<第三講> 国際美術展の歴史(三)北・南アメリカ、オセアニア、アフリカ、旧共産圏、中東
1.北・南アメリカ―カーネギー、サンパウロ、ホイットニー、ハバナ、モントリオール
2.オセアニア―シドニー、メルボルン、ブリスベン
3.アフリカ―カイロ、ダカール、ヨハネスブルグ
4.旧共産圏―プラハ、モスクワ、ブカレスト
5.中東―シャルジャ、イスラエル
1.北・南アメリカ―カーネギー、サンパウロ、ホイットニー、サンタフェ、ハバナ、モントリオール、クイーンズ
1−1.カーネギー・インターナショナル
一八九六年から毎年開催。一九五〇年から隔年展化。五五年にトリエンナーレとなった。近年は四年毎。
1−2.サンパウロ・ビエンナーレ
一九五一年開始。ビエンナーレ形式の国際美術展としてはヴェネツィア・ビエンナーレについで二番目に古い。
参考記事:27th São Paulo Biennial, 2006. Universes in Universe
1−3.ホイットニー・バイエニアル
一九三二年より、毎年あるいは隔年で開催されてきた。一九七三年以降、隔年展としての形式が整う。
1−4.ハバナ・ビエンナーレ
一九八四年より開始。第六回展について正木基氏による詳細な紹介記事あり。
参考記事:リレー・エッセイメインページ
1−5.サイト・サンタフェ
一九九五年より開始。第一回展について木下京子氏による詳細な紹介記事あり。
1−6.モントリオール・ビエンナーレ
一九九八年より開始。第一回展について小倉正史氏による紹介記事あり。それによれば、八〇年代半ばから国際現代美術センター(CIAC)によって開催されてきた「現代美術の百日間」を拡張したもので、建築、映画、インターネットなども含むという。
1−7.クイーンズ・インターナショナル
二〇〇二年より隔年で開催。第三回展について杉浦邦恵氏による紹介記事あり。
Exhibitions and Artists - Past
※ほか、カリフォルニア・バイエニアルもあるが、同展は西海岸の作家を中心とした国内展(二〇〇六年展の紹介記事が『美術手帖』二〇〇七年一月号に、〇四年展の紹介が同二〇〇五年一月号に掲載)。
2.オセアニア―シドニー、メルボルン、ブリスベン
2−1.シドニー・ビエンナーレ
一九七三年開始。各回についての紹介記事多数。
2−2.メルボルン・ビエンナーレ
一九九九年開始。第一回展について平野到氏による紹介記事あり。それによれば、テーマは「生のしるし」。西洋文化圏の作家に比重はあるものの、大国以外からの選出によって均衡を保持。十一ヵ国が参加した国別パヴィリオンによる展示と、グループ展を同時開催する複合プランにより開催された。企画はジュリアナ・エングベルク。国別展示には、市内の美術館や画廊を、グループ展には九階建ての空きビルを会場に使用した。
※メルボルンでは、九五年頃までオーストラリア彫刻トリエンナーレが開催されていた。
2−3.ブリスベン
アジア太平洋トリエンナーレ
一九九三年よりクイーンズランド美術館を会場に開催。二〇〇六年十二月、新館GoMAの開館と合わせて第五回展を開幕。アジア太平洋地域の作家に焦点を絞って紹介。
参考記事:taipei croquis: apt5
3.アフリカ―カイロ、ダカール、ヨハネスブルグ
3−1.カイロ・ビエンナーレ
一九八四年より開催。
3−2.ダカール―アフリカ現代美術ビエンナーレ
一九九二年よりセネガルで開催されている国際美術展。第七回展が二〇〇六年五―七月に開催。
3−3.ヨハネスブルグ・ビエンナーレ
一九九五年の第一回展、一九九七年の第二回展のみ開催。第一回展について新川貴詩氏による紹介記事あり。第二回展の芸術監督をオクウィ・エンヴェゾーが務めた。『アート・ジャーナル』第三十七巻三号に掲載されたインタヴュー記事の中で、同展が受けた国内関係者からの批判に対して、エンヴェゾーは「南アフリカがアフリカの中で占めている地位について、非常に国家主義的な意識が存在している」と分析している。
4.旧共産圏―プラハ、ブカレスト、モスクワ
4−1.プラハ・ビエンナーレ
