<第二講> 国際美術展の歴史(二)アジア
1.継続しなかった東京ビエンナーレ
2.先行する南アジアの国際美術展
3.地方美術館の先進的な試み―福岡アジア美術展
4.アジアの国際美術展新時代
1.継続しなかった東京ビエンナーレ
・一九五二年開始=日本国際美術展(主催=毎日新聞社)
国別参加制度により出発。
一九六〇年代以降、「東京ビエンナーレ」と呼ばれる。
“第八回展カタログでは、「ヴェネチア、サンパウロ、ピッツバーグ、トウキョウ・ビエンナーレとして四大国際美術展にかそえられるほどに成長し」となり、最大規模となった一九六七年の第九回展では、十七ヵ国二八〇作家による約五百点の作品が展示された。”(伊東正伸「文化行政と美術展」、伊東正伸ほか『アートマネージメント』、武蔵野美術大学出版局、二〇〇三年、八八頁)。
・一九七〇年、第十回展「人間と物質」
国別参加制度、授賞制度の廃止
コミッショナー制度の採用
美術評論家・中原佑介に展覧会の企画構成を一任
日本人十三人を含む四十作家による同時代美術の紹介
現場制作の作品が中心になる
・一九九〇年廃止
“実質的には一九七〇年をもって、国際展としての使命を終えていた。いかに公共性が高いとはいえ、新聞社という一つの民間会社が単独で国際展を継続していくのは、最初から無理があったと言わざるを得ない。東京都は貸し会場として、東京都美術館の展示室を有償で提供していたに過ぎず、公的資金としては、文化庁からの助成が一時期行なわれただけだった。国際展は、採算ベースに乗らない巨大事業であり、国や地方自治体が政策的に明確なる位置付けを与えない限りは、継続は覚束ない。”(伊東、前出、八九―九〇頁)。
参考図版
2.先行する南アジアの国際美術展
・一九六八年開始=インド・トリエンナーレ
第十一回展 二〇〇五年一月十五日―二月十日
会場=ラビンドラ・バワン・ギャラリー、ニューデリー国立近代美術館ほか
四十カ国が参加
日本出品作家=吉田暁子、長谷川繁、矢櫃徳三、伊藤存
同コミッショナー=中井 康之(国立国際美術館)
関連サイト=国際交流基金/第11回インド・トリエンナーレ開催について
・一九八一年開始=バングラデシュ・アジア美術ビエンナーレ
第十二回展 二〇〇六年三月五日―三十一日
会場=オスマニ・メモリアル・ホール(バングラデシュ、ダッカ)
三十カ国以上が参加
日本出品作家=藤浩志、照屋勇賢
同コミッショナー=NPO法人アーツイニシアティヴトウキョウ[A.I.T.]
関連サイト=国際交流基金/バングラデシュ・ビエンナーレ>12回
3.地方美術館の先進的な試み―アジア美術展(福岡市美術館)
・一九七九/八〇年開始
一九七九年「第一部 近代のアジア美術―インド・中国・日本」開催
三カ国、二三〇作家、二五三点
一九八〇年「第二部 アジア現代美術展」開催
※「近代美術の巨匠」級の作家を特集
十三カ国、四七一作家、四七一点
開催の時点では継続予定がなかったため「第一回」とは銘記されていない。第二部が以後の「アジア美術展」の原型となる。
・第二回アジア美術展(一九八五年)
四〇歳以下の若手作家に限定=より現代性、同時代性を打ち出す
各国の文化機関に作家選考を依頼。国民性を背景としたアジア現代美術の独自性探究の時代。
十三カ国、二六八作家、三六八 点
・第三回アジア美術展(一九八九年)
テーマ=日常のなかの象徴性
一九八八年から開始した「アジア現代作家シリーズ」により、福岡市美術館学芸員の現地調査に基づく作家選考への道を拓く。作家の問題意識に根ざしつつ、展覧会全体の主題設定を行なうようになる。
十五カ国、一〇四作家、二三三点
・第四回アジア美術展(一九九四年)
テーマ=時代を見つめる眼
十八カ国、四十八作家、一二三 点(ほか滞在制作作品二十五点)
箱根・彫刻の森美術館(一九九五年一月一日―二月十二日)、秋田総合生活文化会館、アトリオン美術展示ホール(二月十七日―三月二十一日)、世田谷美術館(四月五日―五月十四日)へ巡回。
・第一回福岡アジア美術トリエンナーレ(一九九九年)=第五回アジア美術展
テーマ=コミュニケーション〜希望への回路
二十一カ国・地域、五十五作家(人・組)、一二〇点(うち交流プログラム参加作家二十三人・組)
福岡アジア美術館開館記念展として開催
4.アジアの国際美術展新時代
アジア太平洋トリエンナーレ(1993年開始)
光州ビエンナーレ(1995年開始)
上海ビエンナーレ(1996年開始) ※国際美術展となったのは二〇〇〇年の第三回展から
台北ビエンナーレ(1998年開始) ※九二年開始。この年から国際展化。二〇〇〇年、東アジア地域外に拡大。
福岡アジア美術トリエンナーレ(1999年開始) ※七九/八〇年アジア美術展として開始。
大地の芸術祭 越後妻有アート トリエンナーレ(2000年開始)
成都ビエンナーレ(2001年開始)
横浜トリエンナーレ(2001年開始)
釜山ビエンナーレ(2002年開始)
広州トリエンナーレ(2002年開始)
北京ビエンナーレ(2003年開始)
シンガポール・ビエンナーレ(2006年開始)
一九九〇年代後半から二十一世紀初頭にかけて東アジアで国際美術展の新設が相次いだ。
◆参考資料
伊東正伸「文化行政と美術展」、伊東正伸ほか『アートマネージメント』(武蔵野美術大学出版局、二〇〇三年)
『安斎重男の眼 1970―1999』展図録(国立国際美術館、二〇〇〇年)
『第11回インド・トリエンナーレ日本作家参加記録』(国際交流基金、二〇〇五年)
『アジアの美術 福岡アジア美術館のコレクションとその活動』(美術出版社、一九九九年)
山口洋三「アジア現代美術と『美術館』―『アジア美術展』に見るアジアの現代美術」、『デ アルテ』十三号、一九九七年、八六―一〇七頁。
「Datafile 国際美術展」、『美術手帖』第六二七号、一九九〇年八月号、九〇―一〇七頁。
◆参考リンク
「アジア美術展の沿革」、『第3回福岡アジア美術トリエンナーレ2005 プレス・リリース』、2007.5.8 <http://faam.city.fukuoka.jp/FT/2005/img/pressrelease2.pdf> 一五頁。
◆内部リンク(要認証)
二〇〇二年度 美術史/第2回福岡アジア美術トリエンナーレ2002
二〇〇五年度 芸術論特殊講義/光州ビエンナーレ2004(会場風景、塵、水、塵+水、クラブ、サイト3、コリア・エクスプレス、ビエンナーレ・エコメトロ)
二〇〇五年度 芸術論特殊講義/第3回福岡アジア美術トリエンナーレ2005
二〇〇五年度 芸術論特殊講義/横浜トリエンナーレ2005
二〇〇六年度 芸術論特殊講義/福岡アジア美術トリエンナーレをめぐって