<第三講> 西洋美術史(三)近代


0.近代の始まりと終わり

近代とはいつからだろうか。ウィキペディアの近代の項目内にある「近代の範囲」によれば、この言葉が用いられ始めたのはルネサンス時代からで、当時はルネサンス以降を近代としていたことが知られる(ルネサンスの人文主義者たちが、古代、中世、近代の三分法を考え出したことは第一講「中世」でもブリタニカ百科事典を引いて解説した)。

日本史では、明治以降を近代、江戸時代を近世として区分し、古代、中世、近世、近代、現代という五分法を用いている(ちなみに、私たちはこれに先史時代を入れると六分法になることを頭の隅に置いておいてよい。先史時代は、文字通り、文献史料の存在しない「歴史」以前の時代概念であることを確認しつつ)。この「近世」の概念は、西洋史の三分法では日本史をうまく説明できないとして、京都帝国大学教授の内藤湖南(一八六六―一九三四)によって提唱されたものである(ウィキペディア「近世」の項参照)。

この近代の前に近世を置く考え方が、西洋史にもあるようだ。残念ながら現時点で私は、内藤の近世の提案が西洋史における近世の設定に先立つものか否か判断がつかない。今後の課題としたい。上述した通り、ルネサンス以来の三分法の日本史適用の不都合を解決するために近世が案出された、と通り一遍の説明を繰り返しておく。

さて、西洋史の近世であるが、ドイツ語圏では中世の終わり、すなわちルネサンスの始まりから神聖ローマ帝国の崩壊(一八〇六年)までを「Frühe Neuzeit」(初期近代)として近代から区別していおり、この初期近代を日本で近世と訳しているようである。この近世はほかにもフランス革命(一七八九―一七九四年)や、アメリカ独立戦争(一七七五―一七八三年)を画期と成す場合もあるという(ウィキペディア「近世」より)。この近世の考えに従えば、近世がルネサンスを含む十五―十八世紀を指し、近代の始まりはおおよそ十九世紀から、ということになる。

なお、英語圏では「early modern」、「premodern」という言葉が使われる(ウィキペディア「近世」より)。前者を直訳すれば「初期近代」であるし、後者はしばしば「前近代」と訳して使われているのを見かける。

西洋美術史について、私は近世という言葉を見た記憶がない(のちに引用する坂本満氏が十八世紀美術を紹介するにあたり、ルネサンス以降を近世の語で総称していた)。その代わり、これに相当する時代をバロック・ロココと呼称しているのだと思われる。すなわち、大区分では、相変わらずルネサンスを含む、ルネサンス以降が近代であるが、より厳密な区分では十九世紀が近代。十七、十八世紀はバロック・ロココの時代である。そしてその次の時代との関係では、現代がいつから始まるかということが問題になってくる。現代美術はピカソからか、それとも第二次大戦後からか。

美術の世界では、「modern art」をかつて現代美術と訳してきた経緯がある。最近ではこれを近代美術と訳し、「contemporary art」を直訳して同時代美術、あるいは単に現代美術と呼び、モダン・アートとコンテンポラリー・アートを区別して考えることが行なわれている。この場合、「同時代性」は、作家や作品が私たちと同じ時代を生きていること意味するため、ピカソの作品は同時代美術とは呼び得ない。キュビスムを創始したのも第二次大戦以前であるし、近代美術と呼ぶのがふさわしく思われる。

しかし本講義では世紀で区切ることの利便性を採り、二十世紀を現代と呼び、近代を十九世紀に限定することとする。そして二十一世紀を同時代と呼ぶこととしよう。将来において、この講義を二十一世紀生まれの学生が受講するような時点では、二十世紀を現代と呼ぶことが不可能になることを予告しつつ(その際には、現在、西洋史で行なわれているベルリンの壁崩壊後、すなわち一九八九年以降を現代とすることになるだろう。一九六八年生まれの私も近代生まれの人間となる)。

以上を整理すると、

◆大区分

十五世紀〜

 〈近代〉(ルネサンス、バロック・ロココ、新古典主義、ロマン主義、印象派、象徴派など)

十九世紀

◆小区分

十五世紀=初期ルネサンス

十六世紀=盛期ルネサンス(〜一五三〇年)、マニエリスム(一五三〇〜一六〇〇年)

十七、十八世紀=バロック・ロココ

十九世紀=近代(新古典主義〜象徴派など)