二〇〇三年六―八月、第一回展がプラハ国立美術館を会場に開催された。第二回展以降はカーリン・ホールが会場となる。第三回展が今年〇七年五月二十七日から開催されようとしている。イタリアの美術雑誌『フラッシュ・アート』と縁が深い。第一回展の監督は同誌編集者にして出版者でもあるジャンカルロ・ポリッティが務めた。
4−2.ブカレスト・ビエンナーレ
公式サイトの「ヒストリー」によれば、二〇〇五年五―六月に第一回展が、翌〇六年五―六月に第二回展が開催された。第三回展を〇八年の五―六月に予定している。第二回展について、小椋路子氏による紹介記事がある。それによれば、第二回展のテーマは「カオス―混沌の時代」。市内七ヵ所を会場に、東欧をはじめアジアの作家なども含めた十七作家の作品が展示された。日本から折元立身、月岡彩が参加。
4−3.モスクワ・ビエンナーレ
二〇〇五年より開催。今年〇七年三―四月に第二回展も行なわれた。第二回展を訪れた広島市現代美術館学芸員氏が現地の関係者に聞いた話によれば、同時期に開催する理由は「長い冬が終わり春の兆しが感じられる季節で、同地の人々にとって特別な思いのある時期だから」という。第一回展について鴻野わか菜の詳細な紹介記事がある。
5.中東―シャルジャ、イスラエル
5−1.シャルジャ・ビエンナーレ
一九九三年以来、アラブ首長国連邦のシャルジャで開催されている。
横浜トリエンナーレ2005では同ビエンナーレの第七回展よりカリン・ハンセン(ベルギー)ら五名の作家を選考。開催記念シンポジウムの一日目にも、同展の企画チームに参加したケン・ラムをパネラーに加えていた。
5−2.イスラエル
アート・フォーカス
一九九四年より開催。九六年の第二回展については、長谷川祐子氏による紹介記事がある。それによれば、第一回展は、全国の画廊、美術館を使った国内作家中心の展覧会として開催され、第二回展において海外の作家を含む国際美術展となった。同二回展では、エルサレム、テルアビブ、ハイファ、キブツの四都市が会場となり、その中でもエルサレムのサッカー場の地下を展示室とした四つの展覧会がその中心となっていた。
『美術手帖』参考記事一覧
◆カーネギー・インターナショナル
杉浦邦恵「カーネギー・インターナショナル」、『美術手帖』第六五一号、一九九二年三月号、一七七―一八五頁。
藤森愛美「カーネギー・インターナショナル1999/2000―マデリン・グリンツタイン インタヴュー」、『美術手帖』第七八五号、二〇〇〇年四月号、一一九―一二六頁。
藤森愛美「カーネギー・インターナショナル2004―05」、『美術手帖』第八五九号、二〇〇五年一月号、一二四―一二九頁。
◆サンパウロ・ビエンナーレ
峯村敏明「一枚の絵をめぐる「歴史」」、『美術手帖』第四九〇号、一九八一年十二月号、三〇―三一頁。
サバティオン・ミラレー「赤土類の現実超越のあゆみ」、『美術手帖』第六二〇号、一九九〇年二月号、一二四頁。
名古屋覚「第23回サンパウロ・ビエンナーレ」、『美術手帖』第七三五号、一九九七年一月号、九六―九九頁。
神谷幸江「サンパウロ」、『美術手帖』第七六六号、一九九九年一月号、一六二―一六三頁。
金澤毅「サンパウロ・ビエンナーレ」、『美術手帖』第八二二号、二〇〇二年七月号、一九二―一九三頁。市原研太郎「カオスとしての群衆とグローバリズム」、『美術手帖』第八五九号、二〇〇五年一月号、一三〇―一三三頁。
光田由里「ビエンナーレに「共生」のモデルを見られるか」、『美術手帖』第八九〇号、二〇〇七年一月号、一六二―一六三頁。
◆ホイットニー・バイエニアル
依田寿久「ホイットニー・ビエンナーレほか」、『美術手帖』第五一二号、一九八三年七月号、九〇―九五頁。
依田寿久「ホイットニー・ビエンナーレほか」、『美術手帖』第五四六号、一九八五年七月号、一五六―一六〇頁。
岩淵潤子「担当キュレーターに聞く」、『美術手帖』第五八二号、一九八七年七月号、八六―九一頁。
杉浦邦恵「ライヴ・レポート」、『美術手帖』第五八二号、一九八七年七月号、九一―九四頁。
クリスチャン・リーほか「ウィトニー・バイエニアル1989―ベスト&ワースト・アーティスト」、『美術手帖』第六一一号、一九八九年七月号、一五七―一七五頁。
杉浦邦恵「ニューヨーク」、『美術手帖』第六四〇号、一九九一年七月号、一四三―一四六頁。
