<第一講> 国際美術展の歴史(一)ヨーロッパ


0.国際美術展前史―万国博覧会

1.二大国際美術展―ヴェネツィアとドクメンタ

2.脱中心主義、脱国家主義、脱商業主義―マニフェスタ

3.新興の国際美術展


0.国際美術展前史―万国博覧会

ビエンナーレ、トリエンナーレの形態で開催される国際美術展の最古のものがヴェネツィア・ビエンナーレであることは疑いない。では、この国際美術展の誕生の背景にはどのようなものがあったかと考えるとき、浮かんでくるのが万国博覧会の存在である。

石井元章氏は、その著『ヴェネツィアと日本』(ブリュッケ、一九九九年)の中で、ヴェネツィア・ビエンナーレ第一回展の成立背景について、かなり詳しい情報を提供してくれている(一五五頁)。それによれば、ヴェネツィアでは一八九五年の第一回展に先だって、一八八七年に内国美術博覧会が開催されている。この内国美術博覧会が出発点とはなったが、ヴェネツィア・ビエンナーレの企画委員会が参考にしたのは「ミュンヘンの万国博覧会」であったとのことである。残念ながら私はこのミュンヘン万国博覧会について、開催年などその詳細を確認できていない。石井氏の著作には、脚注に、その典拠となるイタリア語の文献が二つ挙げられている(二八一頁、註四)。

同書の記述では、なぜヴェネツィアが国際美術展を開始しなければならなかったか、その背景に対する分析が興味深い。ヴェネツィアは当時、文化面のみならず、政治や経済においても停滞局面にあったというのである。一八八三年、ローマで万国美術博覧会が開催され、一八九一年 以降はミラノでトリエンナーレ形式の美術博覧会が開始されて、「ヴェネツィアは美術市場を失う一方であった」という。その巻き返し策として企画されたのが、国王ウンベルト一世の成婚二十五周年、すなわち銀婚式記念事業としてのヴェネツィア・ビエンナーレの開催であった。

内国美術博覧会、万国博覧会、万国美術博覧会、トリエンナーレ形式の美術博覧会、とヴェネツィア・ビエンナーレ第一回展が開催される以前に、すでに四つのそれぞれ少しずつ異なる先行例が確認された。これらの原型として本講義では、万国博覧会を位置づける。

万国博覧会の誕生前夜に世に行なわれていたのは、国内博覧会であった。ウィキペディアに拠れば、最初の博覧会が開催されたのは、一七九八年のパリにおいてであり、一八四九年まで同地では十一回にわたって博覧会が開催され、規模も次第に拡大していった。隣国のベルギーやオランダへも波及し始めたことを背景に、一八四九年、フランスの首相が国際博覧会を提唱し、一八五一年に第一回国際博覧会がロンドンで開催される事になったという。

この第一回国際博覧会を私たちはロンドン万国博覧会と呼んでいる。では、当時英語では何と呼ばれていたのか。関連書籍を見ると「The Great Exhibition」とあるが、書名のみからは確証できるものではない。また一八四九年にフランスの首相が国際博覧会を提唱したときのは名称は何であったのか。私たちは少しばかり万博の歴史に踏み入りすぎた。ここでは、国際美術展の前史として万国博覧会やさまざまな美術博覧会が行なわれていた状況を確認するにとどめたい。またロンドン万博については、会場になった水晶宮(クリスタル・パレス)が有名であることを付言しておく。


1.二大国際美術展―ヴェネツィアとドクメンタ

まったくの個人的な印象であるが、一九八〇年代まで現代美術と言えば、アメリカやヨーロッパのものであったように思える。日本からはその中でもごく一部の優れた作家たちが、美術の本場、欧米で開催される展覧会に招待される、という図式として目に映じていた。その象徴的な場がヴェネツィア・ビエンナーレやドクメンタであった、そんな心象である。反証はいくらでも出来るだろう。だが同時に、先に述べた「アメリカやヨーロッパ」が、現在ではアメリカ合衆国や西ヨーロッパとより限定的に使用する方が通りがよいように思われるのであるから、日本と海外の関係が変化してきているということはできると思う。

1−1.ヴェネツィア・ビエンナーレ―国別参加制度

美術のオリンピック

賞制度の変遷

祝祭性と観光行政

1−2.ドクメンタ―越境性

東西冷戦時代

自由主義陣営の美術の祭典

総合芸術監督と新人発掘


2.脱中心主義、脱国家主義、脱商業主義―マニフェスタ

2−1.遊牧民型国際美術展

2−2.共同キュレーター制

2−3.開催されなかった第6回展(キプロス共和国ニコシア)

第6回展は、主催地との交渉が開催年に入って決裂し、中止となった。現在、イタリア、トレンティーノ・アルトアディジェ州で開催予定の第7回展に向けた準備が進められている。


3.新興の国際美術展

リヨン・ビエンナーレ(フランス、1991年開始)

ベルリン・ビエンナーレ(ドイツ、1998年開始)

リバプール・ビエンナーレ(イギリス、1999年開始)

バレンシア・ビエンナーレ(スペイン、2001年開始)

プラハ・ビエンナーレ(チェコ、2003年開始)

セビーリャ・ビエンナーレ(スペイン、2004年開始)

ブカレスト・ビエンナーレ(ルーマニア、2005年開始)

トリノ・トリエンナーレ(イタリア、2005年開始)

モスクワ・ビエンナーレ(ロシア、2006年開始)

アテネ・ビエンナーレ(ギリシャ、2007年開始)

一九九〇年代に入って、フランスがやや先行して、そしてその後ドイツ、イギリスが続いて国際美術展を開始した。ドクメンタを擁するドイツは首都ベルリンで、そしてヴェネツィア・ビエンナーレを擁するイタリアもまた別の都市で開始。同年、トリノは冬季オリンピックの開催地でもあった。また近年では、ロシアを始めとする東欧、旧共産圏での開始が特徴的である。


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二〇〇二年度 美術史/ドクメンタ11画像一覧

二〇〇三年度 芸術論概説/第五十回ヴェネツィア・ビエンナーレ(概要紹介ジャルディーニアルセナーレ市内各所

二〇〇三年度 芸術論概説/リヨン・ビエンナーレ2003

二〇〇四年度 芸術論特殊講義/マニフェスタ5(サン・テルモ博物館ほか市内中心部パサイヤ地区その他市内各所ドノスティア=サン・セバスティアン風景

二〇〇五年度 芸術論特殊講義/第五十一回ヴェネツィア・ビエンナーレ(ヴェルニサージュとイタリア館ジャルディーニアルセナーレ市内各国館市内企画展