレーターの一人)による記者発表の模様(ヴィデオ)
http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/2006/10/tab_video.html
2−3.国際美術展における広報活動
ドクメンタ11=5つのプラットフォーム
プラットフォーム1:ウィーン(オーストリア)+ベルリン(ドイツ)
プラットフォーム2:ニューデリー(インド)
プラットフォーム3:セントルシア(西インド諸島)
プラットフォーム4:ラゴス(ナイジェリア)
プラットフォーム5:カッセル(ドイツ)
ドクメンタ12=出版プロジェクト・ミーティング
9月11-13日 香港
10月8-9日 サンパウロ
11月11-13日 カイロ
12月 ニューヨーク
3.フューチャー・アカデミーをめぐって
3−1.ヨーゼフ・ボイス=自由国際大学(FIU)
ドイツの芸術家ヨーゼフ・ボイス(1921-1986)が始めた社会・教育・文化の改革運動。1977年のドクメンタ6で開催された自由国際大学のワークショップが端緒。同ワークショップでは、ドクメンタの全会期の100日間を通してさまざまな社会問題について話し合い、対話によって社会のあるべき姿を探り、参加者自身が自らを成長させることを目的としていた。その後、キャンパスやカリキュラム、教師と学生の区別、入学試験といったものを持たないオープン・プロジェクトとして行く先々で展開。日本では1984年のボイス来日を機に、1985年、美術批評家・針生一郎、美術家・若江漢字、当時「ボイス・マガジン」を出版・発行していた林田茂留により自由国際大学(FIU・JAPAN)として創設された。
3−2.山口勝弘=ネットワーク上のバウハウス
“芸術家と手を使って物をつくる技術職の協力を工房という場で実践したかつてのバウハウスと同じように、現代のバウハウスではアーティストとエレクトロニクスのエンジニアやコンピュータ・プログラマーとの協力が必要なのです。それと同時にかつてのバウハウスが理想とした建築が統合の象徴となるかわりに地球上のさまざまな環境のポイントが教育の場となり、研究の場となり、創造の場となることでしょう。それらの地域が文化的環境として再生し、住む人びとの意識の革命が環境への誇りを高め、またコンピュータのネットワークによって結ばれるそれらの創造的な場が地球的拡張を続けてバウハウス精神が見えない象徴となって意識され続けることになるでしょう。とくにバウハウスの中で重要視されていた制作活動の現場である工房がメディア環境にふさわしい芸術と技術職の出会いの場となり、固定した学校という建物の中から自由になり世界各地の環境が工房となるのです。そしてこの工房精神を共有する人びとと共に新しい音や、匂いや、風景のVistaにより身近な世界の再発見が図られることでしょう。”(1994年10月5日、ドイツ文化会館)
『メディア・アートの先駆者 山口勝弘展』図録(美術館連絡協議会、二〇〇六年)、p.37.
3−3.クレメンティン・デリス=フューチャー・アカデミー
「美術大学の未来をめぐる地球規模の対話」⇔地球規模(グローバル)の内実は?
4.まとめにかえて=あなたへの問いかけ
未生の学校→「未だ生まれざる」=あなたがこれから作る
・キャンパス(建物、部屋、敷地)は?
・教師は?生徒は?
・入学試験は?入学資格は?
・何を学ぶ?何を誰から学ぶのか?何をどうやって学ぶのか?
cf.山大人文学部=なぜ学ぶ?何を学ぶ?どう学ぶ?
・今、何をどうやってどのように学んでいるか?そしてこれからは?
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