杉浦邦恵「ニューヨーク」、『美術手帖』第六六九号、一九九三年五月号、一二九―一三二頁。
市原研太郎「弱きゲームのプレイヤーたちへ」、『美術手帖』第六七二号、一九九三年七月号、七五―八三頁。
杉浦邦恵「ニューヨーク」、『美術手帖』第七〇八号、一九九五年六月号、一三八―一三九頁。
杉浦邦恵「ニューヨーク」、『美術手帖』第七四三号、一九九七年七月号、一四〇―一四一頁。
杉浦邦恵「ニューヨーク」、『美術手帖』第七九〇号、二〇〇〇年七月号、二〇〇―二〇一頁。
梁瀬薫「ニューヨーク」、『美術手帖』第八二〇号、二〇〇二年五月号、一七八―一七九頁。
杉浦邦恵「ホイットニー・バイエニアル2004」、『美術手帖』第八五〇号、二〇〇四年六月号、一七―二四頁。
杉浦邦恵「「傷ついた美の感覚」が漉しだす政治・社会へのプロテスト」、『美術手帖』第八八〇号、二〇〇六年五月号、一五七頁。
◆ハバナ・ビエンナーレ
佐藤時啓「心意気に賛同したい」、『美術手帖』第七四六号、一九九七年九月号、九〇―九一頁。
正木基「ラテンアメリカ、第三世界の記憶」、『美術手帖』第七四六号、一九九七年九月号、九七―一〇一頁。
◆サイト・サンタフェ
木下京子「「サイト・サンタフェ」リポート」、『美術手帖』第七一七号、一九九五年十二月号、一一四―一二〇頁。
◆モントリオール・ビエンナーレ
小倉正史「モントリオール」、『美術手帖』第七六三号、一九九八年十一月号、一五〇―一五一頁。
◆クイーンズ・インターナショナル
杉浦邦恵「文化間の葛藤の時代に「融合」を志向」、『美術手帖』第八九二号、二〇〇七年三月号、一四六頁。
◆シドニー・ビエンナーレ
建畠晢「生まれながらのポスト・モダン?」、『美術手帖』第五六六号、一九八六年八月号、一四二―一四五頁。
折元立身「シドニー・ビエンナーレ'88」、『美術手帖』第号、一九八八年九月号、一八四―一八九頁。
四方幸子「第8回シドニー・ビエンナーレ―レディメイド・ブーメラン」、『美術手帖』第六二五号、一九九〇年七月号、一一五―一二〇頁。
梅宮典子「シドニー・ビエンナーレ」、『美術手帖』第七六四号、一九九八年十二月号、一〇九―一一二頁。
山口裕美「シドニー・ビエンナーレ2000」、『美術手帖』第七九二号、二〇〇〇年九月号、一一八―一二一頁。
市原研太郎「<他者>と出会うファンタスティックな物語」、『美術手帖』第八二四号、二〇〇二年八月号、一四四―一四七頁。
原久子「第14回シドニー・ビエンナーレ開催」、『美術手帖』第八五五号、二〇〇四年十月号、一二七頁。
市原研太郎「偏在する政治や文化の接触面で生じる現代美術を問う」、『美術手帖』第八八五号、二〇〇六年八月号、一六四―一六五頁。
◆メルボルン・ビエンナーレ
平野到「第1回メルボルン・ビエンナーレ「サインズ・オブ・ライフ」リポート」、『美術手帖』第七七五号、一九九九年九月号、一〇一―一〇四頁。
◆アジア太平洋トリエンナーレ
戸谷成雄「ブリスベーン」、『美術手帖』第六八〇号、一九九三年十二月号、一四一―一四三頁。
編集部「第2回アジア・パシフィック・トライエニアル」、『美術手帖』第七三五号、一九九七年一月号、九三―九五頁。
岩切みお「ブリスベン」、『美術手帖』第七八〇号、一九九九年十二月号、一五四―一五五頁。
岩切みお「ブリズベーン」、『美術手帖』第八二八号、二〇〇二年十二月号、一九八―一九九頁。
岩切みお「新しい近代美術館で開催された注目のアジア太平洋トリエンナーレ」、『美術手帖』第八九一号、二〇〇七年二月号、一三八―一三九頁。
◆ヨハネスブルグ・ビエンナーレ
新川貴詩「第1回ヨハネスブルグ・ビエンナーレ」、『美術手帖』第七〇八号、一九九五年六月号、一一〇―一一三頁。
◆モスクワ・ビエンナーレ
鴻野わか菜「渦巻くモスクワ―アート・裁判・ビエンナーレ」、『美術手帖』第八六四号、二〇〇五年五月号、一三三―一三七頁。
◆ブカレスト・ビエンナーレ
小椋路子「歴史に翻弄された世代の情熱が結実した国際展」、『美術手帖』第八八五号、二〇〇六年八月号、一七四―一七五頁。
◆アート・フォーカス
長谷川祐子「「アート・フォーカス」を訪ねて」、『美術手帖』第七三八号、一九九七年三月号、九五―九九頁。