以下にバロック・ロココ、および十九世紀(=狭い意味での近代)美術を紹介する。


1.バロック

美術史家・若桑みどり氏によれば、バロックという言葉が最初に文献に現れるのは十六世紀、一五六三年にインドのゴアで出版された『愚人の対話とインドの薬品』であり、その本には「不規則な形の真珠をポルトガル語でバロッコと呼ぶ」と記載されているという。さらに、十七世紀に入って一六一一年、スペインで出版された『カスティーリャ語宝典』に「花崗岩質の岩をberruecoと言う」という記述があり、これらポルトガル語、スペイン語の語彙から十七世紀のフランス語に「バローク」という形容詞が派生し、十八世紀の美術批評に転用された、と説明されている(若桑みどり「イタリア・バロックの世界」、『世界美術大全集16 バロック1』、小学館、一九九四年、九頁)。その後、この「不規則な形の真珠」を指していたバロックという言葉は、ルネサンス芸術を信奉する古典主義美学者たちによって、規範から逸脱した「堕落芸術」を指す用語として用いられるようになった。そして十九世紀末に至ってハインリッヒ・ヴェルフリンが再評価して以来は、当初の蔑称としての否定的な意味合いはなくなり、ルネサンスとは異なる美的価値を持った時代様式を指す言葉として用いられるようになった(若桑、前掲書、一〇頁)。

・カラヴァッジオ《ダヴィデ》、一六〇九―一〇年、油彩・カンヴァス、125×101cm、ローマ、ボルゲーゼ美術館

・フェルメール《絵画芸術の寓意》、一六六五―六七年、油彩・カンヴァス、120×100cm、ウィーン、美術史美術館


2.ロココ

ロココという呼称もまた蔑称として使用されていたものが、のちに時代様式を指す肯定的な表現へ転じたものである。その元となったのはフランス語のロカイユという言葉で、古代ローマの遺跡を真似て、十六世紀以降に作られた館邸や宮殿のグロッタ(人口洞窟)や泉水の壁体に用いられていた、貝殻や小石を使用した壁面装飾を指す言葉だった。不規則な曲線、複雑で繊細な浮彫りを特徴とするこの壁面装飾を指すロカイユ(Rocaille)をイタリア語のバロッコ(Barocco)に合わせて変形させ、ロココ(Rococo)という言葉が生まれたと言われている(坂本満「序論 18盛期のヨーロッパ文化」、『世界美術大全集18 ロココ』、小学館、一九九六年、一三頁)。一九五八年にミュンヘンで開催された「ロココの世紀・18世紀の芸術と文化」展では、フランス語版の図録にもこのロココを用い、一つの時代の呼称として使用している(坂本、前掲書、一七頁)。現在では、十八世紀において、フランスを発信源とし、近隣諸国にも伝播した優美さや装飾性を特徴とする美術様式の総称として用いられている。

・ジャン=アントワーヌ・ヴァトー《ジェルサンの看板》、一七二〇年、油彩・カンヴァス、163×306cm、ベルリン、国立美術館 デジタル加工した画像

・フランソワ・ブーシェ《ソファに横たわる裸婦》、一七五二年、油彩・カンヴァス、59×73cm、ミュンヘン、アルテ・ピナコテーク

・ジャン=オノレ・フラゴナール《ぶらんこ》、一七六七年、油彩・カンヴァス、81×64cm、ロンドン、ウォーレス・コレクション


3.近代(十九世紀)

一口に十九世紀美術と言っても、多種多様な美術運動や流派があり、表現手法が多出した時代である。以下ではフランス美術を中心に新古典主義、ロマン主義、、写実主義、印象派、ポスト印象派、新印象派、象徴派、ナビ派までを紹介する。このほか、イギリスにはラファエル前派があり、ドイツにはドイツ・ロマン主義があってそれぞれ に特筆されるべき画家や作品があるし、世紀末にはウィーンのみならず、西欧の広い範囲でアール・ヌー ヴォー(新美術、フランス)や、ユーゲント・シュティール(青春様式、ドイツ)などと呼称された新様式が流行したことは記憶しておいて欲しい。写真の発明、日本趣味の流行もこの時代である。


3−1.新古典主義

・ジャック=ルイ・ダヴィッド《ホラティウス兄弟の誓い》、 一七八四年、油彩・カンヴァス、330×425cm、パリ、ルーヴル美術館

・ジャン・オーギュスト=ドミニク・アングル《グランド・オダリスク》、 一八一四年、油彩・カンヴァス, 91×162cm、ルーヴル美術館.

・ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル《泉》、 一八五六年、油彩・カンヴァス、163×80cm、パリ、オルセー美術館

・ジャン・オーギュスト=ドミニク・アングル《トルコ風呂》、 一八五九頃―六三年、油彩・板に貼り付けたカンヴァス、直径108cm、ルーヴル美術館


3−2.ロマン主義

・テオドル・ジェリコー《メデューズ号の筏》、 一八一八―一九年、油彩・カンヴァス、491×716cm、パリ、ルーヴル美術館

・ウジェーヌ・ドラクロワ《民衆を導く自由の女神》、 一八三〇年、油彩・カンヴァス、260×325cm、パリ、ルーヴル美術館


3−3.写実主義

・ジャン=フランソワ・ミレー《落穂拾い》、一八五七年、83.5×111cm、パリ、オルセー美術館

・ギュスターヴ・クールベ《画家のアトリエ》、一八五五年、油彩・カンヴァス、361×598cm、パリ、オルセー美術館


3−4.印象派

・エドゥアール・マネ《オランピア》、 一八六三年、油彩・カンヴァス、130.5×190cm、パリ、オルセー美術館

・クロード・モネ《印象―日の出》、 一八七二年、油彩・カンヴァス、48×63cm、パリ、マルモッタン美術館

・ピエール=オーギュスト・ルノワール《ムーラン・ド・ラ・ギャレット》、 一八七六年、油彩・カンヴァス、131×175cm、パリ、オルセー美術館


3−5.ポスト印象派

・ポール・セザンヌ《リンゴとオレンジ》、 一八九九年頃、油彩・カンヴァス、74×93cm、パリ、オルセー美術館

・ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ《星月夜》、 一八八九年、油彩・カンヴァス、73×92cm、ニューヨーク、近代美術館

・ポール・ゴーガン《我々はどこから来たのか? 我々は何か? 我々はどこへ行くのか》(そもわれわれはいづこよりきたり、われわれとはなんぞ、そしてまたいづこへとゆかん)、 一八九七年、油彩・カンヴァス、139×374.5cm、ボストン美術館


3−6.新印象派

・ジョルジュ・スーラ《グランド・ジャット島の日曜日の午後》、 一八八四―八六年、油彩・カンヴァス、205.7×305.8cm、シカゴ美術研究所

・ポール・シニャック《グロワの灯台》、 一九二五年、油彩・カンヴァス、74×92.4cm、ニューヨーク、メトロポリタン美術館


3−7.象徴派

・ギュスターヴ・モロー《出現》、一八七四―七六年頃、142×103cm、パリ、ギュスターヴ・モロー美術館

・オディロン・ルドン《眼―気球》、 一八七八年、木炭・紙、42.2×33.2cm、ニューヨーク、近代美術館


3−8.ナビ派

・ピエール・ボナール《ヴェルノネのテラス》、一九三九年、油彩・カンヴァス、148×194.9cm、ニューヨーク、メトロポリタン美術館

・モーリス・ドニ《春景色の人物(聖なる森)》、一八九七年、油彩・カンヴァス、156.5×178.5cm、サンクト・ペテルブルク、エルミタージュ美術館


4.十七世紀オランダ静物画

講義では近代フランス・アカデミーにける諸ジャンルの上下関係(ヒエラルキー)について解説した。その際、十七世紀オランダ静物画において、皮が剥かれたレモン、牡蠣などが大変頻繁に描かれることを紹介し、それらの画題を描き込むことが工房の力を誇示する役割を果たしていたことを説明した。その際示せなかった作例についてここに二例を追加して紹介する。

・ウィレム・クラースゾーン・ヘーダ《鍍金した酒杯のある静物》、一六三五年、油彩・板、88×113cm、アムステルダム国立美術館
Source: Web Gallery of Art/ HEDA, Willem Claesz
参考:ヘダ・ウィレム・クラース-鍍金した酒杯のある静物-

・アブラハム・ファン・ベイエレン《宴会の卓》、一六六七年、油彩・カンヴァス、141×122cm、ロサンゼルス郡立美術館
Source: Web Gallery of Art/ BEYEREN, Abraham van