雪舟への旅
山口県立美術館 十一月一日〜十一月三十日
◆展覧会の構成
第一章 山口にいた雪舟
第二章 これが雪舟だ
第三章 雪舟、変身
第四章 西へ東へ
第五章 天開図画楼
第六章 雪舟、逝く
第七章 雪舟を継ぐ者たち
◆略年譜
応永二十七年 | 一四二〇 | 備中国赤浜(岡山県総社市)に生まれる。 | |
京都へ移り、相国寺(臨済宗)に入る。絵を学ぶ。 | |||
享徳三年 | 一四五四 | 三十五歳 | この頃、周防国山口(山口市)に移る。 |
寛正六年 | 一四六五 | 四十六歳 | この頃、号を「雪舟等楊」と名乗る。 |
応仁元年 | 一四六七 | 四十八歳 | 遣明船で明(中国)へ渡る。 |
応仁二年 | 一四六八 | 四十九歳 | 北京に滞在。 |
文明元年 | 一四六八 | 五十歳 | 《唐土勝景図巻》を描く。帰国の途につく。 |
帰国後、筑紫に滞在。 | |||
(豊前国英彦山(福岡と大分の県境)に暮らす?) | |||
文明八年 | 一四七六 | 五十七歳 | (この頃、大分に移る?) |
文明十一年 | 一四七九 | 六十歳 | この頃、石見国益田(島根県益田市)で当主・益田兼堯の肖像を描く。 |
文明十三年 | 一四八一 | 六十二歳 | 秋、美濃国(岐阜県)へ旅行。 |
その後、駿河国(静岡県)、越後国(新潟県)、能登国(石川県)へ? | |||
加賀国(石川県)を訪ねる。 | |||
文明十八年 | 一四八六 | 六十七歳 | 十二月、《四季山水図巻》を描き、大内政弘に献上。 |
延徳二年 | 一四九五 | 七十一歳 | 《七十一歳自画像》を描き、弟子に与える。 |
明応五年 | 一四九六 | 七十七歳 | 《慧可断臂図》を描く。 |
文亀元年 | 一五〇一 | 八十二歳 | (《天橋立図》を描く? ⇔文明十三年説有り) |
文亀二年 | 一五〇二 | 八十三歳 | (石見国東光寺(島根県益田市)で没?) |
永正三年 | 一五〇六 | (八十七歳) | (備中国重玄寺(岡山県井原市)または周防国雲谷庵(山口市)で没?) |